「日本経済の中で、価格競争は一番大きな問題だと思います。単なる値引きによる価格競争は、経済再生に不可欠な、付加価値を毀損してしまいます」─。こう語るのはキッコーマン名誉会長の茂木友三郎氏。茂木氏は公益財団法人日本生産性本部会長も務め、日本経済再生において各企業の生産性向上、付加価値を高めるための改革を推し進めている。「競争するなら品質やサービスなどによる非価格競争を」という留学先の米・ビジネススクール教授の教えをもとに、現在の日本での行き過ぎた価格競争に警鐘を鳴らす。茂木氏が訴える価格競争の危険性とは─。
他国とは対話を重ねた経済活動を
─ 海外投資が日本は盛んになってきていますが、その国の産業事情と絡んで難しい局面も見られます。キッコーマンは50年ほど前にしょうゆの工場をアメリカ・ウィスコンシン州につくりましたが、この場所を選んだ決め手は何でしたか。
茂木 地理的にもアメリカの真ん中にあり、全米へ商品を運ぶ面で利便性が高かったことと、原料である大豆と小麦の入手に適した場所であったことが大きな点でした。それから現地の人が勤勉に仕事に取り組むという地域性があり、非常に労働力の質が良かったのです。
─ 最初は大きな工場の建設に、現地の人から戸惑いの声も大きかったと思いますが、このときはどのように彼らと対話を進めていきましたか。
茂木 彼らの意見を聞いていくと、日本の企業であるから工場建設に反対だというわけではなかったのです。農地に工場ができることにより自然破壊が起きたり、現地の農業を圧迫したりするのではということに抵抗があるということがわかりました。
ですから、われわれの事業はアグリビジネスだということを伝え続けました。その土地で生産される原料となる大豆や小麦を使うので、現地農家と共存共栄であると。私どもの経営がうまくいけば、農家の皆さんの暮らしもそれに伴って良くなると、プラス面を熱心に伝え続けました。
─ このとき茂木さんはまだ30代でしたね。
茂木 ええ。当時36歳でした。3カ月ほど対話を続けました。最後に承諾してもらった時は本当に嬉しかったです。
今も現地の人たちとは非常に仲良くしています。当時説得した現地の人たちはほぼ亡くなってしまいましたが、その方の息子や孫世代になっても仲が良いです。
ある意味、最初に反対されたことが結果的に良い方向につながったのかもしれません。対話を重ねるために何回も会いに行ったことで、現地の人たちもだんだんと理解を示してくれるようになっていったのです。最終的には非常に良い関係になり、地元の道を歩くと顔見知りばかりで、気軽に「Hi」と挨拶し合う間柄になりました。
─ そのころ日本企業がアメリカに進出し始めていた頃でしたね。
茂木 はい。だいたい同じ時期に進出されたのは吉田工業(現YKK)やソニー(現ソニーグループ)です。
グローバル経営における日本の立ち位置
─ 今年のアメリカ大統領選ではいまトランプ氏が再選となる線が濃く「もしトラ」から「ほぼトラ」といわれています。
安全保障の問題や経済においても懸念されることがありますが、日本はどう対応していけばよいでしょうか。
茂木 誰が大統領になるかというのはアメリカの国民が決めることです。ですから他国で誰が大統領になるかについて、あまり意識過剰にならないほうが私は良いと思っています。
─ 米国自身の問題だと。
茂木 誰が当選したとしても、われわれはその人とよく対話し、お互いにとって良いかたちで物事を進めていく姿勢が大事であると思います。他の国のことをわれわれが論じることは、失礼極まりない話ではないかと思います。同じように日本も他国からいろいろ言われたら良い気持ちはしませんからね。
ですから粛々と状況を見ていればいいのであって、どんな状況になったとしてもちゃんと対話していくことが大事だと思います。
─ 新大統領と交渉していくということですね。
茂木 そうです。日本として経済面についても、しっかり意見を言っていくということが必要です。
トランプさんも政治家としていろいろなメッセージを発信していますが、きちんと対話をすればわかり合えると私は思っています。それをはじめから「大変だ」とこちらが騒ぐのは失礼な話だと思います。
─ それと、安全保障の面でもだいぶ状況は変わってきました。世界の中での日本の立ち位置はどうもっていけばいいですか。
茂木 日本も国として自分たちの主張すべきところは胸を張って主張することが必要です。相手の言っていることはもっともだと思えば同意する、違うと思えば自分たちの意見を言うということです。媚びることなく、怖がることもなく、毅然とした態度でやっていくということではないでしょうか。
戦後直後と比べて日本の立ち位置は変わってきています。第二次世界大戦で負けた当時、日本という国は非常に危険な国家だと海外から思われていました。軍備を持たせると何をするかわからないから、軍備を持たせないということになりました。
万が一、他国から攻められるというような有事のときにはアメリカに助けてもらうと。第二次世界大戦のあとはそのように決められたのです。
終戦から80年近くが経ち、日本は危ない国ではなく、しっかりした国だという理解が広まってきた。日本は平和国家で外国に戦争を仕掛けたりする国ではないという認識が広がってきたのです。
─ 海外からの日本をみる目も変わってきたと。それで日本はどう行動すべきですか。
茂木 はい。一方で日本も自分の国は自分で守らなければならないというように、意見が変わってきました。これは、外国諸国が日本という国を一人前の国として認めてくれた結果です。日本もそれを十分認識して、これからは独立国家として自分自身で国を守らなければいけない。そういう方向にだんだん考え方を変えていかなければならない状況になってきています。
─ 自立と自助の姿勢が大事だということですね。
茂木 ええ。そうでないと、国際社会では相手にされなくなり、生きていけなくなってしまいます。ですから、国民の意識改革というのが必要なのではないでしょうか。
もちろん、昔のように軍備を持って他国に戦争を仕掛けるということではありません。ただ、他国から攻められたときに、アメリカに全てを守ってもらうというのはおかしい話だということです。
生産性向上と賃上げ
─ さて、国内に目を向けると日本再生が喫緊の課題となっています。その中で、賃金を上げるという流れが全産業で出てきました。非常に結構な話ですが、この流れについてはどのように考えていますか。
茂木 日本経済は過去30年間ほとんど伸びなかったので、賃金も上がっていませんでした。これは〝低温経済〟という状況で、結果として世界の中での日本のステータスもどんどん下がってしまいました。
しかし、これからは経済成長をして物価も上がり、賃金も上がるという本来の形にもっていかなければいけないと思います。
インフレが行き過ぎるのは困りますが、アメリカでは、長期的に物価も上がり、企業の利益も上がり、付加価値も上がって、経済成長もし、賃金も上がる、という好循環が起きています。日本もそういう形にもっていかないといけません。
健全な経済成長の中では、物価も上がり、賃金も上がっていくのです。
─ 一方、経営では生産性を上げていかなければ賃金を上げることはできません。日本は中小企業が全企業の99%を占めており、半分以上の企業は賃金を上げられない現状があります。
茂木 そうですね。やはり生産性を上げないと賃金は上げられませんから、とにかくその努力をするということです。大企業ばかりではなく、中小企業においても、生産性が上がるような努力をしなければいけません。
その際にひとつ気をつけなければいけないことは、物価を低く抑え過ぎないということです。物価を抑えすぎることが、生産性が上がらない大きな要因に繋がっていました。
ですから、中小企業に対して、無理に価格を抑えつけることがないようにしなければいけないと思います。中小企業の生産性向上というのは、国にとっては非常に重要な課題のひとつです。
生産性を上げるのには、付加価値を高める必要がありますが、そのひとつとして、適正な値上げを行うということが重要です。
─ 値上げはだいぶ浸透してきましたが、大企業の圧力で上げられないという声も聞こえてきます。これは現在改善されつつあるとみていいですか。
茂木 少しずつ改善されていると理解していますが、中小企業の値上げは非常にハードルが高い現状もあります。しかし経済も賃金も伸びるという循環の中で、値上げだけが起こらないということになると、本来の経済の形がいびつになってしまいます。
一番の問題は価格競争です。経済社会の中でいろいろな問題点があるけれども、やはり価格競争、要するに行き過ぎた値引きが一番大きな問題だと思います。これが、結局付加価値を毀損するのです。
付加価値を高めるためには、企業には大変な努力が必要です。単なる値引きによる価格競争をすれば、その努力は一瞬にして失われるということになります。こんなばかげた話はありません。
─ 日本は価格競争になりがちですね。
茂木 価格競争は、絶対に避けるべきです。わたしはかつてコロンビア大学のビジネススクールに通っていましたが、マーケティングの先生が口を酸っぱくして言っていたのは、値下げでの価格競争は駄目だということでした。「プライス・コンペティション(price competition)は駄目だ」と二言目には言うわけです。これは本当に重要なことなのです。
企業の役割は、付加価値をつくることです。値下げをするとその付加価値が一瞬にして失われるということなのです。
─ 自身で自分たちの価値を下げてしまうと。
茂木 そうです。競争するなら非価格競争をすべきです。品質やサービスで競争しなさいということです。
日本は、価格競争が重視され過ぎます。一部の小売店で価格競争はものすごく激しくなっています。価格が一般的に低すぎるものに関しては、公正取引委員会が注意して見ていくことも必要なのではないでしょうか。過度な安売りは日本経済を破壊することに繋がっているのです。
─ 価格に対する意識を変えるべきだということですね。キッコーマンは価格競争をしない方針ですか。
茂木 ええ、価格競争はできるだけ避けるようにしています。これはわたしがアメリカで得た教訓です。
もちろん、アメリカにも価格競争はあります。しかし、日本は競争というと価格競争が中心になってしまうのです。
─ ここを改めるときにきていますね。最後に若い世代へのメッセージを聞かせてください。
茂木 若い人たちにはたくさん勉強をしてもらいたいですね。「こんな仕事なんて」と文句を言う前に、与えられた仕事をまずは真剣にやってみる。もしそれで不満があれば、その仕事を魅力あるものにどう変えるべきか新たに提言すべきでしょう。それでもその仕事をしたくないなら転職してもいいでしょうし、会社の中で部署を変えてもらっても良いのではないでしょうか。
社会人になったら与えられた仕事に対して、まずはエキスパートになるという努力をすべきです。それが必ず将来のプラスになるはずです。