工藤稔・大同生命保険会長「『加入者本位』と『堅実経営』の社是の下、中小企業を支える会社であり続ける」

「中小企業をしっかり支えることは日本の成長を支えることにつながる」─大同生命保険は、業界の中で中小企業経営者向け保険の提供に特化する経営で存在感を発揮している。会長の工藤稔氏は他社との差別化に向けて「中小企業のお客様に当社ならではのサービスを提供していく」と力を込める。日本企業の99・7%が中小企業、労働人口の約7割が中小企業で働く中、いかに企業に寄り添い、支えていくかが問われる。

保険業界で初めての商品で独自性を発揮

 ─ 大同生命保険は保険業界で中小企業市場に特化して、経営者向け保険を提供する独自の経営路線を取っていますね。この原点には何があったか、改めて聞かせて下さい。

 工藤 1971年(昭和46年)に日本各地の中小企業を会員とする「法人会」の全国組織「全国法人会総連合(全法連)」から、生命保険各社に「中小企業経営者が後顧の憂いなく経営に専念するための保障制度をつくって欲しい」との要請がありました。

 ただ、当時の保険業界では保険料の高い養老保険が主力でした。例えば1000万円の保険の場合、30年の間に万が一のことがあればお支払いしますし、無事に過ごされてもお支払いします。

 保険料の中に貯蓄部分が含まれており、一般的に同じ保障内容の場合に保険料が高く設定されます。

 一方、中小企業経営者に万一のことがあった場合、運転資金や借入金などをカバーする必要があり、1000万円の養老保険では到底足りず、保障だけの保険が必要だろうということで、大同生命だけは定期保険という最も安い保険料で大きな保障を提供できる商品を提案したのです。

 その際に、大同生命1社ではバリエーションがないということでAIU(現AIG損害保険)と業務提携をし、「経営者大型総合保障制度」を提供することにしました。

 業界で初めての生損保セットの商品で、これも業界初の「最高保障額1億円」を実現しました。

 ─ 様々な意味で、それまで業界になかった商品を提供したわけですね。

 工藤 ええ。しかも、当時は生損保兼営禁止のルールがありました。そこで当社がどう対応したかというと、商品を扱う営業職員が大同生命とAIUの両方の資格を持つことで取り扱いを可能にしました。

 ─ 業界初の取り組みですから、社内でも相当議論があったのでは?

 工藤 社内でも猛反対がありました。なぜなら、保険料が安いのはいいとしても、例えば1億円の保障でご加入いただいている10人の経営者の方々が一度に事故などで亡くなられた時には10億円の保険金が必要になるわけです。

 当社の経営基盤に悪影響を及ぼす恐れも考えられるということで、アクチュアリーの中でも意見が分かれました。

 しかし議論の結果、「やるべきだ」ということになりました。背景は、やはり日本の中小企業のことを考えたからです。これからの時代、中小企業をしっかり支えることは日本の成長を支えることにつながるという考え方が社内で優勢だったのです。

 また当時は業界に20社の生命保険会社がありましたが、基本的に個人のお客様に養老保険を販売するという同じ営業スタイルでした。

 そこでは当然、規模の影響を大きく受けますから最終的にそれが大きな差につながり、会社としての存続が危ぶまれるかもしれないという考えが、当時の経営陣にあったのだと思います。そこで、他社が取り組まないマーケットに入っていこうと。

 ─ 大変な決断でしたね。その路線が軌道に乗った理由をどう考えますか。

 工藤 先ほど申し上げたように、日本の成長を考えた時に、経営者が後顧の憂いなく経営に専念できる体制づくりが、やはり重要だったということの表れだと思います。当社の「最高保障額1億円」という保障は、当時4コマ漫画になるくらい、社会にインパクトを与えました。

中小企業経営者向けサービスを徹底

 ─ 工藤さんが経営に携わる中で嬉しかった出来事は?

 工藤 お客様に喜んでいただいたことは今でも思い出します。あるいは税理士の先生からも、経営者に保険の話をするのは気が進まなかったけれども会社のために必要だということをしっかり話し、ご納得の上で加入した方にご不幸があったことがありました。

 その際に「不幸なことだったけれども、本当に言っておいてよかった」というお話をいただいたこともあります。

 また、営業面で年に1回、経営者の方に対して、現在加入されている保険の確認活動を行っており、お客様から感謝のメッセージをいただくことが多くあります。募集の段階だけでなく、ご加入いただいてからも信頼をいただける会社になったことを嬉しく思っています。

 ─ 保険にとどまらず、中小企業に対する支援業務も進めているんですね。

 工藤 そうです。コンサルティング業務を行っており、事業承継は、その1つです。社内には30名ほど、その分野の専門家がおり、営業担当者とともにお客様を訪問し、様々な相談を受けています。

 彼らは、提携先との協働等を通じたM&A(企業の合併・買収)や銀行分野がもつソリューションなど、生命保険にとどまらない幅広い提案を行っています。

 ─ 会長として社員にはどんな言葉を投げかけていますか。

 工藤 最も言っているのは「Lets Enjoy!(仕事を楽しもう)」です。やはり「つらい」、「嫌だ」と思うと、心と体に支障を来します。

 

 どんな仕事でも楽しもうと思ったら楽しめる部分があると思うんです。楽しんで取り組むことができれば、お客様にも前向きな提案ができるようになります。

 当社は中小企業の経営者と多くお付き合いをさせていただいていますが、双方とも信頼のおける方だから、つながせていただきたいというケースがあります。以前は人の力だけで取り組んでいましたが、今は中小企業経営者のコミュニティサイト『どうだい?』が約8万社の社長が集うエコシステムになっています。

 経営者が悩み事などを投稿すると、他の経営者がご自身の経験談などを教えてくれます。こうしたつながりに対しては、皆さんに喜んでいただいています。

 ─ 業界内の競争も激しいと思いますが、心がけていることは?

 工藤 生保業界では保険商品そのものでは特許を取ることができません。他社でヒットした商品があれば、同じような商品をつくったり、予定利率や事業費を見直して先行事例よりも安い商品をつくることもできます。

 我々大同生命としては、中小企業のお客様に当社ならではのサービスを徹底して提供していくことに尽きます。それによって末永くお付き合いいただくという体制づくりを常に一生懸命進めています。

 例えば、お客様から感謝されているのが「安否確認システム」です。災害発生時に従業員の安否確認を確実・迅速に実施できるシステムを無料でご利用いただけるようにしています。

 これまで中小企業の中では導入が難しかった仕組みを活用いただけるということで、喜んでいただいています。こうしたサービス提供が我々の特徴です。

 当社には創業時から「加入者本位」と「堅実経営」という社是があり、それを基に中小企業に貢献する企業として活動しています。この社是を大切にし、変えずにこれまで来ています。

バレーボールリーグ支援で地域活性化に取り組む

 ─ 2004年に太陽生命保険と統合して、T&Dホールディングスとなりました。20年が経ちますが、どういった点にメリットを感じていますか。

 工藤 私は統合の際に企画部長を務めており、事務局を担当していました。2社とも規模が同じくらいで、健全性も高かったのですが、今後を考えた時に1社だけで生き残っていけるかというと他社とは規模の差があり、疑問符がつくという考えがありました。

 その意味で、経営統合で一定の規模を確保し、お客様にも、従業員にも安心感を持っていただくことができましたから、価値があったと考えています。

 ─ 社会に不安心理が高まる今ですが、その不安を和らげるのも生保に求められる役割になっていますね。

 工藤 そう思います。そのための取り組みの1つとして、24年4月から、バレーボールのSVリーグのタイトルパートナーになりました。

 プロとして、さらなる高みを目指す選手を応援するのはもちろんのこと、国民的スポーツであるバレーボールは、地域のチームも含めて日本全国で取り組んでいる人達がいます。

 当社には全国に支社があります。地域の活性化に向けて、当社のお客様、各地で連携する税理士事務所さんと一緒に取り組むことができると思うんです。

 私はスポーツの持つ力は大きいと考えています。我々のお客様である経営者と、そこで働く従業員の人達が、年に1回でも一緒にバレーボールを見たり、従業員のご家族がバレーボールをやっていたら応援するといった形で、バレーボールをキーワードとして会話できるといいなと。

 それを通じて、地域に貢献していきたいと思っています。

広岡浅子の精神を今に受け継いで

 ─ 大同生命の礎を築いたのは女性実業家の先駆けとして知られる広岡浅子さんですね。

 工藤 ええ。広岡浅子は2015年放送の朝の連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインに選ばれ、当時は女性が勉強する、あるいは働くことに対して制限があった時代でしたが、負けじ魂を発揮して勉強に仕事に取り組んだ人です。

 広岡浅子は、七転び八起きを超えてもなお諦めないという意味で「九転十起」を座右の銘にしていました。

 私が入社した時、広岡家のことは知っていましたが、広岡浅子のことは知りませんでした。なぜなら、社長にも取締役にも就いていませんから、当時の大同生命の歴史の中に名前が出てこなかったのです。

 しかし、1902年(明治35年)に朝日生命(現在の朝日生命とは別会社)、護国生命、北海生命の3社合併で大同生命となる時に、交渉に深く関与していたことを示す手紙が出てくるなど、彼女の貢献が大きかったことが徐々にわかってきました。

 ─ 炭鉱事業にも取り組んでいましたから、社会的使命感も強かったのでしょうね。

 工藤 ええ。大同生命が発足したのが1902年ですから、日清戦争と日露戦争の間です。

 おそらく広岡浅子は、この戦争を見た時に誰が困るかというと残された奥さんやお子さんだと考えたのではないかと。生命保険事業を社会貢献の観点で考えていたのだと思います。

 もう1つ、経営が軌道に乗った時に、完全に経営から手を引きました。その後は、政治家となった市川房枝さんや、翻訳家・児童文学者の村岡花子さんといった人達を静岡の別荘地に集めて勉強会を開くなど女性活躍に向けた活動をしていました。

 ─ 広岡浅子の精神を受け継いだ大同生命の今をどう見ていますか。

 工藤 今、大同生命は変わることを恐れない会社になっていると思っています。

 例えば、当社はコールセンターのスタッフが「コンタクトセンター・アワード」で受賞している他、センター自体も三つ星をいただくなど高いご評価をいただいています。

 コールセンターで働く人達はお客様との最初の接点は自分達だという意識を持ち、お客様に電話してよかったと感じていただけるよう、対応のポイントを自らマニュアルに反映し組織で共有するなどしてくれています。

 お客様からも「こんなに気持ちよく対応してもらったことはありません」という感謝の言葉をいただくこともあります。

 近年、パーパス(存在意義)が言われますが、いついかなる時も原点に戻る、何のための会社かということに戻れば、取り組むべきことが明確になるのだと思います。

 ─ ところで工藤さんが大同生命を志望した理由は?

 工藤 父が大阪で小さな鉄工所を経営していて、母も手伝っていました。

 ある日、母が近くの空き地につらそうに立っていた年配の男性にパイプ椅子を差し出したそうです。その方はその土地の持ち主で測量を見に来ていたのですが、母の行動に感動されて、経営していた損保代理店を譲って下さったのです。

 これは私と保険の出会いであり原点です。大同生命の保険のユニークさも志望の動機となりましたね。

 母が言ってくれた「運は人が持ってくる。人とは大切に付き合いなさい」という言葉は、私が人とお付き合いするにあたって、常に心がけていることです。