長野市に本社を置く当社は、循環器の医療機器卸がメインの会社です。私は大学卒業後、証券会社で個人・法人向け営業を9年間担当。金融自由化のなかで新しいことに挑む機運のなか、他の業界でも自分の営業力が通じるか試してみたくなり、外資系医療機器メーカーの日本ガイダント(現アボットメディカルジャパン)に転職しました。
中部地方を統括するマネジャー時代にエム・イーの創業者と知り合い、社長就任を依頼されました。当時はメーカーでやりたいことがあり、辞退しましたが、その後また新しいことに挑戦したくなって受けることに。2011年に常務として入社し、13年に社長に就任。当時の売上高約50億円を5年で100億円にする目標を掲げました。循環器メーカーのベテラン層の中途採用や、心臓血管外科営業部の立ち上げ、県外への進出などで現在の売上高は約120億円になっています。
一方、高齢化で医療費・介護費の増大、医療の人手不足も加速するなか、必要なのが医療DXです。入院費を減らすには、患者さんが安心して在宅で療養できるシステムが必要。島田総合病院(千葉県銚子市)との協業で同病院系列のエスパイオン・メディカルテクノロジーが開発した病院向けシステム「HAMIS」の販売を今夏スタートしました。電子カルテや各種検査、手術室、薬局、医事会計、物流などの要素を統合したシステムで、大学病院などからの問い合わせも多くいただいています。少しでも医療を変えるために尽力していきたいと思っています。
そんな私の人生の転機は、大学生のとき、父が48歳の若さで亡くなったことです。岐阜の三菱電機中津川工場で開発部などにいましたが、42歳のときに肝臓を患って1年入院。その後、仕事に復帰したものの肝硬変で余命宣告を受けた10日後、帰らぬ人に。私にはまじめな普通のサラリーマンのイメージでしたが、通夜と葬式に800人以上の人が参列。父はすごい人だったのだと思い、自分も48歳までには父ぐらいの人望を持つというのが目標になりました。
そのためには手を抜いてはいけない、仕事をまじめにしないといけないという思いが常にありました。同時に48歳から先の父を知らないので、48歳を転機に父から脱却した人生を切り開いていくと決意。実際にエム・イーへの転職も48歳のときでした。それ以降の自分を父はどう評価してくれるだろうかと気になっています。