「技術を生かして、ニッチな事業領域の中で収益性を高めていく」─旭化成社長の工藤氏はこう話す。マテリアル、住宅、ヘルスケアの「3領域経営」を進めている旭化成。コロナ禍やサプライチェーンの分断で大きな打撃を受けるなど厳しい状況にも直面。だが「やるべきことがクリアになった。変革のチャンス」と前向きに捉える。電池材料や医薬で大型投資を決めるなど積極経営を進める旭化成の今後は─。
コロナ、地政学的リスクで受けたダメージをバネに
─ コロナ禍やロシア・ウクライナ戦争でエネルギーや原材料価格の高騰など化学業界を取り巻く環境は大きく変わりました。現状をどう見ていますか。
工藤 コロナ禍、そして同じようなタイミングで地政学的リスクが顕在化し、足元ではウクライナに加え中東が非常に厳しい状況になっています。コロナ禍で需要が急減し、その後収まってきて需要が戻るかという時に地政学的リスクでサプライチェーンが分断されたという流れです。その中で旭化成も大きなダメージを受けました。
ビジネス上、非常に厳しい環境になったわけですが、その中で感じたことは、アセットが軽く、アジャイルに動ける事業は、瞬間的には厳しい状況になりましたが、立ち上がるのも早かった。
逆にアセットが重い事業はサプライチェーンが傷んだ時のインパクトが大きいですし、石油化学のように相対的に差別化が難しい事業は厳しい状況になりました。
今回のコロナ禍、サプライチェーンの分断、インフレなどによって、収益の浮き沈みが激しい事業や、事業環境変化に対応する力が弱い事業が顕著になったということです。その意味で、我々が進むべき道、やるべきことが極めてクリアになりましたから、変革していく絶好のチャンスです。この機を逃すと、改革のチャンスは巡って来ないだろうと思っています。
─ 危機こそチャンスだと。様々な事業を手掛ける旭化成の強みを改めてどう見ていますか。
工藤 旭化成は様々な事業をやっており、1つのカゴに全ての卵を入れてはいません。悪く言えば事業が分散されているということですし、良く言えば事業機会を獲得するチャンスを多く持っているということです。
しかも、従業員が複数にわたる経験を持っている。多様性、ダイバーシティの時代と言われる中、それ以前から様々な知識、経験を持った多様な人材がグループにいるということです。様々な経験をした人材を経営基盤でどう生かすかということについて大局的、俯瞰的に理解出来ています。そこが旭化成の土台の強さだと思います。
─ 多様な事業を持つ強みが人材の面でも出ていると。
工藤 ええ。もう1つ大事なのは、事業を持ち続けていると、数が永遠に増え続けますから、ポートフォリオの変革をしなければ、持続的な成長が難しくなります。
従業員は、自分達がやっている事業が撤退、売却されるかもしれないという不安を常に持つことになりますが、ポートフォリオ変革は旭化成のDNAであり、普遍的に取り組むべきものです。旭化成は、そこに対する前向きな覚悟を持つ会社であり、チャレンジングな気持ちを持った従業員が多いことも強みではないかと思います。
強みを持つ湿式セパレーター
北米で大型投資を決断
─ 創立の時から旭化成は強さを伸ばし、変えるべきものは変えてきたと。直近も、電気自動車(EV)の電池の主要材料となるセパレーターで大型投資を決めていますね。
工藤 自分達の技術を生かして、ニッチな事業領域の中で収益性を高めていくのは旭化成のDNAに近いと思っています。
今回、以前から注力してきた湿式セパレーターに関し、カナダで約1800億円の投資を決定しました。
我々は電池、セパレーターについては先駆的に取り組んできましたし、ファーストランナーでした。PCやスマートフォンなど民生から需要が高まり、今は車載用の需要が爆発的な形で増えてきています。
ただ、我々も含め、日本メーカーにありがちなのが「逐次増設」です。半導体の世界が今、そうなっていますが、需要が伸びることを見越して、一気に投資をして「待ち伏せ」し、世界で勝つというように、戦略的に行動できていないのが現状です。
─ その理由は何だと考えていますか。
工藤 先程申し上げたように多角化経営で、1つのカゴに全ての卵を入れない形だからです。ニッチで育っている時はそれでいいのですが、需要が爆発する時に、1000億円を超えるような投資をして勝負を賭けるような覚悟は決めていないし、なかなかできていないのです。
ですからIPO(新規株式公開)で資金を集め、国の補助金を大量に得た韓国勢や中国勢に車載用途では抜かれていきました。
我々は日本企業にありがちな形で後れを取りましたが、需要が今後も伸びることは間違いありませんし、日本に製造設備も持っていますから、ここで諦めるわけにはいきません。
─ そこが、今までのやり方の反省点だし、それがカナダへの投資の動機になったと。
工藤 そうです。まず需要が増える地域として北米マーケットに注目しました。湿式セパレーターで進出している企業はありませんでしたし、国から補助金が出ることもわかりました。
我々自身の技術やお客様との擦り合わせ技術も進化していますし、自動車メーカー、電池メーカーからも「ぜひ北米でやって欲しい」というご要望を多くいただきました。
今回の投資では日本政策投資銀行からも出資していただき、ホンダさんと合弁会社の設立を検討するという形で、リスクをミニマイズし、かつ北米に打って出ることができました。過去の反省を生かして、新しい形で旭化成の中で事業を成長させる、ニッチ戦略から〝卒業〟した形のエポックメイキングな投資です。
─ 世界のセパレーター市場でリーダーシップを握る可能性があるということですね。
工藤 そう思っています。今後、電池も変わっていきます。今のリチウムイオン電池が完成形ではなく、耐久性やEVの航続距離を長くするために進化していく。その進化するリチウムイオン電池に対して、セパレーターとしてどういう技術を投入するかという観点では、旭化成は世界で一番だと思います。
「3領域経営」が持つ強み
─ マテリアル、住宅、ヘルスケアの「3領域経営」を進めていますが、今後のあり方をどう考えていますか。
工藤 当然のことながら、旭化成が出来た時から「3領域経営」を考えていたわけではありません。市場を俯瞰し、事業の多角化を進める中で、我々の強みを生かすためにマテリアル、住宅、ヘルスケアという形で括った方が会社として安定感が増すだろうということで現在の形になっています。
3領域経営は、それぞれ違う分野で利益を上げて、という単純なものではなく、各領域にそれぞれの役割があります。
例えば住宅領域を見ると、日本の住宅市場の環境は、人口減少などもあり、非常に厳しいものがあります。その中にあって、旭化成の住宅事業は、多角化経営下における住宅事業経営という意味でベストプラクティスだと思っています。
─ どういう点が優れていると?
工藤 効率性を極めて重んじた経営をしています。都市部に事業を集中して人材を投入し、ブランドを徹底的に磨き上げるということを戦略的に進めてきました。
また、市場環境に合わせてアジャイルに変化する経営ができていますし、今までは個人の力を徹底的に磨いてきましたが、チームワークのビジネスに変えています。
旭化成は創業から100年以上経ちますが、住宅は一昨年50周年を迎えました。その中で「ヘーベルハウス」というブランドは中高級から高級というイメージが定着しました。
そしてグループの中では、キャッシュを徹底的に稼ぐという大きな役割があります。このキャッシュ創出力を高める投資は、外を問わず進めていこうというのがポリシーです。
国内での新たなビジネスモデル構築に加えて、アメリカ、オーストラリアに進出して、国内で培った技術やノウハウを持ち込むことで収益力を高めてキャッシュを創出しています。
─ ヘルスケア領域では、今年5月にスウェーデンの医薬品メーカーの買収を決めていますが、今後の戦略は?
工藤 ヘルスケアには、旭化成グループの中でも最も高い成長を期待しています。2030年頃には3領域の中でも最も収益を上げる領域に育てたいと考えています。
この分野も、旭化成ならではの極めて領域を絞った形で事業を展開しています。例えば、クリティカルケア事業では、心疾患周辺の領域に絞った形の展開を今後もM&A(企業の合併・買収)を活用しながら進めていきます。
この領域はAED(自動体外式除細動器)、着用型自動除細動器「LifeVest®」、中枢性睡眠時無呼吸症(CSA)の体内植え込み型治療機器などを手掛けており、今後も特化した領域で広がりを持って成長していきます。
もう1つ、医薬事業では今回スウェーデンのカリディタス社を約1700億円で買収することを決定しました。同社は米国で「IgA腎症」という難病の治療薬として初めて承認された「タルペーヨ」という薬を持っています。
元々、我々は19年に腎移植後に使われる免疫抑制剤を手がける米ベロキシス社を約1400億円で買収しています。つまり、今回の買収は腎疾患領域で、より〝川上〟の医薬品を手に入れた形になります。関係する病院や医師は重なりますし、開発品のパイプラインを揃えることにも資する買収です。
医薬では世界のメガファーマが投資しないような規模のニッチな領域に絞った事業展開を進めています。
グリーン化に取り組むことで自ずと石化再編の議論に
─ マテリアル領域は、環境問題など、多くの課題を抱えていますね。
工藤 マテリアルは旭化成のルーツです。しかも今、地球環境問題が世界的な課題となっています。その課題に正面から対峙して、新たな技術、ビジネスモデルを持続的に創出する企業であり続けることが我々のミッションであり、その中心になるのがマテリアルなのです。
我々が今、中期的な取り組みとして掲げているのは水素製造設備、CO2ケミストリー、そして先程お話したセパレーターなどの電池材料、蓄電池の研究開発になります。こうした技術がなければ、旭化成の看板は半分なくなってしまうというくらいの強い思いで取り組んでいます。
─ CO2ケミストリーとは、環境問題における厄介者であるCO2を原料にする取り組みですね。
工藤 そうです。すでにCO2を原料にした化学品、ポリカーボネートの製造技術は確立しており、多くの企業にライセンスしています。
これは我々が石油化学事業の中でも最も磨いてきた「触媒」の技術があったからこそできた事業です。ポリカーボネートだけでなく、リチウムイオン電池の電解液の原料を製造できる技術などに領域を広げています。この事業は世界有数の化学メーカーなどからもライセンスの依頼が来ています。究極のアセットライトビジネスですし、そうしたメーカーとWIN・WINの関係になりますから、新たなビジネスモデルとして取り組んでいきます。
─ 石油化学事業は再編の動きも出てきています。
工藤 先日、三菱ケミカルグループさん、三井化学さんと今後のGHG(温室効果ガス)排出削減、グリーン化に向けて、どう技術を西日本で磨いて進んでいくかについて3社で検討していくことを発表しました。
どの技術が効率的でコストパフォーマンスが高いか、といったことを議論し合うわけですが、その中で我々にとって、今後どのくらいのエチレン需要があると考えるべきなのかという議論が必然的に出てきます。
一方、経済安全保障の観点で、単に石化ビジネスが厳しいからといって止めてしまっては困るという誘導品が各社にありますが、完全に把握し切れていません。それらをきちんと調べていく必要があります。
ですから、明日明後日に結論が出るものではなく時間がかかると思いますが、この1年以内には方向性をまとめたいと考えています。