昨今はやりのLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)。LLMや生成AIには業務効率化や一部の業務を代替できる可能性があり、「人間の仕事を奪う」といった意見も各所で見られる。筆者もマイナビニュースTECH+編集部としてテキストを扱う仕事をしているわけなので、無論ひとごとではない。

実際に、生成AIは記事を執筆する業務にも一部では非常に役立つ。だがしかし、プレスリリースを基にした文章要約や補足情報の検索・追加をはじめ、インタビュー記事の構成や執筆を完全に生成AIが代替するのはまだ難しいだろう。文章としての正確性はもちろんのこと、ハルシネーションや情報の正確性は最終的に人間がチェックする必要がある。最新技術と上手に付き合っていけたらと思う。

そうした中、以前参加したイベントで、日本語に特化して開発されたLLMは、特に日本の文化や歴史といった詳細な知識が求められるタスクで高い性能を発揮することを知った。それは、ソフトバンク100%出資子会社のSB Intuitionsが日本語最高性能を目指して開発を進めるLLMだ。

そこで今回、SB IntuitionsでLLMの研究開発に携わる2人の研究者に話を聞いた。2人とも、アカデミア(大学研究機関)での経験を積んでから同社で民間企業のキャリアをスタートした経歴を持つ。アカデミアと民間企業の研究生活の違いや、今後のキャリアの目標などを紹介したい。「これから進学するか就職するか」「このまま研究生活を続けてよいのか」と悩んでいる人も、ぜひ参考にしてほしい。

  • 岡照晃氏

    岡照晃氏

岡照晃氏
2013年 日本学術振興会, 特別研究員(DC2)
2015年 奈良先端科学技術大学院大学博士後期課程修了, 博士(工学)
2015年 京都大学, 大学院 情報学研究科 知能情報学専攻 知能メディア講座, 特定研究員
2016年 国立国語研究所, 言語変化研究領域, プロジェクト非常勤研究員
2016年 国立国語研究所, コーパス開発センター, 特任助教
2021年 東京都立大学, 日野キャンパス システムデザイン学部 情報科学科 小町研究室, 特任助教
2023年 一橋大学, ソーシャル・データサイエンス研究科, 特任助教
2023年 東京都立大学, 客員研究員
2023年11月 SB Intuitions 所属
【現在の業務内容】
事前学習モデル(チャット形式の質問応答を学習する前段階のLLM)の性能評価に従事。評価に使うデータセットや、それらに合わせた評価方法・評価尺度の策定を行なっている。

  • 品川政太朗氏

    品川政太朗氏

品川政太朗
2013年 東北大学工学部卒業
2015年 同大学大学院情報科学研究科修士課程修了
2020年 奈良先端科学技術大学院大学博士後期課程修了、博士(工学)
2020年 同大学助教を経て2024年4月よりSB Intuitionsに所属
【専門】
Vision and Language(画像と言語の融合領域)
対話システム
【現在の業務内容】
2024年4月よりVLMチーム立ち上げメンバーとしてマルチモーダル基盤モデルの研究開発に参画。最近は特に日本語にも強いVision-Language Models (VLM)の構築を目指した研究開発に従事。

大学の先生から、なぜ民間企業の研究者に?

研究者を目指したきっかけを教えてください

岡氏:私は工業系の高専(高等専門学校)の出身ですが、実は中学校までは文系で数学などがとても苦手でした。ただ、制服がないこととロボットが好きだったことを理由に、高専に進学しました。高専に進学してからは、数学に叩きのめされながらも、実験とレポート提出の日々を過ごして研究に慣れていきました。

高専の4年目か5年目だったと思いますが、掲示板に奈良先端科学技術大学院大学の学校説明会のチラシが貼られているのを見つけました。「なんか名前がかっこいいな」と思い詳しく調べてみたところ、楽しそうな研究テーマに取り組んでいることを知りました。

それまで私はロボットの制御を勉強していました。ロボットを制御するためには実世界の空気抵抗や摩擦など、熱力学や流体力学、電磁気学などさまざまな分野の知識が必要で、やりがいはありましたが大変でもありました。だから世界をもっとシンプルに扱いたくて、ロボットの頭脳を研究する分野に興味を持ったのが現在の研究分野に入ったきっかけです。当時、瀬名秀明さんの本が好きで、ロボットの思考実験に関する本を読んでいたこともきっかけの一つです。

品川氏:私は小さいころからモノをいじるのが好きだったので、エンジニアになりたいと思っていました。大学で情報系の学部に進んだのですが、当時はまだディープラーニングもなく、形式的な言語の記号論理学や数学によって人間の知能を表現する試みが進められていた時代です。そのとき、「人間の知能はこんなものなのか」と絶望した記憶があります(笑)。

私が大学院修士1年生くらいのときに、ようやく日本にもディープラーニングが入ってきました。当時立命館大学にいらっしゃった谷口忠大さんの著書『コミュニケーションするロボットは創れるか』を読んで、人間の心や知能をディープラーニングで模倣して理解するアプローチに興味を持ちました。

学生時代に私は東北大学で柔道部に所属していたのですが、先輩後輩とのコミュニケーションや、自身のやりたいことと周囲の人のやりたいことの齟齬に悩んでいたこともあります。そうした悩みを機械的に支援できたらおもしろいかなと思っていたという背景もありますね。

  • SB Intuitions

アカデミアから民間企業へと就職した経緯を教えてください

岡氏:私は以前、日本語を研究する国立国語研究所に所属していました。ちょうど任期が切れるタイミングだったのでアカデミアの就職先を探していたのですが、面接でしばしば「企業経験はありますか?」と聞かれました。これからアカデミアで上のポストを狙うためには、大学の外で何かしらの活躍をしておかなければいけないと感じました。「ずっとアカデミアの世界にいる人」と「民間企業でも経験を積んだ人」では、周りからの見え方も違うようです。

そのようなタイミングで、SB Intuitionsに声を掛けてもらいました。他に大学機関でも並行して選考が進んでいたのですが、先に内定をいただいたSB Intuitionsに入社を決めました。民間企業に就職するのは、ちょっとした賭けのような気持ちでした。

品川氏:私も岡さんと似たようなきっかけで入社しました。以前から、いつかアカデミックな世界を離れて見分を広げようと思っていました。前職のボスが民間企業とアカデミアを行ったり来たりしている人だったので、その影響もありますね。

私が研究しているVLM(Vision and Language Model:視覚言語モデル)の分野は、世界的にもチーム戦になっています。より多くの人を巻き込んで、多額の資金を集めて研究を進めるイメージです。しかし、どうしてもアカデミアにいると個人や研究室単位での勝負になりますので、勝ちにくい印象です。日本としてVLMの分野で世界と戦うためにどうしたらいいのかを考えていたタイミングで、SB Intuitionsに声を掛けてもらって入社を決めました。

民間企業と大学での生活の違いとは

アカデミア時代と民間企業に入社後で、1日の過ごし方は違いますか

岡氏:まったく違いますね。大学の研究室にいたら優先すべきは学生の研究です。研究室では、学生がどんな研究をしているのかを把握して、論文執筆が始まったら添削するなど、学生のフォローが生活の中心です。

民間企業に移ってからは自分の研究テーマに集中して取り組めますので、もう一度自分が学生に戻ったような気分です。「研究のここの部分が足りないよ」や「もっとこうしないといけないよ」など、過去に学生に指導していた言葉が、現在の自分に返ってきています。もしまた学生に教える立場になったら、この経験を生かして学生に伝えられることが増えそうです。

生活スタイルも変わりました。大学の研究室では学生の授業のスケジュールに合わせて自分のスケジュールが決まるような感じです。企業では関係者数人のスケジュールを確認して調整するだけなので、密な連絡が取りやすくなりました。

  • SB Intuitions

品川氏:私も以前は助教をしていましたので、岡さんのお話はすごくよく分かります。研究室では学生の研究に割く時間が1日の大半で、残った時間を自分のために使っていました。大学では学生の研究上のトラブルや研究生活のトラブルなどに迅速に対応するために、常に気を張っていなければいけないので大変でした。その分、学生の研究がスムーズに進んだり学会で賞を取れたりすると、非常に大きなやりがいを感じていました。

生活の面では、以前は奈良県で狭い部屋に住んでいたのですが、現在は少し広めの部屋に引越して、室内で運動をできるようになりました。また、現職では学生の急なトラブルの心配もありませんので、自分のスケジュールをコントロールしやすくなったと感じます。

アカデミアと民間企業ではキャリアに差がありますか

岡氏:研究の業績数には違いがあると思います。アカデミアの研究室では学生と一緒に研究に取り組むので、自身の名前が載る論文が増えて認知度にもつながります。民間企業では、研究成果を外部に公表するかについて会社の判断が必要になるので、なかなか自分の取り組みをアピールしづらいです。

  • SB Intuitions

品川氏:私の研究領域について話しますが、VLMの研究は計算機のリソースが必要な分野です。私自身としてはアカデミアの世界の方が性に合っていると思うのですが、研究室では計算機リソースを獲得しづらい課題があります。しっかりと研究費を獲得して高性能なマシンを確保しなければいけませんが、これがなかなか難しいです。

もちろん会社によりますが、民間企業の方が比較的多くの研究資金を確保しやすいというメリットがあると感じます。岡さんも話していましたが、企業にいることによって情報発信力は落ちてしまいますので、その点は研究者としてはデメリットかもしれません。

これからのキャリアの夢について聞いた

今後のキャリアの夢や目標を教えてください

岡氏:私は学生時代から続く研究生活の中で、「辞書」をテーマにしています。形態素解析ツールの一つにMeCabというものがありますが「岡さんが一番MeCabを使い込んでいるのでは」と評してもらうこともありますし、自分でもそう思います。一つのことをやり続ける性格を、SB Intuitionsは評価して声を掛けてくれたのだと思います。

企業でも一つのテーマを突き詰めて研究することを期待されていると思うので、まずはSB Intuitionsでとことん研究してみたいです。その先ですが、ゆくゆくはアカデミアの世界に戻りたいとは思っていますが、まだ漠然としていて明確なビジョンは描けていません。当面はこの会社で自分のやりたいことを続ける環境を作りたいです。

品川氏:VLMの研究は朝起きたら世界が変わってしまうことがあり得るほど、非常に流れの速い領域です。ある日突然「もう君の研究は不要」と言われてしまう可能性も考えておかなければ、と思っています(笑)。

ただ、これからどんなに高性能なAIが作られたとしても、それを扱うために「教育」はいつの時代でも必要だと思います。そういう意味では、教育のためにアカデミアに戻る未来もあり得ます。企業の中にいても学会などを通じて学生と交流できますし、必ずしも「民間企業」と「アカデミア」で区切れるものではなく、実は意外と地続きですので、そのときに最も良いパフォーマンスを発揮できるように考えていたいです。