アートネイチャーは2024年7月、メンズ公式サイトをリニューアルし、AIチャットサービス「HAIRの部屋」を導入した。同サービスは生成AIを用いることで、同社が長年蓄積してきた毛髪に関する知見や研究を対話形式で顧客に提供するもの。

今回、アートネイチャー 営業企画部 メンズ企画グループ 次長の松永博史氏、電通デジタル 執行役員 データ&AI部門長の山本覚氏に、「HAIRの部屋」の開発の狙い、導入効果、今後の展望などについて聞いた。

  • 左から、電通デジタル 執行役員 データ&AI部門長 山本覚氏、アートネイチャー 営業企画部 メンズ企画グループ 次長 松永博史氏

これまで狙ってこなかった潜在ターゲットの92%を狙う

「HAIRの部屋」は毛髪の悩みや疑問にチャット形式で応じるアートネイチャーの新サービス。同サービスは150以上の同社の記事情報をもとに、顧客の個々の問い合わせに回答し、無料で利用できる。オンラインショップとも連携しており、顧客は自身に最適な商品をスムーズに見つけることができるという。

導入の背景にあるのは、コロナ禍以降の市場環境の変化だ。アートネイチャーの松永氏は次のように語る。

「新型コロナウイルスが登場する前は右肩上がりで伸びてきた新規問い合わせが、コロナ禍で鈍化しました。状況が落ち着いたら、問い合わせの件数も戻ってくると期待していましたが、戻らないままでした」

  • アートネイチャー 営業企画部 メンズ企画グループ 次長 松永博史氏

当時、広告宣伝を通じて勢いを伸ばし始めたAGA(男性型脱毛症)治療の影響もあった。

これを受けて同社は、ターゲット層の見直しを行った。従来のターゲットは、増毛やウィッグなどの対策を検討する「薄毛垂涎層」と呼ばれる層だ。実は、この層は薄毛に悩む人の約8%を占めるに過ぎない。そこで、同社はまだアプローチできていない残り92%に訴求すべきと判断した。

残り92%はまだ薄毛の対策を検討していない層で、年齢は20~30代が多くを占める。「すぐに問い合わせにつながらないとしても、10年後、20年後に『そういえば、以前アートネイチャーに薄毛の相談したな』という記憶が残ったらいいと考えています。そして、ウィッグをつけようと思った時に最初にアートネイチャーが想起されることを期待しています」と松永氏。同社は長期的な視点での顧客育成を目指すことにした。

若年層にアプローチするにあたってチャネルを検討した。「20代~30代は電話での問い合わせに抵抗がある世代で、人間とのチャットもできれば避けたいという層」と松永氏は話す。そこで、生成AIを使ったAIチャットに着目した。

セキュリティ、ハルシネーションなどの不安や懐疑はあったものの、自分たちが実際に生成AIを使ってみて、サービスとして提供できるのではと判断した。2023年9月のことだ。

AIチャットの狙いは「カウンセリング」「情報提供」「ECサイトへの誘導」

AIチャット導入を決意した松永氏らは、社内横断的なプロジェクトチームを立ち上げて、毎月定例の「オールメンズミーティング」にアイデアを持ち込んだ。松永氏は「われわれ企画グループだけで決めるとつまらないものになってしまう可能性があります。広告、コンタクトセンター、商品開発部、新規営業部、店舗営業部など、さまざまな部署のメンバーが集まるミーティングで賛同を得て、メンズ部門をあげてのプロジェクトにしました」という。

翌年(2024年)1月以降、来季の事業計画として会長をはじめ幹部に提案し、春には承認を取り付けた。ChatGPTのブームも後押しし、幹部も新しいことをやろうという機運があったとのこと。

その後、開発に入る。そこで手を組んだのが電通デジタルだ。同社の選定時の評価点として、松永氏は「AIの先進性」「安心感」「コスト」の3点を挙げた。AIの先進性については、「AIチャットで選択式に提案する機能などが優れていた」と松永氏は話す。

同社初のAIチャットサービスで狙ったのは、カウンセリング、情報提供、ECサイトへの流入だ。カウンセリングは潜在顧客からの悩みに応じるもので、情報提供は同社の毛髪の知識や研究を紹介する狙いを持つ。

「カツラの会社と思われていますが、当社は薄毛のメカニズムや食事など毛髪についてさまざまな知識を持っています」と松永氏。ECではシャンプーやドライヤーを販売しており、潜在顧客との関係を保ち続ける場にしていきたいとの考えを明かす。

これを、個人情報に配慮した形で実現するAIチャットというのが要件だった。そうやって、電通デジタルと共に完成したのが「HAIRの部屋」だ。

AIはGoogleの技術を採用、その決め手は?

AIはGoogleの技術を採用した。その理由について、電通デジタルの山本氏は、「複数のAIを検証しましたが、GoogleのAI技術は追加の学習をさせることが容易です。将来的に使う可能性のある画像認識においても精度が優れています」と説明する。

  • 電通デジタル 執行役員 データ&AI部門長 山本覚氏

なお、電通デジタルはプロジェクトに合わせてさまざまなAIを使い分けている。同社はモンゴルにグローバルのAI開発拠点を構えており、ここが重要な役割を果たしている。「私たちはグローバルのAI開発動向を常に注視しており、その用途に最適なAIを選定・実装できる体制があります」と山本氏はいう。

アートネイチャーのサービスの開発では、カウンセリングノウハウをAIに反映させることを重視したそうだ。山本氏は「強く商品をすすめることを狙っていないと伺っていたので、製品の情報をどの程度伝えるかなど、具体的な話ができたので、スムーズに開発を進めることができた」と振り返る。

会話の状況を判断するAIも動いている。「AIがすべきことを判断するAIが別にあり、ECサイトに送客するための顧客の情報が足りない場合はもう少しヒアリングをする、情報が整ってきたからECに流そうといったことを判断しています」と山本氏。

ここでもGoogleのAI技術は「作りやすく、データベースとの連携も優れていた」とのこと。検索エンジンと連携し、入力された情報から適切な情報を引き出す仕組みも実装しているとのことだ。今回、電通デジタルがGoogleと共同開発したAI基盤を用いることで、コストも抑えることができた。

そして、個人情報の保護については、入念に対策を講じた。「当社は個人情報の扱いを徹底している」と松永氏。このため、「HAIRの部屋」でユーザーが住所などの個人情報を入力すると、“個人情報にまつわることはお伺いすることはできません”と返すような仕組みを設けている。誤ってデータベースに個人情報が入ってしまった場合も、後にその個人情報を伏せるよう変換するような機構も組み込まれている。

このようにして「HAIRの部屋」を開発し、7月末にオープンとなった。

当初、公式サイトの片隅に配置することを想定していたが、広告宣伝部の提案でトップページに据えられた。「認知を広めるのであればそのぐらいやった方がいい」と判断したという。

  • トップページに「HAIRの部屋」のバナーが張られている

  • 「HAIRの部屋」では、チャット形式で、髪に関する悩みを相談できる

サイトの閲覧数が10倍増加、次は問い合わせにつなげたい

では、「HAIRの部屋」の導入後の効果はどのようなものか。

松永氏によると、サイトの閲覧数は10倍程度増加。SEO対策も奏功し、「薄毛の悩み」などのキーワードで検索した際に上位で表示されるようになった。オープンから数カ月経った現在でも、流入での効果を感じているという。「8%の残りにリーチするという点では、目論見通りになりました」と松永氏。

プロジェクトが効果を生んだ理由として、電通デジタルの山本氏は「どのようなユーザー体験にしたいのかが明確にできたため」と分析する。「私たちは技術は提供できますが、ユーザーの体験のフローは、お客様と接してきた事業者様でなければわかりません。開発者である私たちが一方的に作るのではなく、アートネイチャー様がユーザー目線に立って意見をしてくれました」(山本氏)

利用者の分析からは興味深い傾向も見えてきた。山本氏によると「20代は睡眠時間などライフスタイルの改善系が多く、30代ぐらいから育毛の話が、40代~50代は増毛が増えて、60代になるとかつらやウィッグになる」と、年代による関心の違いが明確になった。若者にアプローチするためのAIチャットだったが、予想に反して高齢層の利用も活発だという。

一定の感触を得たところだが、あくまでも「これは第一フェーズ」と松永氏。次のフェーズからは「問い合わせを増やしていきたい」という。そのためには「AIの精度を高めて、寄り添うことが必要です」と松永氏は話す。

AIの改修とともに、例えば「HAIRの部屋」から流入した人向けに特設ページを設け、そこでキャンペーンを展開するなどのことも考えられるという。また、ユーザーが気になる価格情報についても、提示の工夫をしていくとのことだ。

山本氏は、今後の計画として「データの蓄積と整備」「顧客への提供内容のリッチ化」の2点を考えているという。後者では、相談だけではなく、他のユーザーが効果を喜んでいる画像や動画など、ユーザーがこうなるかもしれないと未来を感じるようなコンテンツなどが考えられるそうだ。

複数の問い合わせチャネルがある中で「HAIRの部屋」が定着し、将来的には「電話、Web、「HAIRの部屋」の比率が3対3対3になるのが理想です」と松永氏は語る。ECサイトとの連携も含めた長期的な顧客育成を目指している。

さらに、顔画像などの個人情報が入らない形で頭部の写真を撮影して相談に利用するといった画像認識技術の活用も検討しているという。あわせて、蓄積された会話データの活用も視野に入れている。

しかし、やみくもに数字を追うのではなく、「あくまでもお客様に寄り添いたいと思っています。知りたいことに対し、適切な情報を提供しながら、時間をかけてお客様を育てていくことができればと考えています」と松永氏は語っていた。