電通デジタルで人材開発プランナーを務める太刀川(たちかわ)貴之さんは、キャリアを自ら開拓して現在に至る。広告のプロフェッショナルから人材育成のスペシャリストへと転身を遂げ、現在では社外からも研修の依頼がくるという。太刀川さんに現在の取り組み、そしてキャリアの考え方などについて話を聞いた。
人材育成に足を踏み入れた契機は社内の異動制度
太刀川さんは2017年、それまで勤務していたインターネット専業代理店から電通デジタルに入社した。電通デジタルでは、主として自動車系クライアントのデジタル広告領域を担当した。
人材育成の世界に足を踏み入れることになったきっかけは、入社して5、6年たったころに目にした社内の公募制度だ。これは社員が自ら希望する部門に異動できるという制度で、ちょうど業務に「慣れ」を感じるようになり、今後のキャリアについて考えていた時に目に留まったという。
太刀川さんは「もともと育成や教育には興味があり、所属するマーケティングコミュニケーション領域の育成関係の部署に応募しました」と語る。
太刀川さんの背中を押したのは、それまでの広告の仕事で顧客からもらっていた「説明がわかりやすい」というフィードバックだ。「もしかしたら、人に教えることが得意なのかもしれないと思いました」と、太刀川さんは振り返る。
面接を経て、現所属領域内の人材育成部署に異動した。新部署は現領域に属するが、「前線で働くメンバーを支援する「ミドルオフィス」と太刀川さんは説明する。
実践に徹した研修プログラムを開発
現部署における最初の仕事は、第二新卒社員向けの研修プログラムの開発で、2カ月程度で基本的な業務をこなせるレベルまで育成するプログラムを手掛けた。
それまでの研修プログラムは動画が中心だった。これに対し、太刀川さんが着目したのが「ロミンガーの法則」だ。これは人が成長する要素である「現場の経験」「薫陶(先輩や上司からの指導)」「研修」の比率は「70:20:10」であるという法則で、プログラムを作成する際に参考にしたそうだ。
具体的には、広告の基礎知識、必要なOAスキル、広告運用といった内容を2カ月間で身に着ける研修を開発した。これらの内容について、実践的なワークを多く取り入れながら学んでもらうというプログラムが出来上がった。「ワークありきにしたことで、現場のニーズに応えるものになりました」と太刀川さん。同氏が顧客や上司になって広告運用のレビューをするなどのロールプレイングも行ったという。
このプログラムは受講者、会社から好評を博した。例えば、研修を受けた社員が顧客と雑談中に業界歴を話したところ、「それほど短い業界歴とは思っていなかった」というフィードバックがあったそうだ。
求める人財像をスキルマップで可視化
その後、太刀川さんは所属領域の既存社員のスキルを向上するプロジェクトに加わった。
そこではまず、曼荼羅マップを使って広告の領域で必要なスキルを64つ定義し、それぞれについて5段階で評価した。現在の人材を「メディアプラン」として、求める人材像を「広告専門家」「デジタルビジネスプロデューサー」「統合マーケ人材」の3種類に区分、各人材タイプで必要とされるスキルの重要度を具体的に表した。
例えば、最も難易度が高い「統合マーケ人材」は、「データアナリティクス等の知見があり、インサイト→消費者認知変容について、各専門家を巻き込んで企画・ディレクション、課題解決に沿った見極めと評価・推進ができる人材」といった具合だ。
そのような準備をした後、約500人の社員にアンケートをとり、自分がどの人材タイプに当てはまるのか、どの要素が強いのか/弱いのかなどがわかるようにした。その結果を本人やマネージャーと共有して、どういうプロジェクトアサインが必要かを話し合ってもらったり、また、太刀川さんの方で研修提供や動画提供をしたりしているという。
このほか、研修では組織横断をしてデジタル広告とクリエイティブがお互いに学び合うようなプログラムを作っているそうだ。お互いの業務を知ることで新たな気づきを得ることが目的で、今後は受講者がどのぐらい成長したのかを追跡することも考えている。
「人事計画グループで開発プランナーという役割を担っているので、横串で見ることができるとともに、育成という定量的に判断しにくい領域を定量的に効果計測が可能です」(太刀川さん)
パッケージ化して新規ビジネスを立ち上げ
このように、太刀川さんは人事計画グループに異動後、中途入社向け、既存社員向けの研修プログラムに取り組んできた。こうした取り組みに対する評価が少しずつ口コミで広がり始めた。太刀川さんの元に、社内だけでなく電通グループ全体、さらには外部のクライアントから依頼や相談が入るようになったのだ。
例えば電通では、新入社員やキャリア採用社員向けを中心に、デジタル広告の基礎を学ぶデジタル冊子を公開した。社外では、三菱地所より電通デジタルに依頼があり、同じようなテーマで3~4時間の研修を行った。三菱地所においては、デジタル広告で実務に活用できるノウハウに加え、代理店などの外部の企業の適切なコミュニケーションから結果にコミットする意識づけを学ぶことを目的として、ケーススタディを通じた実践的な演習を実施した。
太刀川さんに依頼がくる理由はいくつか考えられる。まず、電通デジタルには豊富なアセットがあり、その研修開発(アセット)を人材開発プランナーが行っていることがある。
加えて、デジタルの定義が拡張するとともに、リスキリング需要も同時に増えているほか、デジタルヘの移行が急ピッチで進んでいる時代背景もありそうだ。「広告の世界にデジタルが占める割合が増えていることから、キャリアに不安を感じる人が多いのでは」と太刀川さんは予想する。DX(デジタルトランスフォーメーション)、生成AIといった言葉が日々ニュースの見出しを飾るが、太刀川さんは、これらが「とっつきにくい」「わかりにくい」と感じる人が少なからずいると見る。
三菱地所の研修はすでに3回目が計画されているうえ、他の企業からの依頼もあるという。
このような社外からの依頼が続いていることから、太刀川さんは人材開発プランナーという電通デジタル初の職種を新設してもらった。そして、研修のパッケージ化も進めている。座学、ワークなどで構成され、顧客が扱う商材などに合わせてスタマイズできるようなものを作成中だという。
太刀川さんはこうした人材開発プログラムを新しいビジネスにしていく考えだが、単に研修を販売するだけでなく営業のツールとしての役割も考えているそうだ。「マーケティングの基礎、CRM、ブランディング、データアナリティクスと幅広い分野でサービスを提供できるのはわれわれの強み。これを生かして研修プログラムの領域も広げていきたいです」と目を輝かせる。
このように、人材開発プランナーとして順調なキャリアを築きつつある太刀川さんだが、ここに止まるつもりはないようだ。「ミドルオフィスでの経験を生かして、再度クライアントに向き合うというキャリアパスがあってもいいのでは」と話す。人材開発のプロ自身が、新しいキャリアの形を築いていこうとしている。