世の中が混沌とし、とかく企業も個人も右往左往しがちになるが、「うちは経営の軸をぶらさずに行きます」と広島市信用組合理事長の山本明弘氏(1945年=昭和20年生まれ)。2005年(平成17年)理事長に就任して20年近く、取引先の企業との対話を大切にし、自らも1日約5軒の取引先回りを実践するなど、現場主義を徹底。投資信託などの金融商品の扱いには一切手を出さず、「預金・貸金(融資)に特化した経営」を標榜。融資の判断も「3日以内に」とスピード性を重視。こうした現場重視の経営は業績にも反映。店舗数35、職員数430人余であげる経常収益は196億円強と21期連続の増収で過去最高を更新(2024年3月期)。日本格付研究所によると、全国の信用金庫・信用組合の格付で『A+(シングルAプラス)』(安定的)を取得したのは2つの信金と、信組では広島市信組だけ。メガバンクや地銀の生き方とは一線を画し、独自の存在感を示す広島市信組の”本業一筋”路線である。
現場主義に徹して顧客ニーズに細かく対応
広島市の平和記念公園近くにある広島市信用組合本店(同市中区袋町)に、理事長の山本明弘氏を訪ねたのは8月下旬の午前のこと。
今夏は炎暑が続き、この日も朝から太陽が照りつけ、気温はグイグイ上昇していた。
応接室に元気よく姿を現した山本氏は開口一番に言った。
「今日も午前8時20分から支店長ローラーの会議で檄を飛ばしてきたばかりです。9時前には、支店長たちも一斉に事業所開拓のために飛び出して行きました。全国の金融機関でこうしたことをやっているのは、ハッキリ言って、うちだけだと思います」
山本氏は終戦の年の1945年(昭和20年)12月生まれの78歳。2005年(平成17年)広島市信用組合理事長に就任。以来、持ち前の発想力、行動力で広島市信組を牽引、中小零細企業や個人事業主を主な取引先とする〝信組界の雄〟に育て上げた。
その経営の特徴は取引先との対話を大切にし、〝フットワーク〟と〝フェイス・トゥ・フェイス〟を活かした現場主義である。相手の現状や困り事に耳を傾け、親身に相談に乗るということ。
時に厳しい判断を迫られる場面もあるが、基本的には取引先の成長性を掘り起こし、「徹底して面倒を見させてもらいます」(山本氏)という経営。
広島市信組は広島県全域を営業エリアとし、『シシンヨー』の愛称で知られる。県内に35店舗を構え、職員数は436人(今年8月現在)。預金量は約8800億円という経営規模。
地元には有力地銀の広島銀行を抱える『ひろぎんホールディングス』や、第二地銀のもみじ銀行などがある。広島銀行単体の預金量は9兆2573億円強で、経営規模では圧倒的に差がある。
第二地銀のもみじ銀行は、旧広島相互銀行(後に広島総合銀行に社名を変更)を前身に持ち、隣の山口県下関市に本拠を置く山口フィナンシャルグループ(FG)の傘下に入っている。山口FGはその他に山口銀行、北九州銀行などの地銀をグループ会社として抱える。
1990年代初めのバブル経済崩壊後、金融機関は生き残りのため、再編成を繰り返し、持ち株会社(ホールディング)制にするなど、大きく変化してきた。
そうした中で、中小零細企業を主要な取引先とする広島市信組の健闘が注目されている。2024年3月期決算で見ると、金融機関の本業の収益力を表すコア業務純益で、同信組は117億円強をあげる。
全国の地銀・第二地銀100行のコア業務純益ランキングでは、トップは横浜銀行(991億円強)。中国地区では広島銀行(389億円強)が11位、山陰合同銀行(370億円強)が13位、山口銀行(335億円強)が14位と続く。広島市信組は、44位のみなと銀行(兵庫県)に続く45位のポジション。大半の第二地銀よりも高い利益をあげているということ。
この好業績をあげる要因とは何か?
本稿冒頭に記したように、支店長をはじめ、営業担当者が隈なく取引先を回り、新規顧客開拓に努めていること。また、市場開拓や後継者問題など、多くの中小零細企業が抱える問題の相談に乗り、常に顧客に近い存在であるということ。現場主義を徹底する山本氏の信組経営が好業績につながっている。
本業一筋に徹底してこそ…
広島市信組が大事にしているのは、この現場主義に加えて、本業一筋に徹することである。
「わたしはもう20年近く理事長を務めているんですが、一貫して、絶対に基本軸をぶらさずにやっていこうと。あくまでも、本業の預金・貸金に特化した経営ということです。とにかく投資信託や保険商品には手を出さないという方針です」
山本氏が続ける。
「ほとんどの金融機関がフィービジネスで手数料のことばかり言ってくると。そういう中にあって、シシンヨーはそういうフィーのことについて一切言わないと。だから、お宅と安心して取引することができるとお客様も言ってくれますし、安心感があるわけです」
山本氏はさらに、経営にはスピード感が求められるとして、「融資の判断は3日以内でやります」と語る。
「とにかくフットワークを良くし、顧客のニーズに応えるにはフェイス・トゥ・フェイスで話を詰める。そういう所でよそには負けないし、他の金融機関と差別化している所です」と山本氏。
この徹底した現場主義と本業一筋路線が好業績を生む。
2024年3月期は、売上高に相当する経常収益が196億円強(前々期は186億円強)で21期連続の増収。
経常利益は67億9700万円強で、当期純利益は48億円強と、共に前々期を上回り、増益を実現し、過去最高益を記録している。
こうしたことから、全国の信用金庫254、信用組合143のうち、日本格付研究所(JCR)から格付を取得している信金・信組の中で広島市信組は、碧海信用金庫(愛知県)、西武信用金庫(東京都)の2つの信金と共に『A+(シングルAプラス)』という評価を受けた。
『A+』見通し〝安定的〟という、現在最高の評価だ。
多くの信金が、『A』や『A-(シングルAマイナス)』という評価を受ける中で、〝信金の雄〟とされる碧海、西武の両信金と並び、信組界で唯一、広島市信組だけが『A+』の評価を受けたことに、地域金融関係者も注目する。
『ぶれない経営』を一貫して推進
「ぶれない経営」─。地域金融機関の本業である『預金・貸金(融資)』に特化し、投資信託や生命保険などの金融商品は扱わないという山本氏の方針。
持ち株会社(ホールディング)制を敷くメガバンクや地銀などは、他行の動きを意識し、結果的に互いの真似をして横並びになる傾向がある。
こうした潮流に一本棹(さお)を差すがごとく、「われわれは他の真似をしてはいけないのだと。ブレない経営を一貫してやっていこうと呼びかけています」と山本氏は語り、経営陣の役割について、次のように続ける。
「よその真似事をして、右往左往していたら、とんでもないことになる。自分たちの存在価値は何ぞやと、意義はどこにあるのかを意識するという事が、わたしは一番大事だと思っています」。
何のために広島市信組はあるのかという存在意義の追求だ。
午前3時半に起床 そして朝5時に出社
改めて氏の経歴を振り返ると、山口県宇部市出身の氏は、県立宇部高、専修大学経済学部を経て、1968年(昭和43年)に入組。5カ店の支店長を経験した後、本店営業、審査の両部長を務めた。
95年(平成7年)理事審査部長、99年常務理事、2001年専務理事、04年副理事長を経て、05年(平成17年)理事長就任という足取り。
19年に及ぶ理事長生活であるが、今は時代が激しく動き、世界中が混沌とした状況。また、台風や風水害など自然災害が多発し、人々の生活に影響を及ぼしている。こうした中で、地域金融機関の存在意義を真剣に模索する日々が続く。
山本氏は毎朝3時半に起床。5時に出社し、毎朝7時から役員会議を開く(役員は朝6時45分に出社)。ちなみに、一般職員は午前8時20分に出社し、午後5時20分に退社する。
それにしても、午前3時半起床では睡眠不足にならないのか? と聞くと、「寝るのは夜9時から10時の間だから、十分です」との返答。
夜の会食は、理事長就任以来、一切なし。これも、「取引先との関係をあくまでもフェアに、オープンにしておきたい」という理由からだ。
とにかく、『現場力』を重視する経営をするために、常に気力、体力を保つことを心掛ける日々である。
取引先との対話で相手の本音を探る
理事長生活19年の今も、1日に5軒、多い時は10軒の取引先を回る。「こんにちは、シシンヨーの山本です」と顧客を訪ね、経営トップや幹部たちと対話を重ねる毎日。
訪問先での対話の中で気が付く事とは何か?
「お客様と話をしていて、『理事長あれをやって頂戴よ』と言う人は誰もいません。それよりも、預金貸金の取引増加を望んでおられるんです。わたしどもは生命保険とか投資信託とか、そういう金融商品をやる必要はないし、やってはいけないということ。それは、取引先にも理解してもらっております。それよりも、シシンヨーさん、リスクを取ってくださいよと。取引先の中には、本当に担保もなく、財務内容も悪い所があります。これからのうちの成長性や技術力を見てくださいという人が多いですね」
真剣勝負での取引先との対話に、こちらも相応の覚悟を持って臨まなければいけない。
「はい、ですから、わたしもその人の人間性を見させてもらって判断しております。そのためにも、経営の現場を見ないと融資はできません。確かに財務内容が今は悪いけれども、これから踏ん張っていくために、そのトップの人間性だとか、会社の成長性、技術力はどうなのかを見させてもらってジャッジしていく。これが地域金融機関の果たすべき務めだと。この一点に尽きます」
都銀や地銀、そして信金との違いは?
信用組合は、信用金庫と共に協同組合に依る金融機関という点で共通項がある。銀行は株式会社組織としての営利法人であるが、信金・信組は、組合員同士の相互扶助を目的とした非営利法人として位置づけられる。
銀行は銀行法に則ってつくられ、営業エリアに制限はない。信金・信組は共に地域経済に密着した金融機関という点で共通するが、信金は信用金庫法、信組は中小企業等協同組合法という根拠法を背負っての設立。
信金の場合、会員になる資格は従業員300人以下、または資本金9億円以下の事業者であること。信組は従業員300人以下、または資本金3億円以下であることとなっている。
日本全体の企業の数は約370万社。うち中小企業が99.9%を占め、雇用者数では全体の70%を抱えている。
「地域のお金を地域振興に回す」─。広島市信組がこのことをモットーに、『預金・貸金』の本業に徹する背景には、こうした日本の産業構造がある。
メガや有力地銀との壁に
山本氏が入組した1968年(昭和43年)は、第1回東京五輪の開催や、東海道新幹線が開通(1964)した4年後のこと。
第1回東京五輪の翌年(1965年=昭和40年)に到来した〝昭和40年不況〟と呼ばれる証券不況を克服した日本は、1968年、GNP(国民総生産、今のGDP=国内総生産とは指標が少し異なる)で、西ドイツ(当時、現ドイツ)を抜き、米国に次ぐ自由世界2位の座に就く。日本全体に活気があった。
そうした時代に山本氏は広島市信組に入組、本店営業部に配属となった。
「わたしはまだ22歳でした。本店にやって来られる取引先の社長、経理部長さんたちが、わたしの前で90度頭を下げて来られるんです。その時に、わたしは思いました。ああ、これは金を貸せば、定期預金も積み立ても年金も何でも取れると。あれだけ頭を下げて来られるのだから、取れるぞと」
入組して1年後、「わたしを営業の外交に出させてください」と本店営業部長に直訴。しかし、「もうちょっと待て。そのうちに声をかけるから」との返答。
その半年後、待ちに待った外交営業畑に異動となった。
当時の山本青年は、「預金を取れるだけ取るぞ」と意気込んでおり、「こんにちは、シシンヨーの山本です」と飛び込み営業で新規開拓に動き出した。
「外交で成績を上げますから」と本店営業部長に約束していた山本青年は、1年間、働きに働いた。
しかし、訪問先からは予想外の反応が返ってきた。
「何? シシンヨー? 関係ないよ、帰ってくれ」─。何ともつれない、素っ気ない対応の連続。
「うちのメインは広銀(広島銀行)だ」とか、「うちは広島相互銀行(現もみじ銀行)」だとか、さらには「広島信用金庫との付き合いじゃ」などと言われ、全く取り合ってもらえなかった。
確かに、入組後間もない本店営業部の融資係の時には、取引先の経営者が何度も頭を下げ、融資を要請する姿を目の当たりにしていたが、外交の現場には大きな壁が立ちはだかっており、信組の外交でいとも簡単に成績を上げられると思い込んでいた自分に恥じ入った。
営業の外交に行ってみると、行く先、行く先で容赦ない拒絶の声を浴びせられた。
苦汁を味わいながら、山本氏が気付いたのは、「お金というものは、貸してやるんじゃない。使っていただくんだ」ということである。
「これはコンサルタントに言われたことでもなく、先輩から教わったものでもありません。1件の融資を開拓しようと思ったら、どれだけの努力が必要なのかを思い知らされました」
「お金は貸すものではなく使っていただくもの」
理事長になった今も、山本氏は外交に出かける支店長や職員に、「金を貸したる言うたら、こらえんど(広島弁の『こらえんど』は『許さない』、『承服しない』という意味)。お金は使っていただくもの」と呼びかける。
その山本氏が若い頃、5つの支店長を経験した折、汗水流して融資案件を獲得し、稟議を本店審査部にあげる時、何度も審査部の幹部と〝衝突〟した。
例えば、500万円、1000万円、2000万円の稟議をあげた時は、審査課長から電話がかかってくる。「おい、支店長、こんな安い利率でどうするんだ。担保はどうした」と言って、ガチャンと電話を切られるようなことがしばしばあった。
筋道の通らないことに我慢できない山本氏は、電話を掛け直し、「われ、勝負したるで」と、当時20歳も年上の審査課長とやり合ったという。
本部に足を運んだ際、他の上司から、この事を散々からかわれたと苦笑して回想する山本氏である。
それだけ真剣だったということ。小さい融資額でも、真摯に取引先の事を考え、それこそ精魂込めて稟議書を書いた。
「はい、真剣そのものです。中小零細企業を守らなければいけないと。融資はそれだけ難しいんです。これは本当におかげさまで、わたしと仕事をした部下は、その光景を見ていますから、それを理解して頑張ってくれています」
お金は使っていただくものという職員全体の共有意識。
「これはもう、融資の仕事をしていく上での、わたしの原点なんです。これから少子高齢化や経営者の後継者難や事業継承など難しい問題も出てくるのですが、これを原点にしていくということです」
「お客様を救わなければ」という強い信念の下で…
金融業務には当然のことながら、貸し倒れリスクが伴う。このリスクにどう向き合うのか?
「お客様を絶対に救わなければいけないという信念。これがわたしには強くあるんですよ」
しかし現実に不良債権が生まれる。その不良債権を償却しながら業績を上げていくにはどうすればいいのかという命題。
「ミドルリスク・ミドルリターンでうちは仕事をしています」
普通は、ローリスク・ローリターンを選択しがちだが、窮状にある取引先の潜在力を掘り起こして支援していくには、ミドルリスク・ミドルリターンで臨むというのが山本氏の選択。
つまり、リスクを取って支援するには、貸出金利も一定程度高めに設定するが、それはあくまでも融資先と融資する側の共存共栄を図る範囲で金利を設定するということ。
不良債権比率は、2024年3月期で1.95%。前々期(1.55%)より増えているが、全体的に低水準で推移。かつて2000年代初めには、17%超もあったが、山本氏は専務理事、副理事長時代から、「シシンヨーの将来を考えた場合、不良債権を徹底してオフバランス化する」方針を貫いてきた。
理事長に就任して19年間に処理した不良債権額は累計918億円にのぼる。この決断の背景には何があったのか。
「一点です。シシンヨーを良くするためには、この不良債権を抱えていてはいけないという信念です。不良債権を抱えているとシシンヨーの将来はない。職員にもその事務や交渉で非常に負担をかける。わたしがいる時に、全部処理したら、負担も軽くなる。そうなれば、本来業務の預金・貸金に全力投球することができる。やらなければいけない事を徹底してやる。これがわたしの使命だし、先送りしてはいけないと」
不良債権処理を断行しながら、利益をきちんと確保していく経営に徹するということ。
「広島県内の中小零細企業のために、われわれの存在意義があるんだと。その中小零細企業は、メガや広銀の取引先と比べて財務内容は悪いです。もうハッキリ言ってリスクは高いです。けれども、そういう中小零細企業をどういう金融機関が対応していくのか。もし、われわれ広島市信用組合などの地域金融機関がなければ、そういう中小零細企業は終わりなんです」
山本氏は、「本当にリスクテイクをしながら、やるべき事をやっていきます」と強調。
お金は貸してやるものではなく、「使っていただくもの」という強い信念の下、取引先との共存共栄を図る〝シシンヨー〟の経営がこれからも続く。