「方向性は間違いない。道を間違えないように手段を講じるのは私の日々の仕事」─東レ社長の大矢氏はこう話す。コロナ禍で厳しい状況になっていた炭素繊維事業だったが、いま改めて成長軌道に戻っている。それ以外にも繊維、水処理などが成長エンジンとして会社を牽引。技術力に定評がある東レ。その技術を生かすビジネスモデルの構築が、営業出身の自身の使命だと大矢氏。今後の戦略は─。
環境変化があることを前提に対応していく
─ 政治・地政学リスク、金利環境など様々な不確定要素がある中ですが、今の経営環境をどう認識していますか。
大矢 アメリカの大統領選挙にしても、地政学リスクにしても、先が読めずに混沌としているというのが正直な感想です。その意味で変化がある、環境が変わることを前提に対応しなければなりませんから、足元をきちんと固めることが大事です。
我々が定めている方向性は間違いないと思いますので、時に戦略を軌道修正しながら、道を間違えないように手段を講じていくことが、私自身のデイリーワークだと思っています。
─ 製造業を中心に業績数字は改善傾向にあります。
大矢 当社もそうですが、コロナ禍でサプライチェーン全体で積み増した在庫の調整に時間がかかっていたものが、ようやく正常に戻りつつあるというのが今の状況ではないでしょうか。
一方、実需見合いの部分でモノが動き始めましたが、地政学リスクによるスエズ運河の閉鎖など、一部でサプライチェーンの混乱は続いています。
さらにアメリカでドナルド・トランプ氏が大統領になると中国に対して関税の引き上げが予想されるということで、足元で半導体関連やIT関連の商品の中国からアメリカへの輸出が増えています。
そのような中で、当社商品でも出荷が増えている商品についても増え方のトレンドを見極め、需要が伸びているもの、仮需が入っているものなど、最終商品のサプライチェーン全体の動向を見ながらマネジメントしていくことが重要です。
─ 東レの主力製品の一つである炭素繊維の業績も改善傾向にありますね。
大矢 23年度は需要については前年比でダウンしました。これは、それまで需要が拡大していた風力発電翼が、金利の上昇や電力価格下落などでプロジェクトが停滞したこと、コロナの反動で需要が一気に拡大したゴルフや自転車などのスポーツ用途が調整局面に入ったこと、天然ガスを中心とした圧力容器も戦争の影響で調整が入ったことなどが要因です。
それが24年度は巡航速度、2桁成長に戻って、さらに拡大しています。特に航空・宇宙分野では航空機の環境性能を高めるための軽量化や、次期航空機向けに需要が増えています。
26年度以降には水素ビジネスが出てくる見通しです。水素を輸送するための水素タンクの素材は、当社の炭素繊維の使用がマストと言っていい分野です。水素関連の売上は2030年には25年比で4倍に拡大すると見ています。
さらに洋上風力発電向けの翼も炭素繊維はやはり2030年には25年比で1.3倍、今後立ち上がる「空飛ぶクルマ」は同10倍に伸びると見ています。
炭素繊維全面採用の飛行機が飛ぶまで40年
─ 先の展望は明るいと。長年にわたって炭素繊維に取り組んできたことで積み重ねた技術が生きている形ですね。
大矢 ええ。我々は1960年代初めから素材開発をして、最初に商品化したのが1971年のことです。その後、主要な構造材料に全面的に当社の炭素繊維を使用した飛行機が飛んだのが11年です。そこまで40年かかっています。
それまではゴルフや釣り竿、自転車などスポーツ用途や、様々な産業用途の需要拡大に努めてきたことで事業として継続することができました。これは欧米企業にはできないことだと思います。日本人の忍耐力、民族性のようなものがバックボーンにあると思っています。
─ 日本人、東レの耐える力が大きかったと。
大矢 耐える力を含めた技術の極限追求がマッチしたのだと思います。当社と三菱レイヨンさん(現三菱ケミカル)、帝人さんの3社で、この素材を世界的に事業化してきたのです。その中で当社はありがたいことにトップシェアです。
中国勢の追い上げはありますが、当社は高強度、高弾性の技術開発を進めています。象徴的なのは航空機用の炭素繊維ですが、安全性を担保する部分の、ハイエンドの商品を絶え間なく提案していくことができる技術力に強みがあります。この開発はエンドレスで進めています。
─ 事業は業績がついてこないと継続できませんが、炭素繊維はどうでしたか。
大矢 実は03年以降で見ると、赤字だったのはリーマンショック後の09年と、コロナ禍の20年の2回しかないんです。開発に着手した当初から、目標を航空機に置いていましたが、先程お話したようなスポーツ用途も含め、素材に合うマーケティングで用途開発をしてきたことが大きかったと思います。
─ 大矢さんが入社したのは1980年ですが、当時は合繊不況などもあって厳しい状況もありました。その中でも技術開発を続けてきたわけですね。
大矢 合繊不況の中で、各社が非繊維、脱繊維の動きを取る中で、東レも繊維以外のビジネスをどう成長領域に持っていくかが経営の優先課題だったと思います。ただ、他社のように「繊維をやめる」という考えはなく、きちんと利益が出るまでやるというDNA、研究も含めて自由闊達な雰囲気の中で様々なことにチャレンジしていく組織風土がベースにありました。
─ 大矢さんは営業畑ですが、営業と研究陣との関係をどう考えていますか。
大矢 当社では、事業にダイレクトに直結する研究と、コーポレートで費用を持って行う、将来に向けた先端の研究の2つの考え方があります。
前者は研究部分の課題と事業が連携して、3年など短期のレンジでマーケティングを行い商品化して世に出していく。その部分では研究と事業とが一体化しています。そして事業ごとに繊維であれば繊維研究所、樹脂・ケミカルは化成品研究所、炭素繊維は複合材料研究所、医薬・医療は医薬研究所という形で事業に紐づいた研究所があります。
一方、コーポレートで費用を持つ、中長期的に取り組む分野では、先端材料研究所、先端融合研究所を持っています。こうした中長期的な研究がなければ、2050年のカーボンニュートラル、サステナブルな社会実現のためのイノベーションを伴った先端材料を生み出すことはできません。
その最たる分野が水素分野での電解質膜や、ガスからCO2を分離する膜の技術です。これらの実現が我々に求められている社会的使命だと思います。同時に、事業の発展と社会課題解決が両立しなければ、事業は存続できません。
─ 事業を通じて社会課題を解決することが大事だと。
大矢 そうです。当社は「新しい価値の創造を通じて社会に貢献する」という企業理念を実現するために事業を行っています。そして、それがサステナブルであるためには収益が上がっていなければなりません。
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「三振してもフルスイング」
─ 社長就任から1年以上が経過しましたが、社員に対してどういうメッセージを出していますか。
大矢 最近は例えば「三振しても良いからフルスイングしよう」といった言葉を伝えています。当社のDNAを改めて社員に発信し、共有することが大事です。
自由闊達な組織風土の中で多様な人材が活躍し、それぞれがトライ&エラーを繰り返すことで、自分がやりたいことを実現し、それが社会貢献につながることが必要です。
今回のコロナ禍では、ややもするとマインドが内向きになりがちでした。その意味でもう一度原点に返ろうと。ちょうど26年に100周年を迎えますから、東レが100年続いた理由を改めて社員に訴えており、その象徴的な言葉が「三振してもフルスイング」なのです。
─ 海外市場の不透明感が高まっていますが、どのようにリスク管理をしていきますか。
大矢 当社はグローバルに事業展開する上で地産地消を基本としていますが、その上で、グローバルなサプライチェーンによるオペレーションができることも強みです。
近年、サプライチェーンの分断リスクが出てきましたが、オペレーションを変えることでリスクを軽減できる経営体制になっています。
その思想で事業を行っていることで、先端材料の半導体関連や、経済安全保障に絡む分野の炭素繊維など、事業拠点がアメリカ、欧州、韓国、日本にあることで、環境が変化しても事業拡大ができる体制ができていることが強みだと考えています。
当社は1955年に香港に商事会社を設立するなど、日本メーカーの中ではいち早く海外に出ています。それから連綿とオペレーション体制と人材育成が伝承されており、それが無形資産になっていると思います。
─ 先人達が積み重ねてきた歴史が強みになっていると。
大矢 そうです。振り返れば2000年前後に繊維事業が大赤字になった時、ビジネスモデルを変えなければならないと、私も含めた若手の課長が集まって、東レの繊維事業の強みについて議論し、提案したんです。その時に、やはり当社の強みはオペレーション力だと感じました。当社の強みは無形資産にあると改めて実感したのです。
また、97年から東レ社長を務めた平井克彦が繊維本部長を離任する際に「東レの繊維事業の歴史は、グローバル・リエンジニアリングと意識改革の連続」という言葉を残しました。グローバルに生産設備を変えたり、あるいは高度化することで時代の中で意識を変え、新たな仕掛けやマーケティングをやり続けてきた歴史がある。私もそう思います。
─ その意味で今後、繊維という分野に限っても、新たな素材が生まれてくると。
大矢 そうですね。代表的なのが「ナノデザイン」という世界で当社にしかない製造技術です。繊維の断面を自在に設計出来るし、いくつかの種類のポリマーを組み合わせて新しい機能を与えることもできます。
例えば、世界でPFAS―Free、つまり人体への悪影響が指摘されるフッ素を使ってはいけないという規制が出てきました。その中で従来、レインウェアの撥水性はフッ素で実現していたのですが、ナノデザインで断面をハスの葉のような構造にすることで撥水機能を持たせることができるようになります。
他に医療材では、例えば人工透析に中空糸膜が使用されますが、これも構造をナノ単位で変えることができます。医療、ヘルスケアは今後も可能性があると見ています。
「高成長・高収益」の事業を拡大していく
─ 改めて、大矢さんは社長としての自身の使命をどう捉えて経営していますか。
大矢 私の最大のミッションは収益を上げることです。例えば17年の繊維事業の利益率が8%だったのに対し、昨年の実績は5%でした。今年は6.5%を見通していますが、私としてはまず8%に持っていきたいと。同時にナノデザインなどの先端材料や用途開発、既存事業やエリアの拡大を進めて、利益率8%、事業利益1000億円を目指していきます。
─ その他の事業も含めて、事業構造改革への取り組みは?
大矢 この中期経営課題では事業を四象限に分類して、横軸に収益性(ROIC=投下資本利益率)、縦軸に成長性を取ります。「高成長・高収益」の層を拡大し、「低成長・低収益」の層を精査し、場合によっては撤退、縮小も検討します。
また、投下資本が大きく、収益率が低い事業については昨年、「DARWINプロジェクト」という収益改善プロジェクトを立ち上げて取り組んでいます。
当社には先程お話した「勝つまでやる」というDNAがありますが、時代の変化も踏まえて、経営的にメリハリを付けていくことも大事だと考えています。
その中で次の東レを引っ張る事業は炭素繊維、水素、膜を中心とした水処理事業です。中でも膜事業には大きな広がりがあり、海水淡水化、テキスタイルの染色後の排水処理、EV(電気自動車)電池材料であるリチウムの回収、半導体工場における超純水の製造など無限大にマーケットがありますから、成長エンジンにしていきます。
当社には0から1という事業の種はたくさんあります。その1を10、100にしていくビジネスモデルの構築は、マーケットに近い、営業出身の私の使命だと思っています。