発症から3年で約半数が死亡してしまうという神経難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)。有効な薬剤がないALSに対する治療法を生み出そうとしている医療ベンチャーがある。慶應義塾大学発のケイファーマだ。社長の福島弘明氏はエーザイ出身。同じく慶大の医師と手を組み、iPS細胞を使って時間の短縮とコスト削減を実現し、有効な治療方法の確立を目指している。
動物実験を省ける新薬技術
「新しい多能性幹細胞であるiPS細胞を活用することで、直接、人の細胞を使って新しい薬を見つけることができる」─。こう強調するのはケイファーマ社長の福島弘明氏だ。
同社はiPS創薬事業と再生医療事業を手掛ける慶應義塾大学発のバイオベンチャーとして2016年に設立。23年には東証グロースに上場した。同社が対象としている新薬は難病に特化している。いわゆる未だに有効な治療方法がない「アンメット・メディカル・ニーズ」だ。
特に同社が開発中の薬に期待の声が寄せられているのは、ALSや脊髄損傷、脳梗塞など、有効な治療法が確立していない中枢神経疾患に特化しているからだ。福島氏は「当社は神経系のiPS創薬と再生医療で先頭を走っている」と話す。
ALSと言えば、治療困難な難病だ。運動神経が阻害され、全身の筋肉がマヒしていく。症状が進行すると、手や足が動かなくなり、話すこともできなくなる。そして、生命維持に欠かせない呼吸運動も困難になる。発症からの生存期間は平均3年。約半数が死亡するという。10年後の生存率も10~20%程度だ。ALSの患者数は、日本では約1万人、世界では約33万人と言われている。
ケイファーマが開発しているALS治療薬「ロピニロール」は血縁者に発病者がいる家族性ALSと血縁者に発病者がいない孤発性ALSの両方を対象とする。前者は約1割を占め、後者が約9割を占めている。現在、iPS創薬事業で6本のパイプライン(新薬候補)を持つ。
同社は患者由来のiPS細胞を用いて疾患の特異的な情報を持つiPS細胞を作り、そこから分化誘導(分裂して自分と同じ細胞を作る幹細胞が特定の化合物や蛋白質により、異なる細胞に分化を引き起こすこと)した神経細胞を使って、疾患のメカニズムの解析や薬剤のターゲットになり得る物質や遺伝子を解析。新たな治療法や治療薬の開発を目指している。
ケイファーマ社の取り組みで画期的な点は、その開発手法にある。通常、新薬開発では臨床試験の前に疾患モデル動物で有効性の評価を行う。しかし、同社の場合は患者由来のiPS細胞を活用することで、その工程を省くことができる。福島氏は「薬の安全性や有効性を確かめるための動物実験を省くことができ、新薬開発に必要な期間を数年、費用を数十%削減することができる」(同)と話す。
実はグラクソ・スミスクライン社が開発したロピニロールはパーキンソン病の治療薬として世界中で売れている。ただ、そこからALSなどに効果のある薬剤候補であることを見出すことができていなかった。
しかし、福島氏と共にケイファーマの設立に参画した神経科学の第一人者・岡野栄之氏(同社取締役CSO=最高科学責任者)が、ロピニロールがALS治療薬候補になる可能性があることを突き止めた。その手法はスクリーニング(疾患を改善する作用を持つ物質を薬剤候補の集団から見出したり、最も高い薬効を示す物質を選別する作業)で、既存薬を活用して薬剤候補となる化合物を見つけ出したのだ。
福島氏は既存薬を「ダイヤモンドの塊」と例える。研究者が汗水垂らして進めてきた研究成果を効率的に活用することによって、ゼロからでなくても画期的な治療薬を見出せる可能性を示したわけだ。ロピニロールの添加実験では、ALS由来の神経細胞が約70%まで回復することが示されており、「他社のデータでは10%も回復していないケースもある」(同)。ALSの市場規模は日本で約250億円、北米で約8250億円だ。
日本空港ビルデングも出資
そしてもう1つの事業が再生医療事業。病気や事故で失われた身体の機能を、iPS細胞などを用いて再生し、機能回復を目指すもの。同社は健常人のiPS細胞から作った「他家iPS細胞」から分化誘導した自己複製能を持つ神経前駆細胞を移植することで、損傷機能を再生する研究開発を進めている。
21年には慶大の医師主導で亜急性期の骨髄損傷の臨床試験を開始し、世界初のiPS細胞を活用した患者への移植を成功させている。また、慢性期骨髄損傷への展開も視野に入れており、慢性期脳梗塞や外傷性脳損傷などを対象に大阪医療センターとの連携で治験を進めていく予定だ。
興味深いのは羽田空港旅客ターミナルを運営する日本空港ビルデングなどが出資している点だ。「羽田エリアで臨床試験(治験)ができる環境を整え、再生医療のエコシステムの構築を目指す」と福島氏は話す。新たなモダリティを発掘するため、米国でラボも設置する予定だ。
福島氏はもともとエーザイの研究者だった。だが、他の大学発の医療ベンチャーの経営者と違って人事などのマネジメントも担当。「希望退職制度の対応など苦しい経験もした」(同)だけに、ケイファーマの経営にはプラス要因となっている。
再生医療は成功確率やコストなどの面で大手製薬メーカーは手を出しにくい領域でもある。その中で「製造機能を持つ製薬メーカーを目指す」という福島氏。治験もさることながら、経営という数字の算盤を弾きながら〝不治の病〟を治す薬の開発に身を投じる考えだ。