世界中が先行き不透明な今、日本は国としての進路をどう取るべきか─。「日本は、日本なりの特長を生かしながら、強い国づくりを目指すとき」という考えを三菱総合研究所理事長・小宮山宏氏は示し、「そのためには前向きの愛国心が必要」と語る。小宮山氏は、再生可能エネルギーや森林資源などのバイオマス、都市鉱山などを活用して完全循環型の『資源自給国家』をつくり、健康寿命を延ばし、アクティブラーニング活用による『人財成長国家』構想をすでに打ち出している。社会レベルのイノベーション(変革)をするためには、国民全体、各界各層の”意識の共有”が必要となる。氏自身は、人口減、少子化・高齢化が続く中、日本のどこでも、また誰もが輝く『プラチナ構想ネットワーク』の構築を民間企業、自治体と連携して推進。日本の伝統を重んじながらも、柔軟に対応する文化性や、基礎産業やコンテンツ領域の強さなどを生かし、「日本の利点を強化し、2050年までに強い国をつくる時」という小宮山氏の訴えだ。
日本再生を進める上で大事な問題意識の共有
『「課題先進国」日本』という著作を三菱総合研究所理事長・小宮山宏氏が世に送り出したのは2007年(平成19年)である。
同書は、小宮山氏が東京大学総長(2005年から09年まで)を務めていた時に刊行。その中で小宮山氏は、工学(エンジニアリング)の専門家として、化学システム・機能性材料から地球環境問題、今で言うSDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境、社会、統治)に関わる諸課題にソリューションを求める提言を行っている。
単に提言するだけではなく、小宮山氏は自ら実践する工学者として知られる。再生可能エネルギーなどの活用で、日本はエネルギー自給国家になり得るとして、東京・世田谷の自宅に率先して太陽光パネルを設置するなど、国民の意識改革を促そうと行動してきた。
氏が『「課題先進国」日本』を著したのは、日本は多くの課題を抱えているが、〝課題解決先進国〟になり得る能力とポジションが日本にはある─という認識があるからだ。
ただ、能力・潜在力を持っているのにもかかわらず、それを十二分に発揮できていないという苛立ちにも似た思いが氏にあるのも事実。
行動派の小宮山氏は、東大総長を辞した後、シンクタンクの三菱総合研究所理事長に就任(2009年)。先端技術と文化的創造力によって、輝きのある社会を実現しようと、『プラチナ構想ネットワーク』を設立(2010年8月)し、企業や自治体との連携を推進しているのも、日本が抱える課題を解決しようという思いがあるからである。
今、世界が混沌とした状況にあって、日本は自らの立ち位置をどこに定め、日本再生をどう図るか─という命題を抱える。
思想・信条や価値観が多様化し、乱立している中で政治も混乱し、世界情勢を左右する11月の米国大統領選の行方もまさに先行きが見えない。インターネットの登場や生成AI(人工知能)の活用で、わたしたちの生活は便利になり、社会の在り方にまで影響を及ぼしている中、人と最先端テクノロジーとの関係を含めた、新しい世界秩序、社会秩序をどう構築していくかという課題もある。
GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック=現メタ、アマゾン、マイクロソフト)や最近話題のエヌビディア(最先端半導体)のように、米国では最先端テクノロジーを駆使して急成長する企業が続出。無数のスタートアップがひしめき、世界市場を瞬く間に席巻する。
米国は、そうした米国流のダイナミズムで世界をリードしてきた。そして、その流れは今後も変わらないと思われる。では、日本はどのような生き方を選ぶべきか?
「日本はやはり自分の特長を生かした方がいいと思います」という考えを小宮山氏は示し、「だから米国との比較などはせず、日本ならではのやり方で」と語る。日本には日本の特長があり、良い所があるという認識。何事にも、良い面とそうでない面の両面があり、良い面を伸ばして実行・実践していくべきであるという考えだ。
小宮山氏は、産学連携の知的交流によって、50年後の日本の課題を戦略的に議論し、その解決を図ろうと、『TM研究会』を主宰している(この議論・研究成果は本誌『財界』に掲載)。
TM研究会は年末に、日本経済新聞社との共同シンポジウムを開催する予定。このシンポジウムには、内外から研究者や経営者、スタートアップ関係者が参加する。
例えば、日本企業の経営論が専門のドイツ人経営学者のウリケ・シェーデ女史(カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)が基調講演を行うことになっており、日本の優れた農業技術を集約したイチゴの植物工場を米ニューヨークで運営する古賀大貴氏(Oishii Farm社長、慶大卒、UCバークレーでMBA取得)や、金沢21世紀美術館の長谷川祐子館長なども参加の予定だ。
古賀氏の植物工場でのイチゴ栽培という都市部での農業も、長谷川氏の金沢での現代アートの美術館運営も、〝サステナブル(持続可能)〟がキーワードである。
「基調講演のシェーデさんは、日本の良い点、悪い点がよく分かっている人。シンポジウムは幅広く議論する場にしたいと思っています。日本はもう駄目だという議論が多い中で、日本の良い点も掘り起こしていこうと」と語る小宮山氏。
シェーデ氏のパートナーであるチャールズ・A・オライリー氏(米スタンフォード大学経営大学院教授)は、『両利きの経営』で知られる経営学者。企業は、『深化』を担う組織と、『探索』を担う組織を持つことが大事で、既存事業と新規事業を担うことで、イノベーション(革新)を起こし、活力を生み出していくことができるというのが『両利きの経営』論。
前向きの姿勢で日本が抱える課題を解決に導いていこうという考えの持ち主が多く集うシンポジウムになりそうだ。
一人ひとりが輝く『プラチナ社会』の実現を
世界的に分断・対立が進み、戦争・紛争も続く。その先行き不透明な状況の中で、日本再生をどう図っていくか?
「わたしは結局、日本を強い国にするということ以外にないと思っているんです。具体的に、それはプラチナ社会を実現することだと思っています」
『プラチナ社会』の実現─。資源・エネルギー不足、地球全体の環境悪化、東京一極集中により生まれる弊害など多くの課題を背負う『課題先進国』日本。こうした状況を逆手に取り、日本が再生・成長していくためのチャンスにして、『課題先進国』を『課題解決先進国』にしていこうという趣旨で始まった運動である。
問題意識を共有する企業と自治体が参加して、一般社団法人『プラチナ構想ネットワーク』が設立(会長・小宮山氏)されたのは前述のとおり。これまで言われているSDGsやSociety(ソサイエティ)5.0とも相通ずるものだが、後者と違うのは、「人と人のつながり(ネットワーク)であり、ネットワークを動かすと本気で決意した人」による運動体である─という小宮山氏の説明。
では、そのプラチナ構想をどう実践していくのか?
なぜ、今、『前向きの愛国心』なのか?
「プラチナ社会を実現するために必要なことは、『前向きの愛国心』だと。要するに、2050年あたりを視野に入れて、愛国心というのが重要なことではないかと思っているんです」
小宮山氏は、これまでの人類の産業革命以降の活動を歴史的に俯瞰しながら、2050年頃までの中長期的視点で、『前向きの愛国心』という言葉を使って日本の進むべき道を提言する。
産業革命は18世紀後半から19世紀前半にかけ、英国で起こった。石炭を活用して蒸気を起こし、蒸気機関で綿紡績機械を作り、蒸気船や鉄道を作った。
米国では、人々がより良い生活のためにフロンティア(開拓地)を求め、西へ西へと進み、米大陸最西端のカリフォルニアで金鉱が見つかると米国中から人々が押し寄せ、ゴールドラッシュとなった。
それが一段落すると、米国は太平洋に進出。ハワイ併合(1898)を成し遂げた後はフィリピンを領有といった具合に、フロンティアを探し求め続けてきたという米国の歴史。
この頃までは、地球は無限というのが人々の認識であった。
「ええ、今まで資本主義がゆっくりゆっくり進んでいた時というのは、地球もまだ人間に比べて無限だったわけです。その時は資本主義も非常によく機能して、うまく行っていた。しかし、今はそうではないという局面や事態が生まれてきたということです」と小宮山氏。
地球に〝限界〟が来ているということ。石炭に始まり、石油・天然ガスなどのエネルギー、鉄鋼やその他の金属資源など、自然由来の資源・エネルギーをほぼ取り尽くし、消費し尽くすことで、CO2(二酸化炭素)問題や産業廃棄物問題などが積もり重なって、地球の〝限界〟に近づいているというのが現実。
わたしたちはそれを、異常気象や風水害などの災害の多発という形で、肌で感じ取っている。
「地球全体に限界が来ている。転換期だから、本当に変わらなければいけない。やはり前向きであることと、国を愛するという心が本当に必要だと思います」と言う小宮山氏だ。
日本がフロントランナーになるために求められる事
小宮山氏は、『「課題先進国」日本』を著した時、サブタイトルに『キャッチアップからフロントランナーへ』と記している。
わが国の近代化は明治維新(1868)から始まった。今年は、その明治維新から156年が経つ。維新から敗戦(1945)まで77年、その敗戦後の再出発から今年で79年が経つ。
戦後79年、約80年の道のりを考えると、焦土から出発した日本は、1968年にGDP(国内総生産)で米国に次ぐ自由世界第2位の座に就いた(当時の経済指標は海外の生産を含むGNP=国民総生産で計算)。
しかし、2010年に日本は中国に抜かれて世界3位に、次いで昨年ドイツに抜かれて世界4位に転落。
1人当たりGDPで見ると、2024年、日本は前年の34位から38位に転落(IMF=国際通貨基金統計)。G7(主要先進国7カ国)で最下位のポジション。アジアではシンガポールが5位(8万8774ドル)、マカオが9位で、香港21位と続き、台湾(34位、3万4430ドル)、韓国(35位、3万4165ドル)の後塵を拝し、38位(3万3138ドル)まで転落した。
円安要因も重なってのランキング低下ということだが、基本的には国力の低下という現実。
日本は、1990年代初めのバブル経済崩壊から〝失われた30年〟という低迷期(デフレ経済)をたどってきた。今、ようやく、脱デフレという気運が高まり、企業経営者の意識も、コストカット型からディマンドプル(需要創造)型へと転換しつつある。
本来、ヒト、モノ、カネの経営資源を見た時に、「日本には潜在力はあるはずなのに…」という思いを抱く人は少なくない。
そんな中、ようやく前向きな投資も出てきた。熊本では、台湾の大手半導体メーカー・TSMCを誘致しての半導体基地づくりが進むなど、官民挙げて、投資が活発になってきた。
個人レベルでも、新NISA(少額投資非課税制度)が謳われ、人々の投資への意識も変わりつつある。
国、企業、個人の各領域で問題意識が共有され、それが実行されることは大事だが、留意したいのは、その実践行動が日本の国益に、真の意味でプラスになっているかどうかということである。
新NISAを例に、小宮山氏は「要は、貯蓄から投資へは正しいのだけれども、あの新NISAの投資がどこへ向かっているかということですね」と次のように続ける。
「新NISAは結局、海外株を買っている。日本株も買っているのだけれども、その中身を調べてみると、ほとんどはやはり海外投資を行っている日本企業ですよ。商社の株などは、みなそうじゃないですか。それを考慮すると、大体、新NISAの90%が海外投資に向かっているということです」
小宮山氏は、「世界の転換期の中で、日本を強くしようと言っている時に、日本の中に投資しなかったら、(日本は)良くならないわけですよ」と強調。
このままでは、「日本の空洞化はますます進む」と危惧する小宮山氏である。
『新しい資本主義』とは何か
「1991年に旧ソ連邦が崩壊して、『資本主義、万歳』ということになったわけですけれども、やはりそこに地球がもたないという状況が来た。環境の悪化ですね。地球は有限だから、低成長と格差による社会の分断も出てきて、それで『新しい資本主義』というものが求められているわけです」
小宮山氏は、今、政治の世界でも『新しい資本主義』が模索されている背景についてこうした認識を示す。
『資本論』を著したカール・マルクス(1818―1883)の時代は資本家と労働者の対立の時代。土地持ちなどの資産家が事業経営の資本家になるとして、数で言えば、0.01%位で、誰もが資本家になれるわけではなかった。一方、全体の99.99%は労働者階級であった。
裕福な資本家と、数としてまとまらないと力を発揮できない労働者層という対立の図式が続いた。
しかし、それは大分昔の話である。日本の場合、現在国民が持つ個人金融資産は約2200兆円と、GDP(約600兆円)の3.6倍強もの巨大な額にのぼる。このうち預貯金は約1100兆円にものぼる。
こうした預貯金を含む個人金融資産がいくらかでも投資に向けられ、共有財(コモン=Common)の整備やスタートアップ(新興企業)の育成に役立てば、社会全体に活力が生まれる。それが引いては、国力のアップにもつながるということだ。
新鋭の経済思想家、斎藤幸平氏(1987年生まれ)らは、『人新世』をキーワードに、人間の経済活動が地球を破壊しつつあり、コモンが失われつつあるという認識を示す。
「ええ、ですから、コモンに市民が出資する社会というものをつくればいいわけです。そうしたものがないから、新NISAをやっても、90%が海外投資に資金が流れてしまう」
小宮山氏は、個人の金融資産の活用を見直して、「食とかエネルギーとか、森林資源など循環型のインフラ整備、そして教育や健康、観光などに関するコモンに向かうようにしていくことが大事」と訴える。
そして、氏が重要課題として挙げるのが、『人財』(人材)の成長である。
「わたしはアクティブラーニングと言っていますが、要するに現場で学んでいく。高度成長期に日本人は現場で学ぶということをやってきた。ソニーやホンダもそうだったし、僕の関係した化学会社でも、どんどん新しいプラントをつくり、そこで学ぶ機会を与えると、自然と人が育つんですよね」
小宮山氏はこう語り、「子供から大人まで、アクティブラーニングをして、人財成長国家にしていくことが大事」と強調する。
『課題解決先進国』へ 「これは必ず出来る」
小宮山氏が目指すのは、『課題解決先進国』。日本が世界に先駆けて直面する課題に少子化・超高齢化、インフラ老朽化、荒廃する山林・農地に象徴される地方衰退などがある。そして経済の需要と供給の関係で言えば、どちらも飽和状態にある。
現在の世界の混沌・低迷状態を解明するキーワードは『飽和』。新しいフロンティアを求めて新市場を開拓して成長するという経済モデルは通用しにくくなった。
『飽和』の意味をしっかり認識し、新しい成長を実現するには、食をはじめ、資源エネルギー、森林などの循環システムを構築することが重要になる。鉄にしても、都市鉱山の循環システムで自給が可能だと氏は考える。
であれば、無資源国の日本も『資源自給国家』になり得るということである。
2010年に『プラチナ構想ネットワーク』がスタートして14年が経つ。全国に1718ある市町村のうち、このネットワークに参加しているのは222の自治体。
まだ参加自治体数は少ないといえば少ないが、このような社会レベルのイノベーションを成就させるには、それ相応の努力と時間がかかる。
例えば、エネルギー確保という問題がそうである。
「2050年までに、世界は相当脱炭素ができてしまうと思っています。その時、日本が今のように何もやらなかったらどうなるか。というのは、原子力で賄えるのはその時点で全体の1割位。残りの9割をどうやって確保するのかと。ここが重要なんですよ。それでよく考えてみると、国内エネルギーしか頼れないんですが、それが国内で出来るということなんですよ」
氏が続ける。
「今度、『プラチナ再生可能エネルギー産業イニシアティブ』というのをやるんです。『プラチナ森林産業イニシアティブ』に続いてね。(国内の)再生可能エネルギーが出来なかったら、(2050年時点で)世界はほとんど100%行っているのに対し、半分しか出来ていないとすればどうなるか。そうすると、残りの半分は化石資源を使う以外にない」
小宮山氏は、そうなると化石資源の購買価格が今の10倍ないしは100倍はすると〝警告〟する。
「だって、これは懲罰、ペナルティですからね。他の国がCO2対策をやっているのに、日本はやっていないということになればね」
他のアジア諸国の動きはどうなのか。シンガポールなどはマレーシア、インドネシアなどと協力して、「再エネになってしまっている可能性が高い」と小宮山氏は予測。
小国ほど危機感が高く、様々な生き抜き方を模索する。こうした現状況を考える時、小宮山氏は「どうしても、前向きの愛国心で解決策を構築せざるを得ない」という心境を明かす。
解決策を見出していくには、日本全体の意識改革が必要。
「この意識が共有されて、ある程度動きが出てきて、社会制度(インフラ)が整備されると、日本は雪崩(なだれ)を打つと思うんですよ」
プラチナ構想ネットワーク。これもその解決策の1つ。
「完全な形で出来るかどうか分からないですよ。けれども、出来ると信じてやっています」
『課題解決先進国』づくりへの営みがこれからも続く。