ここ1年余、にわかに、急激に耳が遠くなった。最初、あまり気づかなかったのだが、突然気づいたのは女房との音の格差である。
テレビの音がきこえなくなって、音量を上げると、いつのまにか女房が下げている。きこえないからグンと上げる。すると女房がいつのまにか下げている。ある日、漸く気がついて音量のレベルを計ったら、何と女房は22~23が適音らしいが、僕の場合は42~43でやっときこえる。
交わす会話も全くきこえない。もっと大きな声でしゃべってくれ、と言うと「だからァ!」と鬼女がかみついてくるような恐ろしい形相で怒鳴ってくるから、「待て! 一寸待て! もっとやさしい表情で、大きな声でしゃべれないの!?」と抗議すると、それは中々むずかしいらしく「だからァー、良い良い、大した話じゃないから良い」としゃべるという行為を中止してしまう。もともと寡黙な女であったのが、益々静かな家庭となり、時折、娘が訪ねてきたりして何か大声で笑い合ったりしているのを見て、つい「何? 何?」と話に加わろうとすると「良い良い! 大した話じゃないから良い」と元の静けさに戻ってしまう。淋しい。老人の孤独死はこういうところからスタートするにちがいない。
大体、目が呆けてくると白内障の手術といったものがちゃんとあるのに、耳鼻科の技術は一向進まない。よく調べたら何のことはない、永年の耳クソがたまりにたまって化石化していただけであり、その耳クソがポロリと取れたら、聞こえなかった音が全てガンガン聞こえ出したなどという奇蹟が突然起こってはくれないものか。おかげで最近は80万円もする補聴器などというものを売りつけられ、しかもこいつがしばしば充電が切れるから、会話の最中に突然無音の世界に投げ出されて又ぞろ孤独を味わうことになる。
更に近頃は手の指が震え出し、しかも時々激痛を伴う。したがって、書く字がどんどん小さくなり、自分の書いた字の大きさが、情けないことに以前の4分の1。我が目でも判読不能に陥ることがしばしばで、その細かい字をちゃんと判読できる特殊な能力を持つ秘書を雇って、その女性の力を借りねばならない。だからパソコンくらい使えるようになっとけば、とあんなに言ったのに! と周囲に責められるが、しかし往時はパソコンを打つより、己が字で原稿用紙の枡目を埋めていく方がはるかにスピードが速かったのである。
そんな次第で全てが衰えてきてしまっている。このコラムを書くのも、もはや限界に近づいている。
この暮で、齢90に達してしまった。
書くという仕事はもっと続くかと思っていたが、耳と指から老いが忍び寄るとは思ってもいなかった。恐らく自分でそうとは気づいていなくても、体中の他の部位にもそれぞれ老いは忍び寄っているのだろう。そろそろ消える時が来たようである。
※長年のご愛読、誠にありがとうございました。【「財界」編集部】