長野県北佐久郡軽井沢町に本社を置く、総合リゾート運営企業の星野リゾート。1914年に星野温泉旅館として創業し、今年で110周年を迎える老舗の企業だ。「世界に通用するホテル運営会社へ」という企業ビジョンを掲げる同社の経営を支えているのが、情報システムだ。
星野リゾートは2014年にサイボウズのノーコード開発ツール「kintone(キントーン)」を導入。難解なプログラミング言語を覚えなくても直感的にアプリケーション(アプリ)を作れるkintoneを積極的に活用し、これまでに約4500個のアプリを作ってきたという。
「情報システム部門だけでなく全社員のIT人材化を。現場出身の人材の活躍により順調に力を手に入れてきた」――。こう語るのは、星野リゾート 情報システムグループ グループディレクターの久本英司氏だ。
ビジネスの変化に迅速に反応し、「質」と「量」どちらも追及するという星野リゾートのノーコード戦略とは。サイボウズが2024年11月に開催したイベント「Cybozu Days 2024」に登壇した星野リゾートの情報システムグループが、これまでの取り組みとkintone活用のポイントを語った。
作ったアプリは4500個、「ノーコード開発」を選ぶ理由
星野リゾートの情報システムグループは、バックオフィスシステムやホテル運営管理システム、宿泊予約システム、施設のWi-Fi、セキュリティなど、あらゆる情報システムを管轄しており、「ホテル運営におけるITっぽいことはすべて守備範囲」(久本氏)だという。
2002年に発足してからは“ひとり情シス黄金期”が長らく続いたが、会社が大きくなるにつれて、メンバーも徐々に増えていった。現在は約60人体制で、ITの専門家だけではなく、サービススタッフといった現場出身の非IT人材も多数所属している。
久本氏は「現場のことを一番理解しているのは現場の人。現場の視点を持つ社員なら、リクエストを聞いて作る外部のIT人材よりも優れたアプリを作れるのではないか。そう思い、全社員のIT人材化を進めてきた」と説明。
星野リゾートでは、業務課題を解決するための情報システムを導入・開発する際、「プロコード(ITエンジニアによる集中開発)」「ノーコード」「SaaS」の選択肢を用意し、状況に合わせて選択している。
どれを選ぶかの判断基準は「基本的にはSaaS、ノーコード、プロコードの順で導入を検討している」(久本氏)といい、導入に数カ月から1年程度かかってもUXにこだわりを持つべきアプリの場合はプロコードを選ぶ。それ以外であればノーコード開発を選ぶことが多く、「SaaSは比較的素早く導入できるが、自社のニーズや業務内容に適合するものが意外と少ない」とのことだ。
現在は、社内の基幹システムをプロコードによる内製で再構築している最中で、kintoneによるノーコード開発もさらに加速させている。また、社内ビジネススクールでkintoneの使い方を教えたり、情報システムグループがアプリ開発に伴走したりすることで、「多くのメンバーが新たなノーコードにも挑戦するようになり、質と量にこだわった市民開発が進んでいる」(久本氏)という。
ノーコード開発の“もやもや”「言われた通りでいい!?」
ここまで聞くと、星野リゾートのkintone活用は順風満帆に見えるだろう。しかし、情報システムグループには、「早く正確に、言われたものを作るだけでいいのか……」と“もやもや”を感じるメンバーがいた。
新卒入社時に「星のや軽井沢」でサービススタッフを3年間務めた後、「もっと業務を改善したい」という思いから情報システムグループへ異動してきた小竹潤子氏(情報システムグループ・ITサービスマネジメントユニット)だ。異動後にkintone認定資格を取得した小竹氏は、現場で培ってきた経験や知見を生かし、これまでに300個以上のアプリ開発に携わってきた。
そんな小竹氏がもやもやを感じ始めたのは、情報システムグループに異動してから5年目、統合予約領域のシステム導入担当者になった2024年春のことだった。
「アプリやシステムを開発するのはとても楽しいが、『言われた通りに作ったのに何か違う』『依頼者側もできたものを見てしっくり来ていない』『そもそも何を作っていいのか分からない』といったもやもやを感じていた」と小竹氏は振り返る。
足りないのは技術力なのか、それともツールや役割なのか。何かが足りないと感じた小竹氏は、上司の久本氏に悩みを打ち明けた。すると、もやもやの相談を受けた久本氏は「何が足りないかは分からない。統合予約の現場で業務研修をしてきたらどうか」と提案。小竹氏は統合予約部門で2カ月間研修することになった。
システム開発に必要なのは「多様な視点」
星野リゾートの統合予約部門は、宿泊先の相談をはじめ、予約の変更や送迎の手配、食事のアレンジなど、「どんな相談にも乗るプロフェッショナルな集団」なのだという。「久本さんからの提案は正直驚いた。統合予約部門は、星野リゾートの全施設を熟知していて、私自身も以前からリスペクトしていた」と小竹氏。
研修先は沖縄県だった。2カ月間短期移住し、予約問い合わせ対応の勉強を一から始めた。「とんでもないほどの多くの情報量を扱うため、自分のデスクで4画面のマルチモニターと電話機に囲まれながら、約1300件のお客さまの電話に対応した」と振り返り、「宿までの道案内や食事時間の調整、プロポーズの相談など、さまざまな対応を学んだ」と語った。
この業務研修を終えて、小竹氏は自身に足りなかったことに気付いた。それは「問う力」だという。小竹氏の言う問う力とは「課題解決に必要な力」。つまり、未知の課題に対して問いを立てる力のことで、自分の経験から解像度を上げるなど、ITスキル関係なく発揮できるものだという。
「沖縄での研修を終えて、さまざまな『こうしたい!』が具体的に見えた。現場とのMTGの内容が分かるようになり、会社全体の仕事の流れがより理解できるようになった。問う力を足掛かりに、イノベーションを生み出していきたい」(小竹氏)
沖縄研修で学びを得たのは小竹氏だけではない。小竹氏から研修報告を受けた久本氏は、「情報システムやアプリを開発するには、学ぼうと思えば習得できる『スキル』ではなく、多様な経験から生まれる『多様な視点』が欠かせないことに気付いた。あらゆるキャリアや、さまざまな『やってみたい!』という気持ちが、多様な経験・視点を増やし、創発を最大化していく」と語った。
問う力を身に着けた小竹氏の挑戦は続く。星野リゾートは北米への進出を表明しており、2028年に米国のニューヨーク州に温泉旅館を開業する予定だ。
小竹氏は「日本とアメリカではマーケットの在り方が全く異なる。おそらくさまざまな未知の業務課題が出てくるはず。でも、新しい挑戦にワクワクしており、現場の知見や問う力を生かして、ノーコードで業務課題を解決してきたい」と意気込みを述べた。