【倉本 聰:富良野風話】ノー・ペッペ

唾棄、という言葉を広辞苑で引くと、つばを吐きすてるように、捨ててかえりみないこと、忌み嫌い軽蔑すること、と出てくる。ツバとは常に嫌悪を表す形容詞の上位に位置する言葉であり、最高位の不潔を表す言葉として世に通じている。

 かつて、シンガポールだったか、清潔を国是とする文化国家において、街中でツバを吐くと1ドルの罰金、それが痰になると一挙に10倍、10ドルの罰金にはね上がるから呉々も注意せよと脅かされたことがある。

 さればツバとタンのちがいは何処にあるのかと問うたら、ペッと吐くのがツバ、ペッの前にカーッという音の加わるのがタンで、かの国の官憲はペッとカーッペの差に異常に神経をとがらせているから、まちがっても不用意に街中でカーッという音をたててはいけない、と先輩から注意を受けたことがある。そういえば日本でも昔は町のあちこちに、痰壷というものが設置されていて、気管から吐き出される粘液性物質はそこへ吐くことが義務づけられていた。したがって、痰壷は最悪の汚物容れであり、一体誰がこれを回収し、洗浄し又設置するのだろうと余計な心配をしたものだった。

 第2次世界大戦後、世の中が変わり、衛生感覚が世に浸透したせいか、痰壷は世の中から姿を消し、ツバを吐くものも少なくなったが、世間に一カ所、この不潔極まりない風習が未だに堂々と許されているところがある。

 アメリカ大リーグの球場である。

 大リーグの選手たちはベンチの中で、時にはグラウンドでも、やたらペッペとツバを吐く。審判も観客も誰も咎めない。風紀にやかましいアメリカにおいて、この異常な現象が認められているのは、まことに不思議である。マナーに厳しいアメリカ国民、特に医学・衛生の専門家たちは、どうしてこれを放置しているのだろう。不思議である。

 ガムを噛むのはかまわない。だがそのカスをペッペと吐き出す。同時に口中のツバを吐く。あのツバキには無数の病原菌、コロナ菌やらエイズ菌、ペスト菌からノロウイルスまで、あらゆるバイ菌がまざっている筈で、それらが無数にドジャー・スタジアムからヤンキー・スタジアムのあの美しいグラウンドの土にばらまかれ、すべりこんだりタッチされたり、ボールについたり、抱き合ったり、その都度、選手から選手に伝染されていると考えると何となくゾクッとしてしまう。

 我らのオオタニクンが、この風潮に染まらないでくれ、と祈るような気持ちで観ているのだが、さすがに僕らのオオタニクンは今の所、ヒマワリの種のカスをつつましく紙コップに吐くだけで、まだそうした悪癖には染まっていないようだ。

 彼がグラウンドのゴミを拾い、ポケットに入れたので話題になったことがあったが、だからといって、その行為を真似た大リーガーがいたという話はあまりきかない。

【倉本 聰:富良野風話】一枚の絵