金融庁長官に井藤英樹氏が選ばれた理由とは?

金融庁長官に7月5日付で前企画市場局長の井藤英樹氏が昇格した。「豪腕トップ」と評された前長官の栗田照久氏が1年で退任、最重要ポストと見られてきた監督局長の経験がない「制度屋」の井藤氏が後を襲ったことは、霞が関や金融界で「サプライズ」と受け止められた。

「伊藤ではなく井藤なのか」。6月末に長官人事が発表されると、財務省幹部の間からこんな驚きの声が漏れた。有力視されていたのは栗田氏続投。そうでない場合は監督局長の伊藤豊氏が昇格するとの見方がもっぱらだった。金融庁内には井藤氏の名前を挙げる声もあったが「ダークホース的な存在」だった。

 井藤氏就任の理由は「資産運用立国」推進の功績が大きかったから。「制度づくりの司令塔」として、新NISA(少額投資非課税制度)の導入など制度づくりを主導、目覚ましい成果を挙げてきた。特に新NISAを巡っては、与党税制調査会や古巣の財務省主税局の抵抗を押し切り、税制優遇の抜本拡充と制度の恒久化を実現した。

 一方、監督局長の伊藤氏は、古巣の財務省が長官就任を強力に推してきた経緯がある。同省官房中枢の秘書課長を4年務め、森友学園への国有地売却を巡る公文書改竄問題では事態収拾に奔走。財務事務次官候補の一角とも見られていたが、本人の「金融行政をやりたい」との希望で19年に金融庁に転じた。

 東大入学までに浪人を経験した伊藤氏は60歳で栗田氏と同い年。役職定年(局長級は60歳)との関係で早期の長官昇格が望まれていた事情もある。今回は定年延長の申請を認められ監督局長に留任。局長級の役職定年は3回まで延長が認められ、長官の定年は65歳のため、伊藤氏が長官に昇格する芽は残る。

 バブル崩壊後の金融危機時の「金融処分庁」、金融円滑化を通じた新産業育成を目指した「金融育成庁」と、時代とともに役割を変遷させてきた金融庁。今は資産運用立国の実現に邁進するが、後ろ盾の岸田政権は支持率が低迷。政治状況が変わっても「貯蓄から投資へ」の流れを日本に定着させることができるか。