種子島の海と空が織りなす、刺すような青。その中でH-IIAロケットのオレンジ色は、強烈なコントラストを生み出している。オレンジ色はエネルギーやパワーの象徴とされるが、まさにそのとおりだろう。

H-IIAは、これまで数多くの衛星を打ち上げ、日本の宇宙開発において重要な役割を果たしてきた。そんな名機も、試験機1号機の打ち上げから23年を経て、まもなく歴史に幕を下ろす。

2024年9月25日、最後を飾る50号機が完成し報道陣に公開され、27日には種子島へ向けて出荷された。最後の打ち上げのときが、刻一刻と迫っている。

  • 完成したH-IIAロケット50号機のコア機体

    完成したH-IIAロケット50号機のコア機体 (C) 鳥嶋真也

H-IIAロケットが生まれる場所で

  • 三菱重工飛島工場

    三菱重工飛島工場 (C) 鳥嶋真也

H-IIAロケットは、愛知県飛島村にある三菱重工の飛島工場で製造される。名古屋駅から車で30分ほどの臨海工業地帯に位置し、周囲には他の工場や倉庫が立ち並んでいる。

ロケットを造っているからといって、なにか特別な見た目をしているわけではなく、そうと言われなければわからない、他の工場と変わらない外観をしている。

飛島工場はロケット専用ではなく、航空機部品なども製造している。ロケットは工場内の一画にある「第2工場」で組み立てられており、私たちが見学したのは、さらにその一部の「ロケット組立棟」という、その名のとおりロケット機体が組み立てられる建物である。

防じん服を着てエアシャワーを浴び、中に入ると、オレンジ色をした巨大な円筒形の物体――ロケットの機体が横倒しになり、所狭しと並んでいる光景が広がる。ロケット組立棟の広さは103m×30mほどであり、大型ロケットを何機分も並べる場所としては決して広いとはいえない。

H-IIAを構成している部品のうち、この工場で造られているのは第1段機体と第2段機体、そして両者をつなぐ段間部という部品で、これらを総称して「コア機体」と呼ぶ。ロケットエンジンや配管などの部品は取り付けられているが、ロケット機体の大半はタンクであり、工場の関係者曰く「ちょっとしたドラム缶」である。

だが、このドラム缶、もといタンクには、莫大なエネルギーを秘めた推進薬が詰め込まれ、それを燃やして、眩い光と轟音を伴い猛スピードで空を駆け上がり、秒速約8kmの軌道速度にまで達する。その事実を踏まえて眺めると、畏敬の念を感じ、とても冷静ではいられない。寝静まっているドラゴンに恐る恐る近づく、レベル1の冒険者の気分である。

ここで組み立てられたコア機体は、機能試験を終えて完成となる。その後、コンテナに積み込まれ、船で種子島へ送られ、種子島宇宙センターに搬入される。そして、機体を立てて組み立て、人工衛星を搭載し、宇宙へ飛び立っていく。

  • H-IIAロケット50号機の第1段機体

    H-IIAロケット50号機の第1段機体。ロケットエンジンはカバーで覆われている (C) 鳥嶋真也

H-IIAロケットが歩んだ四半世紀

この工場から、H-IIAの記念すべき試験機1号機が旅立ち、そして種子島宇宙センターから鮮烈な初飛行を飾ったのは2001年のことだった。それから23年あまりの間に、計50機のH-IIAがこの工場で生まれ、旅立っていった。

H-IIAは、日本初の純国産大型ロケット「H-II」の後継機として開発された。H-IIより前までのロケットは、宇宙開発事業団(NASDA) ――現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の前身のひとつ――が米国から技術を導入して開発し運用していた。そんな中、21世紀を見据え、世界に通用するロケットを、日本の技術だけで開発するという目的の下、H-IIは造られた。

H-IIは、打ち上げ能力こそ世界の主力ロケットに近づいた。しかし、1998年と1999年に連続して起きた打ち上げ失敗により、信頼性に疑問符がついた。さらに、コストが高く、商業打ち上げ市場で競争力を欠いていた。

そこで、H-IIでつちかった経験と実績をふまえ、構造の簡素化による信頼性向上とコストダウンを同時に実現することを目指して開発されたのが、H-IIAだった。

H-IIAは中型から大型ロケットの部類に入り、日本の主力ロケットとして、地球観測衛星から通信・放送衛星、さらには月・惑星探査機の打ち上げも可能な性能を備える。とくに、固体ロケットブースター(SRB-A)の装着本数を2本ないしは4本、またフェアリングも3種類の中から選択して装着でき、さまざまな質量、形状の衛星の打ち上げに柔軟に対応できることを大きな特徴としている。

この性能を活かし、国の重要な衛星から、海外の衛星、さらに小惑星探査機「はやぶさ2」など、さまざまな宇宙機の打ち上げを担い、日本の宇宙開発において重要な役割を果たしてきた。

  • H-IIAロケット48号機の打ち上げ

    H-IIAロケット48号機の打ち上げ (C) 鳥嶋真也

2001年8月29日の初飛行以来、これまでに49機が打ち上げられた。2003年には6号機が失敗を喫するも、それ以外はすべて成功し、成功率は約97.96%、また7号機以降は連続で成功しており、H-IIの課題であり、H-IIAの開発目標であった高い信頼性を実現した。

さらに、天候以外の理由、すなわちロケット機体や設備の故障などによる延期が少ない、高い“オンタイム打ち上げ”率も強みとなっている。

また、コストもH-IIから約半減させることに成功した。くわえて、2007年の13号機から、打ち上げ業務が三菱重工に移管され、同社による衛星打ち上げ輸送サービスが始まった。

商業打ち上げ市場への売り込みでは、韓国やカナダ、アラブ首長国連邦(UAE)、英国から、計5件の海外顧客からの衛星打ち上げを獲得し、一定の成果を残した。もっとも、十分に成功したとは言いがたい。たしかにH-IIよりは安価になったものの、より安価なロシアのロケットや、近年は米国スペースXの「ファルコン9」ロケットなどに対して、つねに苦戦を強いられてきた。

また、商業打ち上げ市場を始めとする、宇宙開発全体の変化と発展の中で、H-IIAでは対応できない場面も出てきた。

そこで2014年には、より抜本的なコストダウンや打ち上げ能力の向上、どんな衛星の打ち上げにも対応できる柔軟性の獲得、そして技術の継承などを目的に、後継機となる「H3」ロケットの開発が始まった。

H3は、2023年の試験機1号機の打ち上げに残念ながら失敗するも、2024年2月の試験機2号機の打ち上げで初成功を収めた。同年7月には3号機の打ち上げにも成功し、徐々に本格的な運用に向けた軌道に乗りつつある。

そして、H-IIAは50号機の打ち上げをもって退役することが決まった。H3の誕生を見届けるように、そのときが近づいてきている。

  • H-IIAロケット50号機のコア機体

    H-IIAロケット50号機のコア機体。写真中央の長い機体が第1段で、いちばん奥に見える短い機体が第2段と段間部 (C) 鳥嶋真也