TDKと東京医科歯科大学(TMDU、現:東京科学大学)は8月29日、磁気シールドルームレス環境での心臓活動計測が可能な座位型の心磁計を試作し、同環境下においてMR磁気センサによる心臓活動の計測に成功したことを発表した。
この発表に際し両者は記者説明会を行い、心磁計測を可能にしたデータ処理手法などについて説明するとともに、将来的な心磁計の活用可能性について言及した。
磁気センサを活用した心臓活動測定技術の共同研究
電子部品メーカーのTDKは、これまで培ってきた電子部品関連技術を活用し、事業の成長につながる新たな製品領域の拡大を画策している。その一例に、同社がHDDヘッドの製造において獲得してきた磁性材料技術を活用した磁気センサがあり、同センサによる新たな可能性の探索として、TDKは2014年ごろからTMDUと共同で、高感度磁気センサを用いた心臓活動測定技術の開発を行っているという。
この共同研究では、2016年に心臓の磁場分布の測定に初めて成功すると、2019年には心臓活動のリアルタイムモニタリングに成功するなど、数々の発表を重ねている。そして今回両者は、これまでの心磁計測が磁気シールドルームの内部でしか行えなかった点に着目。磁気シールドの無い通常の検査室においても計測が可能な心磁計の開発に挑んだとする。
周囲環境に左右されない心磁計測の実現へ
心磁計は、心臓の電気的活動によって発生する微小な磁場を計測することで、心臓の動きを非侵襲的に明らかにするもの。心磁計測では心電図とほとんど同じ波形を得ることが可能で、電極の貼り付けなどを必要とする心電計測に比べ、非侵襲かつ非接触で測定が可能である点が特徴だ。
ただし、従来の心磁計は臨床で広く使用されるには至っていない。その一因には、磁気センサとして超伝導量子干渉素子(SQUID)を使用していることがあるとのこと。測定の妨げとなる、電子機器などに由来する周囲の環境磁気ノイズを遮断するために、幾層もの金属からなる大規模な磁気シールドルームを必要とする上、液体ヘリウムによる冷却が不可欠で維持コストが増大するなど、医療機関への普及にはいくつもの課題が残されていたという。
そこでTDKとTMDUは、TDKがHDDヘッドの製造で培った薄膜技術およびスピントロニクス技術を応用して開発した高感度磁気センサ「Nivio xMRセンサ」を用い、シールドルームでなくても心磁を検知可能な心磁計の開発に着手。常温で駆動する同センサの感度を高めるとともに、±45μT(テスラ)という広いダイナミックレンジを実現した。
またTDKは併せて、ソフトウェア側で環境磁気ノイズを除去するためのアルゴリズム開発を行ったとのこと。心磁と同時に取得した環境ノイズをリファレンスデータとして使用し除去する「Adaptive Noise Canceling(ANC)」と、センサアレイ上で常時生じるノイズを別で計測したのちに、その分布を利用してノイズ除去を行う「Bayes-SSP」を開発し、信号処理による環境ノイズ除去を実現したとする。
精度向上の鍵はデータ処理手法
そして今回TDKとTMDUは、シールドルームレスでの心磁計測を実現するため、42個のNivio xMRセンサを組み込んだ座位型心磁計測システム「STORM system」を試作。東京医科歯科大学病院(現:東京科学大学病院)内の検査室に設置し、40名の健常者を対象に心磁計測が行われた。
計測にあたっては、計測対象者はセンサが組み込まれた部分に前からもたれかかるようにして座り、胸部前面からの計測を2分間実施したとのこと。また検証用のリファレンスデータとして、心電図も同時に計測したという。
その後は計測データをもとに、環境ノイズの除去効果、およびリアルタイム波形での心拍検出可否をそれぞれ検証するため、2種類の方法で正確性の検討が行われた。
加算平均により多角的な波形取得に成功
前者の検証としては、計測されたデータにデジタルフィルタ処理を加えたのち、先述のANCを行い外部ノイズを除去。そして取得された繰り返し波形の加算平均によってさらにノイズを低減したのち、Bayes-SSPによって振動などのノイズを除去することで、より正確な波形に近づけたとする。その結果、シグナルノイズ比(SNR)を35dB程度まで向上させることができたとのこと。この結果についてTMDU大学院 医歯学総合研究科 循環制御内科学分野の笹野哲郎教授(当時)は「心電図計測とほぼ同等の波形を得ることができたと言える」と話す。また今回のシステムが優れている点として、「42個並んだセンサそれぞれが、心臓との位置関係を反映した異なる波形を取得するため、心臓がどのように動いたかに関するより細かな情報を得ることができる」と語った。
特異値分解で高精度での心拍検出を実現
またリアルタイム波形の計測については、心磁計測データにデジタルフィルタ処理およびANCを施してから、行列計算による特異値分解を実施。これにより、ANCまでの作業完了時よりも明瞭な波形となり、42個の波形データから心拍検出に適したものを自動で選択でき、その波形を心電計測の結果と比較したところ、99.9%という高い精度で心拍の検出に成功したとする。
なおリアルタイム波形の計測は、心拍に乱れが生じる不整脈を検出するために重要な手法となる。共同研究では、不整脈患者10名を対象にした測定も実施され、不整脈によって乱れた心拍波形も今回の心磁計測手法によって正確に検出できることが判明。国内でも多くの患者が悩まされ、血栓ができることで重篤な脳梗塞につながることがある「心房細動」の検出にも貢献できるとした。
心電図との併用で心疾患診断法のさらなる向上に貢献
今回のTDKとTMDUによるSTORM systemを用いた共同検証により、心磁図からも心電図と同等の情報を得られることが明らかとなった。
この手法では、非侵襲・非接触での測定が可能であり、今後はより自然な座位姿勢でも計測できるよう背側からのセンシングを可能にするための技術向上を進めるとのこと。実現すれば、着衣のままさらに手軽に検査が受けられる上、胎児の心臓興奮など心電図では得られなかった項目も評価できる可能性があるとする。また従来の検査では困難であった、微小循環障害による心筋虚血の診断や不整脈疾患のリスク評価も可能になることから、今後の実用化が期待される。
TMDUの笹野教授は心磁図検査について、成熟技術として広く用いられ、さまざまな知見や標準データなど「多くの資産が存在する」という心電図検査に完全に置き換わるものではないとしつつも、「心電図が苦手としている部分を検出するために心磁図が大きな役割を果たす可能性がある」と話し、簡便な心疾患の診断法の開発などにつなげていきたいとする。
またTDK 技術・知財本部 センサ・アクチュエータ開発部の笠島多聞氏は、同社がNivio xMRセンサを医療機器として販売する考えはないというものの、「センサによって社会に貢献していきたいという想いはある」と語る。そして今後は、磁気センサの感度をさらに改善することでTMDUと共同でシールドレス心磁計測の進化に貢献するとともに、医療機器メーカーへのセンサ提供などを通じて医療診断への活用を広げていきたいとしている。