三菱ケミカルG社長・筑本学の化学改革論 「『つなぐ』をキーワードに稼げる会社に」

再び「化学で稼ぐ会社」に

「こんなに大きい会社で、こんなに優秀なメンバーが集まって、なぜ利益が上がらないのだろうという疑問があった」ーこう話すのは、三菱ケミカルグループ社長の筑本学氏。

 日本最大の化学メーカー、三菱ケミカルGが構造改革を急いでいる。2024年11月13日には長期経営ビジョンをアップデートした「KAITEKI Vision35」と、「新中期経営計画2029」を発表。

 この中では、本業の儲けを示すコア営業利益(三菱ケミカルGが指標とする、非経常的な要因で発生した損益を除いて算出した数値)を、25年3月期見通しの2900億円から、中計最終年度の2030年3月期には5700億円と約2倍に高めることを目指す。さらには長期経営ビジョンのターゲットとなる2036年3月期には約9000億円という高い目標を設定。

 利益目標の高さに加え、注目されるのは内訳。25年3月期のコア営業利益2900億円のうち、2350億円は医薬品事業と産業ガス事業が稼いでいるのが現状。化学関連事業の利益に占める割合は2割に満たない。

 これを30年3月期には化学関連事業が利益に占める割合を4割以上、36年3月期には6割以上に高めることを目指す。改めて「化学で稼ぐ会社」に生まれ変わることを宣言した形だ。

 筑本氏は「ビジョン、中計をつくってよかった。その作業の中でいろいろなことがわかった」と振り返る。筑本氏は24年4月に社長に就任したが、就任会見を行った23年12月以降、「この会社は大丈夫なのか、何かおかしいのではないか」ということを考え続けていた。

 前任はベルギー出身で同社初の外国人社長・ジョンマーク・ギルソン氏。日本の石油化学再編や、自社の事業切り出しなどを打ち出して注目されたが果たせず、道半ばで退任した。ただ、外国人社長を起用したというのは、何かを変えなければいけない状況に会社が置かれていたことの表れとも言える。

 しかし、「前体制では明らかにおかしいことがあった」と筑本氏。だが、社長の指示であるだけにそのまま従う人もいれば、その傘の中で勝手な行動をする人もいたという。

 ギルソン氏が外部から招聘した人材を含め、前体制を支えた執行役7人は新体制発足と共に一斉に退任。筑本氏は24年2月以降、新たな経営チームのメンバーと毎週末、会社に詰めて、3月末までに決めるべきこと、4月以降に取り組まなければならないことを話し合ってきた。

 その過程で筑本氏は「この会社には『規律』がない」と思い至った。もちろん、形式上は意思決定や事業の選別における基準はあったが機能していなかったということ。「会社なのだから、きちんと規律を持ち、ルールを守って仕事をしなければいけない」と筑本氏。

 そうして今回の中計では「事業選別の3つの基準」(ビジョンとの整合性、競争優位性、成長性)と「規律ある事業運営の3原則」(価格政策、投資判断、資産最適化)を定めた。

「これを徹底して守っていく。守れないものはアウト。投資をしても具現化しなければ、その分野には資金は使わない」と宣言。事業選別においても、3つの基準を満たさなければ「整理ポスト」入りさせて、原則は撤退する方針。

 そして何よりも筑本氏は「成長が実感できない」状態に会社が置かれている理由を考え続けてきた。実際、この数年売上高も利益も伸びていない。

 そこで打ち出したキーワードが「つなぐ」。実は、このキーワードを発表内容として入れたのは前日のことだった。

 技術があり、人材もいるのに何かが足りない。それは「つながっていない」からだと気づいたのだ。技術をつなげることで製品が生まれ、事業部同士がつながることでプロジェクトを成功に導くことができるのではないかという考え方。そして社外とつながることで輪が大きくなり、自分達だけではできないこともできるようになる。

 そのための仕組みも用意。経営企画と各事業を「つなぐ」ためのチームや、事業部内に「つなぐ」担当者を置き、社内の縦横の機能をつなげていく。同時に「つなぐ」仕事を担う人達の仕事ぶりを見て、昇格を含めた人事面の評価にもつなげる。

 その目線で、改めて近年の成功事例を見てみると、やはり「つながって」いた。例えば、EV(電気自動車)向けの軽量バッテリーパックカバー材。軽量、難燃性、リサイクル性など様々な性能を持った製品となったが、この製品は組織の垣根を超えて4つの事業部がつながることで製品化できたもの。他社とのつながりからも、新しい事業が生まれている。

 これまでは合併会社だったからこその難しさもあった。例えば広島県の大竹事業所は元々旧三菱レイヨン、岡山県の水島事業所は旧三菱化学の拠点で、事業所間の交流はなかった。交流させる人も組織も予算もない状況だったのだ。

 それを今後は、実際に事業所の現場を動かしている主任クラスが交流していく。それによって、上から言われるのではなく、現場レベルで本当の「ベストプラクティス」が共有できるようにしていくことを目指す。そして、ここでも成果を出した人をきちんと評価する。

「手間はかかるが、1回できてしまえば、こんなに強い組織はない。最初の1年が大変だからといってサボってはいけない」と筑本氏。トヨタ自動車や米スリーエムが、他の人の仕事を助けることを含めてモノづくり文化を築いたように、三菱ケミカルGでも「つなぐ」ことを制度、さらに文化にしていく考え。

 統合基幹業務システム(ERP)の統一も残っている。これまでの体制でも統一を進めようとしたが、なかなか進んでこなかった。だが今は立ち止まっている時間はない。AI(人工知能)の普及などDXの推進は企業の盛衰を左右しかねないだけに、現体制での遂行は必須。

「失われた3年間」からどう会社を立て直すか?

 冒頭にもあったが、筑本氏が社長に就任したのは、ギルソン氏の体制が〝挫折〟したから。では改めて、三菱ケミカルGにとってギルソン体制とは何だったのか?

「失われた3年間」ー筑本氏はこう表現する。キャッシュフロー経営の定着や、データの「見える化」といったプラスの要素もあったが、「思いつきで組織や制度をいじっていたので社内は混乱した。その混乱によって社員は不安になり、会社に対する思いが強い人から辞めていった」。この事態を受けて筑本氏は就任会見で「有為な人材が失われた」と話した。

 だが、新体制が発足してからは人の流出は止まった。さらに、辞めていった人達の中には、改めて会社に戻ってきている人もいるという。

「我々も辞めていった人達に積極的にコンタクトしている。戻ってきてくれる人がいることはありがたい」

 筑本氏は自分の仕事を土地と建物に例えて「ある土地に建物が建ったが、その建物には不具合がある。その建物を壊しながら、同じ土地に新しいものを建てていく作業」と表現する。更地に建てるよりも難易度は高いが、「やるしかない」と話す。

 国内外の事業拠点を回って、対話することの大事さも語る。「言葉の受け取り方は人それぞれで真意が伝わるかどうかは難しい。それでも『我々はこうやっていきたい』ということを繰り返し、繰り返し伝えていくことが大事」

 幹部との会議でも、納得いくまで対話することを意識している。そして、そうした会議の場では、筑本氏はできるだけ意見を言わないようにしている。「自分が意見を言ったら、そこで会議は終わってしまう。『忖度しないでくれ』と言っても、中には忖度する人も出てくる」

 就任後、現時点までの幹部との会議で、筑本氏が出した意見が却下されたこともあったという。「ある案件だが、また来年チャレンジしようと思っている」と笑顔を見せる。健全な議論が始まっている表れと言えるかもしれない。

ようやく動き出した石化再編

 ギルソン氏が打ち出して以降、なかなか議論が進まなかった「石化再編」もようやく動き始めた。三菱ケミカルGは旭化成、三井化学とエチレンセンターに関して、西日本での生産や環境対応での連携に向け、「共同事業体」を設置すべく、検討に入っている。

 日本全体のエチレンセンターの稼働率は8割程度と低迷が続く。この共同事業体では生産能力の削減と同時に、2050年の脱炭素を見据えた環境対応に関しても共同で取り組む方針。「旭化成さんも三井化学さんも向いている方向は同じ。できると思う。社長同士の対話もしっかりできている」(筑本氏)

 経済産業省も、CO2削減に向けた産業構造転換を進める事業に対する支援を行う計画を持つ。「経産省さんには正しい"水路"を引いてもらっていると思う」

 筑本氏は特に「カーボンニュートラルとサーキュラーエコノミーは必ずやり遂げる」と強調する。地球温暖化の原因については諸説が入り乱れるが、CO2の削減が環境にとって重要であることは変わらないという考え方。「我々ができることは最大限やるしかない」

 カーボンニュートラルなど「グリーン化」に対しては一部の投資家から「利益を上げるのは難しいのではないか」という声も出るが、筑本氏は「例えば、1台の自動車に使用されるプラスチックは約200キロ。キロ当たり100円値段を上げたら、自動車の価格は2万円上がることになるが、それが購入の妨げになるかどうか」と疑問を呈する。

 他に、ペットボトルにしても、すでにリサイクル材が使用され、それが価格に上乗せされている。多くの人が、それを許容してペットボトル飲料を飲んでいるということ。

「世の中は我々が思っている以上に変わり始めている。我々はカーボンニュートラルで利益を失うとは考えていないし、利益が出なかったらやらない。ビジネスとしてきちんとやっていく」と力を込める。

大学時代の先輩に誘われて…

 筑本氏は1964年6月広島県生まれ。中高一貫の広島学院高校の出身。88年東京大学経済学部卒業後、三菱化成工業(現三菱ケミカル)入社。18年三菱ケミカルホールディングス(現三菱ケミカルグループ)執行役員、23年三菱ケミカルグループ執行役エグゼクティブバイスプレジデント(副社長に相当)ベーシックマテリアルズ所管、24年4月代表執行役社長に就任という経緯。

 大学時代は水泳部で水球に打ち込んだ。三菱化成との縁は、その水泳部の先輩から誘われたからだった。「『何をやっている会社ですか?』と尋ねたら、『身の回りにあるもの全部だよ』と言われて、面白そうだなと」

 入社して感じたのは「本当に風通しがいい、いい会社だ」ということだった。「みんなでワイワイ議論をして『ちょっといいか』と声がかかって、すぐに打ち合わせが始まる。『ちょっといいか』という声が、どこからも聞こえてくる環境だった」

 新人でも勉強期間はなく即戦力として扱われ、責任を持って仕事をすることの大事さを教えられた。「失敗して怒られることも多かったが、若手の時代からいろいろな仕事を任せてもらった」と振り返る。

 今の三菱ケミカルGにつながる話として、「三菱化成だけでなく、合併した会社も含めて本当にいい人ばかり。三菱ケミカルGの自慢は、変に意地悪な人がおらず、皆人柄がいいこと」

 その企業風土は大事にしながらも、筑本氏はそこに「稼ぐ力」を植え付けたいと考える。コストを下げ、時に値上げを交渉して、しっかり利益を上げて、それを社員に還元すると同時に、技術開発など次の新たな仕事に投じていく。その仕事を通じて、より一層社会に役立つ会社になっていく。そのサイクルを回していくことを目指す。

 そして「プロ意識」の重要さも説く。「社員は1人ひとり、プロ野球選手と同じ。人よりいいプレーをしなければ戦力として認められない。そこに甘えは許されない」と筑本氏。「責任ある個人」が全ての起点になるという考え方だ。

「人に優しく、人に厳しく」をキャッチフレーズに社内を鼓舞し、「稼げる会社」に脱皮できるかどうかが問われる。