京都大学(京大)、理化学研究所(理研)、名古屋大学(名大)の3者は10月17日、現代宇宙論で有力視されている宇宙が無から量子効果によって創生されたとする考えの詳細に関する「無境界仮説」と「トンネル仮説」の2つの仮説に対し、数学的な曖昧さを解消する形で宇宙の波動関数を第一原理から計算した結果、最終的に、宇宙の波動関数は無境界仮説ではなくトンネル仮説に予言されるものになることを、一定の仮定の下で厳密に示したことを発表した。

同成果は、京大 基礎物理学研究所の松井宏樹特定研究員、同・岡林一賢特定研究員、理研の本多正純 数理創造プログラム上級研究員、名大 素粒子宇宙起源研究所の寺田隆広特任助教らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する素粒子物理学や場の理論・重力などを扱う学術誌「Physical Review D」に掲載された。

現代宇宙論では、時空のない無から量子効果により宇宙が創生されたとする仮説が有力視されており、この「量子宇宙創生」を記述する代表的な枠組みとして、無境界仮説とトンネル仮説の2つが考えられている。前者は、宇宙の量子状態を記述する宇宙の波動関数が、時間を虚数にしたユークリッド型時空を経路とする量子重力の経路積分によって得られるというもので、後者は宇宙が量子力学的なトンネル効果により創生されたとするものとされている。両者のどちらが正しいのかは決着しておらず、たとえば前者は量子重力のユークリッド型経路積分では作用が正定値性を持たない点などが批判されている一方、後者も限定的な状況でしか示されておらず決め手に欠けるとして、長らく論争が繰り広げられていた。

2017年に海外の研究チームが、時間を虚数とするユークリッド型時空ではなく、時間を実数のまま扱うローレンツ型時空を境界条件とする量子重力の経路積分法を提案し、そのような問題の現代的な定式化が行われた。このローレンツ型経路積分法は、収束する可能性のある経路積分を用いて「Wheeler-DeWitt方程式」の解に一致する波動関数を導出できるため、量子重力の厳密な経路積分法として議論されている。しかし先行研究では、経路積分を物理的解釈が明確な形に書き換える際に、考えている物理的パラメータ領域が「ストークス線」と呼ばれる領域に位置するために数学的な曖昧さが生じることで、最終的な物理的解釈にも曖昧さが残っている状況だったという。そこで研究チームは今回、宇宙の一様等方性を仮定し、ローレンツ型経路積分法を用いて、量子宇宙論における無境界仮説とトンネル仮説を再評価することにしたとする。

今回の研究では特に、数理的な手法であるリサージェンス理論を適用することで、ローレンツ型経路積分に基づく量子宇宙の波動関数を再評価。物理的パラメータをストークス線外の領域にも拡張してローレンツ型経路積分を詳細に解析し、ストークス線に向かう極限を注意深く議論することにより、ローレンツ型経路積分における曖昧さの解消に成功したことから、無境界波動関数ではなく、トンネル波動関数が宇宙の波動関数としてより適切であることを厳密な形で示すことができたとする。

また、ストークス線に由来する曖昧さが、量子重力効果の摂動展開の総和を取る際に生じる曖昧さと正確に相殺されることも解明しており、これによりリサージェンス理論が量子宇宙論においても有効であることが確認されたともしており、今回の研究からローレンツ型量子宇宙論の枠組みにおける宇宙の波動関数をリサージェンス理論を用いて一貫して導出できることが示され、宇宙の波動関数を再評価する新たな方法が提案されたと研究チームでは説明している。

なお、研究チームでは、今回の研究成果については、無境界仮説とトンネル仮説の長年の論争の解決に向けた大きな一歩となることが期待されるとしているが、今回の研究にはいくつかの課題も存在するとしている。たとえば、量子宇宙創生における波動関数の導出が、特定の仮定に依存している点を挙げており、特に今回の研究では、単純化されたミニ超空間モデル(一様等方な宇宙)が主に扱われたが、現実的な解析を行うには、より複雑な宇宙モデルや設定においても同様の解析を行う必要があるとしている。

  • 量子宇宙創生の図

    量子宇宙創生の図。量子トンネル効果によって、宇宙が無から創生される様子 (c) サイエンス・グラフィックス社 (出所:京大プレスリリースPDF)