「『分断』と『拮抗』の中で、今は動いているものも動かなくなる恐れがある」─こう指摘するのは上智大学の前嶋氏。2024年11月に行われる米大統領選。そこでは前大統領のドナルド・トランプ氏の動向が世界の注目を集める。「アメリカファースト」を掲げる同氏が当選すると、対中国政策、ウクライナ戦争、中東紛争の行方が大きく変わる可能性がある。これから、世界はどう動いていくのか─。
米国では過去に例を見ない「分断」と「拮抗」が
─ 米大統領選の展望をお聞きできればと思います。民主党のジョー・バイデン氏の再選か、共和党のドナルド・トランプ氏が返り咲くか、日本の経済人も関心を持っています。
前嶋 現状を見ると、アメリカでは過去に例のないことが2つ起きています。
1つは「分断」です。南北戦争以来と言っていいと思います。当時は戦い合いましたが、今はソーシャルメディアで罵倒し合っている。例えば2021年1月の議会襲撃を見ると、自分が納得できない候補であるバイデン氏の就任は許せないとして実力行使に出ています。当時と同じくらい、米国内では議論が割れている。
もう1つは「拮抗」です。民主党と共和党、リベラルと保守の勢力が拮抗しています。かつては中央付近で拮抗していましたから話し合いができましたが、今は左右に分かれて拮抗しているので、話し合いができないんです。例えばウクライナ支援の話はようやく4月に通りましたが、長い間、ずっと停滞し、全く進みませんでした。
─ 米国の外交活動にも影響する拮抗だと。
前嶋 ええ。実は議会で最後にウクライナ支援を決めたのは22年12月で、それ以降は今年4月まで1セントも出していませんでした。これは22年11月の選挙で下院を共和党が握ったことで上院と下院とでねじれが起きてしまったことによります。
それを見越して、12月に駆け込みでウクライナ支援を決めたわけですが、今は支援をしたくない共和党と、支援に迷いが生じている民主党という構図で、全体ではウクライナを支援したいと思っている人の割合は過半数を割りました。
─ 米国には世界の民主主義を守るために支援、あるいは自分達が出ていくという伝統があると我々も思っていましたが、これに陰りがあると。ある意味でロシアの侵略を許すことになりますね。
前嶋 ただ、「アメリカファースト」の風潮が一般国民にも広がる中で、よくこれだけ支援したなとも思います。それだけウクライナの状況が悲惨で、支援しなければならないと思う人が多かったということです。しかし、私は23年夏くらいに風向きが変わり、ウクライナは難しい状況になるなと見ていました。
特に「アメリカファースト」の風潮はトランプ氏の就任前後から出ていました。米国はすでに「世界の警察官」ではないという認識は、共和党側の圧倒的に多くの人が持っていますし、民主党側にもそう思っている人が多い。ウクライナの悲惨な状況は支援したいという声が大きかったわけですが、今は小さくなってしまいました。
「米国第一主義」の中 同盟国との関係は?
─ 急進的とも言えるアメリカファーストを掲げるトランプ氏が当選した場合、世界の流れはどう変わると思いますか。
前嶋 予想するのは難しいですが、大きな変化はあると思います。分断と拮抗の中で、今は動いているものも動かなくなるでしょう。
ウクライナ戦争についてトランプ氏は当初、「私が就任したら24時間以内に戦争をやめさせる」と言っていました。これに対して、ウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキー氏は米国メディアのインタビューで「24時間以内に、そんなことは不可能だとトランプ氏を説得してみせる」と答えていました。
トランプ氏は、11月の大統領選の後、就任する25年1月2日の間に戦争をやめさせると言っていますが、具体的な案は示されていません。中には、米国が一度、これまで以上の支援をしてロシアを追い込み、ウクライナに有利な形で終戦させるという話や、逆にロシアに有利な停戦案でウクライナにとって残念な妥協に終わるのではないかという話などが出ています。
─ トランプ氏はNATO(北大西洋条約機構)に対しても、自分達のことは自分で守れと言っています。NATOのあり方はどう変わると?
前嶋 NATOにとっては衝撃的ですよね。これまでは交渉などしなくとも、米国が守ってくれるのだという大前提がありました。これは東アジア、インド太平洋も同様ですが、この同盟関係を根本から崩す話です。
米国内でも、トランプ氏が本気だということで懸念を抱いた人達がおり、昨年末に上院の3分の2が賛同しなければ大統領の力で勝手にNATOから離脱できないという法案を通しました。
ただ、こうした法律ができたとしても、トランプ氏が大統領に就任すれば陸・海・空の3軍の長、リーダーとなります。大統領のサジ加減で影響が出ますし、軍を動かさないという判断をしたら、やはりNATOは骨抜きになってしまいます。
─ 国際情勢は不安定化すると。
前嶋 ええ。この不安定化の1つとして、トランプ氏はメディアから対中国政策について聞かれると「手の内は明かさない」と答えています。中国とは「取引」なわけです。
大統領選の過程、例えばスーパーチューズデーの後でトランプ氏は中国に2回触れたのですが、コロナに関して「武漢ウイルス、チャイナウイルス」だとして、中国にコロナの賠償をさせると言ったわけです。
米国ではコロナで亡くなった方は日本とは桁が違って約120万人と、日本の政令指定都市が1つ、2つ飛ぶような規模です。おそらく中国は賠償しないでしょうが、その分米国産の大豆を買わせるといった取引に持っていくだろうという絵姿が何となく見えるわけです。
これは同盟国にとって困ります。日本を含め、中国に対しては台湾有事、香港の一国二制度、フィリピンとの間の南シナ海を巡る問題など、「現状変更」の動きは取って欲しくないと思っているわけです。
米国の同盟国は、トランプ氏が大統領になっても、それを言って欲しいと思っているわけですが、トランプ氏はそうは言わず「取引」を考えている。そう考えると、同盟国関係も取引になってしまう。
─ 在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」は、経費の7割を賄っていますが、トランプ氏はこの増額を言っていますね。
前嶋 そうです。100%、あるいは軍事費をもっと出せというわけです。実際、トランプ政権下で国防長官を務めたマーク・エスパー氏は日本のメディアの取材に、トランプ氏が大統領に再選したら、日本に対して防衛費のGDP(国内総生産)比率を2%超にすることや、思いやり予算の増額を求める可能性があると答えています。
ちなみにトランプ氏は大統領時代、自分の側近だった人を切って切って切りまくったので、残っているのは国務長官だったマイク・ポンペオ氏ともう1人くらいです。ある意味で、トランプ氏のイエスマンしか残らなかった。
私は3月末にオーストラリアに2週間ほど滞在したのですが、現地で今、何が言われているかというと米国、英国、オーストラリアの安全保障の枠組みである「AUKUS(オーカス)」が危ういのではないか?ということです。これもトランプ氏がひっくり返すかもしれないということで、今のうちに急いで強化しようとしています。
日本がトランプ氏に対してやるべきことは?
─ 多くの国が、トランプ氏が再び大統領に就いたら、世界の秩序が変わると見ているわけですね。
前嶋 変わるかもしれません。では、変わらないためにどうしたらいいだろうと。例えば日本は、16年から17年にかけて、当時の安倍晋三首相を始めとした政府の方々が訪米し、米国にとって日本がいかに重要か、両国の関係がインド太平洋の要だということを訴え、トランプ氏を説得したのです。
日本は同じことを、もう1回しなければなりませんし、世界各国が、日本がやったのと同じことをやらなければいけない状況になっています。
─ トランプ氏の説得ができるかどうかは、極めて首相の資質によると思いますが。
前嶋 確かにトランプ氏は安倍さんのことを気に入っていて、亡くなられた時には「私にとって、そして何よりも米国にとって真の友人だ」という声明を出しました。
安倍さんのチームの中で、トランプさんが最も気に入っていたのが、安倍さんの通訳を務めた外務省の官僚で高尾直さんという方です。この方をチームに登用すれば、トランプ対策を強化できると見ている方は多いですよね。
─ どういう点が気に入られたんですか。
前嶋 安倍さんの通訳をしている時には「スーパー通訳」などと称され、トランプ氏が好きな言葉を選び、「今日はこの言葉が重要」、「シンプルに伝えることが大事」などとアドバイスをしていた人です。高尾さんではなくとも、そういう経験を生かして、そうした役割を担う人がいることが重要です。
中国なども、トランプ対策として同じことを研究しているかもしれませんが、中国と日本が違うのは、日本には嘘がないことです。
日本は米国と一緒にインド太平洋を守ろうと思っていますし、米国がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加することが米国にも世界にもプラスだと本気で思っている。
中国は、嘘とは言わないまでも多少なりとも誇張がある。日本はトランプ氏がわかる言葉で、真実を正確に伝えればわかってくれるはずです。安倍政権下では実際にそれを実践しましたし、岸田政権でもできると思います。
世界経済に影響を及ぼす「関税」の行方
─ トランプ氏は米国への輸入品に対する関税にも言及していますね。
前嶋 トランプ氏は日本に対する関税については、まだ一言も言っていません。ただ、米ウォール・ストリート・ジャーナルには側近の話として、中国には60%、日本には10%の関税をかけてくるという記事が出ました。この話をしたのは前米通商代表部(USTR)代表のロバート・ライトハイザー氏と見られています。
ライトハイザー氏は財務長官候補として名前が挙がっていますが、自著の中で中国に対しては100%関税が必要だと主張しています。
─ トランプ政権ならば100%関税もあり得ると。
前嶋 本当であれば首を傾げたいところですが、あるかもしれません。ただ、米国企業が中国に進出し、その製品を買っているわけですから、米国自身が困ってしまう話でもあります。
これはトランプ的な話で、そういう企業は中国から出ないといけないのかなと思わせてしまう。最終的にトランプ氏としては、米国で生産せよということを考えていると。しかし、どうしてもコスト高ですから、米国の消費者のためにはなりません。論理的に整合性の取れていない主張をしてきますし、トランプ氏は減税や規制緩和もセットにして来ますから、これを総合的にどう見るかという難しさがあります。
─ 日本製鉄によるUSスチール買収についても「絶対に阻止する」と言っていますね。
前嶋 タイミングが悪かったと思います。バイデン氏も否定的ですので、日鉄はかなり難しい立場に立たされていますね。
そもそもは、日鉄が経営的に厳しいUSスチールを助ける話ですし、従業員は解雇されず、社名も残し、日鉄の米国本社を税金が高く、労組が強いペンシルベニア州に移すとまで言っている。
米国にとって悪いことは1つもないのですが、選挙の年だと「アメリカの心が盗まれる」などと言われてしまう。
また、日鉄の中国事業を問題視する向きもあります。CFIUS(対米外国投資委員会)での審査が止まっているという話もあり、中国案件になっている可能性もあります。
USスチールを買い叩きたい米国の同業の思惑も絡んでいます。大統領選、かつての米国とは違うという現状も相まって、相当難しい問題になっています。(以下次号)