「諦めたら負け。諦めは失敗を意味する。だから、やり続けることが成功につながる」─。医薬品の開発業務受託機関(CRO)で知られる新日本科学会長兼社長の永田良一氏はこう語る。同社は5月、都内で初となる試食会を開いた。その中身は人工シラスウナギを生育したウナギだ。今後は量産化に向けて沖永良部島で設備投資を始めている。なぜCROがシラスウナギの人工生産に乗り出したのか。そこには永田氏が心に秘める思想信条と夢があった。
1000匹以上の生産に成功
─ 永田さんは世界初となる人工シラスウナギの大量生産に取り組んでいます。5月には東京都内で初めて試食会も行いました。
永田 はい。2014年に研究を開始し、17年にはウナギの稚魚であるシラスウナギを3匹生産することに成功しました。陸上での人工海水によるシラスウナギ生産としては世界初の快挙でした。
その後、少しずつ生産数を増やし、23年には1000匹以上の生産に成功しています。今後は人工生産したシラスウナギを通常の養鰻で親ウナギに育てていくステージに入ります。
─ まだまだ改良できる余地があるということですね。
永田 ええ。必然的にそうなっていきます。我々がすべてのシラスウナギを飼育して親ウナギにまで育てていくわけではありません。シラスウナギを人工生産できれば、あとは親ウナギにまで育てるのはそれほど難しくありません。
現在、シラスウナギは鹿児島県の沖永良部島で生産しているのですが、加えて指宿市の「メディポリス指宿」にも設備をつくり、そこでシラスウナギを親ウナギまで飼育します。
─ 海で育てないのですね。
永田 はい。沖永良部島では海水を使った飼育を行いますが、残りは通常と同じ淡水の環境で養鰻をします。おそらく普通のウナギに生育していくと考えています。試食会で使ったウナギは海で育てたので皮が厚かったのですが、淡水ではそこまでにはならないと思います。一部の方からは「シラスウナギはそのまま養鰻場に出荷すればいいのではないか」と言われましたが、それには数が足りません。
養鰻場が必要としているシラスウナギは数十万~数百万匹の規模です。しかし、今の段階でそのような規模の生産はできません。前期実績で1000匹でしたからね。まずはこの1000匹のシラスウナギを自社で親ウナギにまで育て上げていくことにします。
そして、これまでは海水でシラスウナギを親ウナギにまで育てていましたが、次のステージでは淡水で育てることができるかを検証します。その上で再び大規模な試食会を開き、皆様にとってどういう味がするのか、調理師が料理してどうなのか、そういったことを調べていく。それが次のステップです。
─ 市場流通にのせるまでにはもう少し時間がかかると。
永田 そうですね。ただ、やるべきことは分かっています。我々がしっかりと流通にのせなければと思っています。
今後は水槽の整備が課題に
─ 水槽の設計は設計会社と組んで進めるのですか。
永田 いいえ、自前でつくります。複雑で高度なノウハウが必要ですからね。幸運にも当社にはものづくりが得意で、手先の器用な社員がいますので一緒に伴走してつくります(笑)。
─ なぜ指宿にも研究拠点をつくるのですか。
永田 沖永良部島だと、どうしてもすぐに手に入らない材料がありました。そこで水槽の試作品は指宿で作りますが、本格的にシラスウナギを大量生産するときには沖永良部島の施設を拡大します。それこそ水槽を何千個と設置する必要が出てきます。
まずは今の1000匹のシラスウナギ生産能力を1万匹に拡大することが目標です。そして100万匹、さらには1000万匹にしなければなりません。そうすると、水槽も膨大な数が必要になるでしょう。ですから、水槽づくりが大きなポイントになってくるということです。
─ どこまで新日本科学が手掛けるのですか。
永田 水槽の試作品は私が設計してつくりました。今後は水槽の製造業者に発注することになります。複数の複雑な部品から構成されていますので業者に発注しても、現状では作れないでしょう。ウナギの飼育に関するノウハウがありませんからね。いま我々が開発した水槽のプロトタイプが数種類あるのですが、どれが一番良いかは長期に飼育してみないと分かりません。ですから、試行錯誤でやり続けていくことになります。
─ 試食会の反応は。
永田 非常に褒めていただきました。嬉しかったですね(笑)。昼食で頻繁にウナギを食べる経営者や政治家もいらしたのですが、「お世辞ぬきで、こんなに美味しいウナギ、生まれて初めて食べました」と言っていただけました。個人的には普通に食べるウナギの味とは少し違っていたかなと。ただ、脂の乗りは良かったですね。
沖永良部島の地方創生にも寄与
─ 大きな期待が持てますね。親ウナギを生産するにあたっては沖永良部島と協力して進めていくのですね。
永田 もちろんです。役場や漁協の方々が協力してくれます。沖永良部島には和泊町と知名町という2町があり、島内人口は約1万2000人ですが、シラスウナギの大量生産が軌道に乗れば地方創生に大きく寄与できると考えています。
私が思い描いているのは沖永良部島でシラスウナギを生産し、一定量は沖永良部島でそのまま親ウナギにまで育てて蒲焼の真空パックをつくっていくこと。そうすれば、ふるさと納税の返礼品として沖永良部島産ウナギが提供できるようになります。
完全人工養殖の沖永良部島産ウナギの蒲焼を全国各地に配送できるようになれば、沖永良部島の地域振興につながるはずです。というのも、養鰻場を管理する人、ウナギをさばいて蒲焼にする人、それを冷凍して全国に発送する人など、地域の雇用にもつながるからです。そうすれば、沖永良部島に一大ウナギ産業ができることにもなるでしょう。
─ 〝沖永良部ウナギ〟といったブランドになれば、まちおこしにもなり、世界の市場も視野に入ってきますね。
永田 はい。ウナギはアジアの国々の人々は好んで食べますし、フランスやイギリスなど、ヨーロッパ諸国の人も食べます。スペインではシラスウナギの料理があり、1人5万円もする高級料理として知られています。
─ ここまで来るのに10年かかったわけですね。
永田 そうです。シラスウナギになる前のレプトケファルス(幼生)は脆弱で、すぐに死んでしまう。飼育方法や飼育環境がよくなければ全滅します。当初はレプトケファルスの5%がシラスウナギになるまで生き残ることを目指していました。しばらくの間は0%でした(笑)。
そこから3年経って3匹できた。その3年間に採取した受精卵は約1000万個です。1000万個の受精卵で、数百万匹のレプトケファルスを育成し、その中でシラスウナギまで生き残ったのが3匹。苦労しましたね。
─ 永田さん自身が執務室でウナギを飼っていましたね。
永田 ええ。「金太郎」と名付け、鹿児島本社にいました。10年生きていたのですが、ウナギはペットとして飼うことができると分かりました。天然のウナギは人を見たら逃げるのですが、金太郎は飼育されているので人が寄ってくるとエサをくれると分かる。ですから、自分から寄ってくるんですね(笑)。
しかも、エサをあげようとして水槽をコツンコツンと叩くと、金太郎は水槽の中にある筒の中から抜け出し、スーッと垂直に立って水面近くまでやってきてエサをもらおうとするのです。それでピンセットで乾燥エビを掴んで与えるとパクッと食べて、またスーッと筒の中に戻っていく。私は金太郎とはそうやって遊んでいましたね(笑)。
─ 鹿児島県と言えばウナギの産地でもあります。中でも池田湖は大ウナギで有名ですが、川とはつながっていませんね。
永田 はい。大きいもので全長2メートル、直径が20センチ近い大ウナギがいるようで、池田湖の大ウナギは金太郎と同じマリアナ海溝からやってきます。おっしゃる通り、池田湖は川とつながっていません。ですから海から川を上がって来れないということになります。
そこで私が推察するに、ウナギは雨の日に近くの川から陸地をヘビのように這いつくばって山越えして池田湖に入るのではないだろうかと。そんなことを考えると、ウナギは本当に不思議な生物と言えます。
─ これまでどのくらいの投資をしてきたのですか。
永田 10年間の研究開発に10億円を使いました。先ほど申し上げたように当初は失敗ばかり。ただ、私は諦めません。そういう性分なのです。ビジネスでも米国の子会社が8年間ずっと赤字で暗いトンネルをほふく前進で進むようなことになっていたのですが、様々な経営改革を行って黒字化まで再建させ、社員も継続して雇用しました。
ウナギの養殖も「大欲」
─ 諦めないというのが永田さんの信条だと。
永田 諦めたら負けですからね。諦めてしまうことは失敗を意味します。ですから私の場合は、とにかくやり続けていれば、どこかで芽が出る、光が見えてくると。そこまで頑張り抜く。そして光がパッと見えたときに、それをしっかり掴んで頭を上げれば、その時点で成功したと言えるのではないでしょうか。
ただ、全てがそうなるとは言いません。頑張れば何とかなるものに対しては頑張ります。一方で、これはどう見ても難しいと思ったものは撤退します。例えば、海外で行政の認可がどうしても下りない場合などですね。無理するとコンプライアンスに問題が生じます。
─ その中で永田さんは弘法大師の「大欲に生きる」という言葉を座右の銘にしていますが、この大欲とウナギとはどう絡んでいくのですか。
永田 大欲とは大きな志、大志を意味する言葉です。大欲という考え方がなければ、私はシラスウナギの人工生産に取り組むことはなかったと思います。シンプルにウナギが日本の文化から消えてしまうことを防ぎたかったからです。
ニホンウナギは絶滅危惧種となっており、このままいけばウナギは間違いなく日本の食卓から姿を消します。日本人として、ウナギの文化がなくなることは寂しい。もう一つは鰻屋や養鰻場の人々も仕事を失ってしまう。それも防ぎたかった。
新規事業は目先の利益を考えていたら決してうまくいきません。勝利の女神も微笑んでくれません。社会に貢献できる事業であって、かつ、相当大きな困難が何年も続く。それを金銭的な面でも精神的な面でも耐え抜く。それでこそ大欲に生きることになるのです。
経営者として諦めないで耐えられる要因をそろえることも大事ですが、何よりも大志を持つことです。日本は今、外圧で厳しい状況にありますが、若い人たちには頑張って欲しいです。