「日本の水産練り製品を海外へ!」 紀文食品社長・堤裕が進めるグローバル戦略

値がどんどん上がる水産加工品

 スルメイカが消えた─?水産庁の調査によるとスルメイカの資源量は2016年以降大きく減少。現在国では資源管理をどうするか、令和2年から検討会議が続いている。漁獲量が下がれば価格は大きく跳ね上がるため、約2倍の価格で取引されているという。これまで大衆魚であったサンマも、近年では不漁により高級魚化しつつある。 「温暖化で海苔の生産量も半分になり価格が高騰し、コンビニのおにぎりにも海苔を巻かない商品が増えました」と話す食品メーカー関係者。気候変動や世界人口の増加でたんぱく源となる水産資源の奪い合いが起きており、水産資源を扱う経営環境は年々厳しくなっている。

 「われわれのビジネスは原材料を安定的に仕入れるかが最重要。現在原料の90%は海外からの輸入。市場では安定した価格が求められる中で、安定した品質を供給するためには海外に原料を依存せざるを得ない」と話すのは水産練り製品で国内トップシェアメーカーの紀文食品社長・堤裕氏。

 同社は1938年創業の老舗メーカーとして「魚河岸あげⓇ」「チーちくⓇ」「はんぺん」のほか、蒲鉾やおでんに入れる練り物の製造販売を行い、水産加工品を中心に国民の食卓に届けてきた。2022年から国内は原料高で油、大豆、小麦などすべての原料が値上げされる中、同社は段階的な価格転嫁に成功し、2024年3月期は売上高1066億円、営業利益46億円で着地。原料高の荒波状況下にあって、 「15~20%の値上げで吸収してきたが販売量は減っている。ここ数年は原材料の価格に左右される厳しい状況」と堤氏。

 しかし紀文の一番のこだわりは品質。半世紀以上前から「疑わしきは仕入れせず、製造せず、出荷せず、販売せず」というものづくりの理念を守ってきた。堤氏は原料高に悩まされる中でも、「安かろう悪かろうではなく、お客様にとって体に良い、有用なものを提供したい」と紀文ブランドを守っていく方針を示す。鮮魚よりも保存期間が長く、調理が不要、手軽に良質なたんぱく質摂取ができる水産練り製品に、国内外問わず人々の見る目が変わりつつある。

世界で急増する カニカマ需要

 世界では健康志向の高まりで日本食ブームが長らく続き、寿司(カルフォルニアロールにカニカマを使用)などを始め魚食は拡大している。水産庁によれば1人当たりの食用魚介類の消費量は過去半世紀で約2倍に増加している。

 昔から魚食文化のある日本は、魚の加工のノウハウ蓄積があり、水産練り製品が発達してきた。仙台では笹かまぼこ、小田原では板かまぼこ、九州ではさつま揚げ─水産練り製品といってもたくさんの種類があり、その土地ごとに原料、加工方法が違う。平安時代から伝わる歴史ある食材だが、その中でカニ蒲鉾の通称〝カニカマ〟が世界で圧倒的人気を博している。

 カニカマはカニ足に似せた魚のすり身を使用した蒲鉾で、国内では昔からサラダなど副菜の彩りに使われ親しまれてきた。しかし現在海外ではカニカマは「Surimi(すりみ)」と呼ばれ、メインディッシュとして食されるスタンダードな食材になった。

「水産練り製品は各地域によって、原料の魚の種類も違えば味も違う。蒸す、揚げる、焼くなど加工方法も幅が広く、足が早い魚をそれぞれ各地域で美味しく食べるための知恵が詰まっている奥深い製品。しかし独自性が高いがゆえにグローバル化が難しい商品。カニカマは世界各地の料理の味ベースを邪魔せず食感も柔らかく、人々の舌に馴染んだ。彩りも華やかで使い勝手がよかったので唯一グローバル化できた魚肉製品」(堤氏)同業他社関係者も、最近国内のコンビニで販売している巨大なカニカマの売上が好調で、高校生が間食としてかぶりつくなど食べ方も変化してきていると話す。

 人気の理由は低カロリー・低脂質で良質なタンパク質が摂取でき、生で食べられること。風味も見た目もカニに似ているため満足感があり、価格も安価。タンパク質を手軽に摂取できるため、ダイエットやスポーツをする人にも引き合いが強いのだという。ひと昔前までは日本人しか食べていなかったカニカマは、今や世界共通食材へと昇格した。アメリカ、タイ、ヨーロッパ、リトアニアなどではカニカマ工場が乱立。現在世界で一番消費量が多いのはフランスで、生産量1位はリトアニアだ。

 紀文もかつて1980年代にアメリカ工場を2つ設立し、カニカマの販売を始めたが、当時はなかなか現地の食文化に浸透せず撤退した苦い過去がある。しかし、世界的カニカマブームの機運の高まりで、品質に高い評価のある日本製カニカマは高く売れる。同社は3月末、既にアメリカに工場を持つマルハニチロと資本提携を結び、再度世界市場へ向けた供給量拡大に挑戦する。

 「品質の紀文」は二度目の海外市場進出でどんな評価を受けるのか。創業家から2017年に社長を引き継いだ堤氏の経営手腕が試される。