日銀の金融政策が市場に翻弄されている。7月末の金融政策決定会合で追加利上げを決めた植田和男総裁が円安是正を意識して金融正常化に積極的な「タカ派」姿勢を打ち出したことが災い。投資家の動揺を招き、歴史的な株価暴落と急激な円高に見舞われた。
7月決定会合前、市場関係者の大半は、日銀が今回、追加利上げを見送ると見ていた。過度な円安が輸入物価高を通じて家計を圧迫する事態を懸念した茂木敏充・自民党幹事長ら政府・与党幹部の一部からかねて日銀に対し円安是正に向けて利上げを催促する声が出ていたのは確かだ。
だが、7月11、12日の政府・日銀による大規模な円買い・ドル売り介入をきっかけに円安進行にいったん歯止めがかかり、円相場は今回の会合直前に一時、1ドル=151円台後半と5月上旬以来の円高・ドル安水準を付けていた。このため「株価や為替相場に波乱を起こしかねない量と金利の同時引き締めはやらないだろう」(米投資会社幹部)というのが市場のコンセンサスだった。
ところが、フタを開ければ、短期の政策金利を0.25%に引き上げる追加利上げを断行。さらに、植田総裁は記者会見で「経済・物価情勢に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく」などと「タカ派」発言を連発。
これを受けて、市場では超低金利の円を借りて高金利のドル資産に投資する「円キャリー取引」の急速な巻き戻しが起きた。
個人消費の弱さを示す経済データが相次ぐなど、景気の先行き不透明感が残る中で、あえて7月利上げに踏み切った背景には、2つの理由があった。1つは円安是正に汗をかく姿をアピールしたいとの思いだ。実際、植田総裁は利上げの理由の1つとして「円安の影響で物価見通しが動くかもしれないということを重大なリスクとして判断材料にした」と認めている。
もう1つは政治的要因への配慮。次回会合がある9月には自民党総裁選があり、結果次第では、新総裁(新首相)の下で早期の衆院解散・総選挙の可能性も取り沙汰されている。「政治の季節になれば政策修正に動きにくくなる」(企画局筋)というのが中央銀行マンの常識で、政局に煩わされる前に金融正常化の第一歩を踏み出すのが得策と考えたようだ。
しかし、タイミングがいかにも悪かった。折しも米国では8月2日に公表された7月の雇用統計で失業率が市場の事前予想よりも大きく悪化。株式市場では、円安による日本企業の収益嵩上げ期待が吹き飛び、日経平均株価は一気に1987年10月のブラックマンデーを凌ぐ史上最大の下げ幅(前週末終値比4451円安)を記録した。
青ざめた日銀は内田眞一・副総裁が8月7日の北海道函館市での講演で日銀のタカ派イメージの打ち消しに躍起となった。投資家の間には「市場の反抗に日銀が白旗を掲げた」「利上げをいったん封印せざるを得ないだろう」との声が飛び交った。「日銀の右往左往ぶりが植田総裁や中央銀行の信認を傷つけた」(元理事)ことは否定し難い。
金融正常化の出鼻で市場との対話に失敗したことで、日銀の政策運営は一層厳しくなった。投機筋の中には「植田日銀は当面動けない」と見て、再び円売りや円キャリー取引を仕掛けて短期的な儲けを狙おうとする動きも出始めている。
一方、米景気後退が現実味を帯びれば、日銀はいよいよ窮地となる。利下げ余地が5%以上あるFRBと異なり、政策金利がわずか0.25%の日銀は景気を下支えする手段が乏しいからだ。量的緩和拡大に逆戻りすることも杞憂ではない。
10年も続いた異次元緩和を滞りなく手仕舞いし、金融を正常化させるのが植田総裁の最大の使命。日本経済活性化へ─。道のりは険しいが、地道な取り組みが求められる。