北海道大学(北大)と九州大学(九大)は5月30日、三体問題に由来する「カオス軌道」をいくつも渡り歩いていく手法を考案し、地球-月の「円制限三体問題」の最小モデルである「ヒル方程式系」において、地球周回軌道から月周回軌道へ宇宙機が向かう場合、従来の軌道を上回る、高効率で短時間、なおかつ頑健な軌道を設計することに成功したと共同で発表した。
同成果は、北大 電子科学研究所の佐藤讓准教授、九大大学院 工学研究院 航空宇宙工学部門の坂東麻衣教授、同・大学 工学府 航空宇宙工学専攻の平岩尚樹大学院生、ブラジル・リオデジャネイロ連邦大学 数学研究所のイザイア・ニゾリ博士らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する物理とその関連分野を扱う学際的な学術誌「Physical Review Research」に掲載された。
地球、月、太陽のように、3天体の相互作用により生じる運動は複雑な軌道を持つことがあり、古典力学の未解決問題「三体問題」として知られる。それに対し、3天体のうちの1つが非常に小さな天体で、その重力の影響が他の2天体に対して無視できる場合、他の2天体の軌道は、解を得られる「二体問題」として扱える。このような状況では、周期運動する大きな2天体と相互作用する小天体の軌道だけを考えればよく、「制限三体問題」と呼ばれている。さらに、2天体の軌道が円であると仮定すると、この問題は円軌道を周回する天体から重力の影響を受ける小天体の軌道に関する問題となり、円制限三体問題と呼ばれ、地球、月、宇宙機の相互作用系がそれにあたる。
しかし、円制限三体問題は単純化されているにも関わらず、それでもまだ解を得ることができない。その理由は、宇宙機の初期位置や初速度によっては「カオス」(不規則運動)が生じてしまうためである。カオス軌道は完全に解けない上に、宇宙機の初期位置や初速度の極めてわずかな誤差が、長時間後の軌道の大きな解離を引き起こす「初期値鋭敏性」を持つ。誤差は実際に必ず生じるので、結果として宇宙機の軌道は予測不可能になってしまうのである。
これだと、人類は月に宇宙機を送り込むことは不可能なように思えるが、実際には50年以上前から幾度となく着陸機や周回機が送り込まれている。その理由は、円制限三体問題の解にはカオス軌道だけでなく、実は単純な周期軌道も含まれているからだ。「ハロー軌道」のような三体問題の周期軌道がいくつも発見されているので、手に負えないカオス軌道を避け、これまでは主に周期軌道を使った軌道設計がなされてきた。
このようにこれまでは避けられてきたカオス軌道だが、研究チームは今回、発想を転換。逆にそれを活用することで、今よりも燃料を節約したり、月に早く到着できたりするような軌道を設計できる可能性を考察し、力学系理論の立場から軌道設計に取り組むことにしたとする。
今回の研究では、地球-月円制限三体問題の最小モデルであるヒル方程式系における、地球周回軌道から月周回軌道への旅程が扱われた。まず、同系においてカオス軌道が集積している領域(カオスの海)の周期軌道を1つ選び、この周期軌道に常に近づいていく状態の集合(安定多様体)と、常に離れていく状態の集合(不安定多様体)を、二体が最も近づく状態(近点)の切断面上で計算する。その切断面上で、安定多様体と不安定多様体に囲まれる領域は「ローブ」と呼ばれる。ある近点に到達してから、次の近点に到達するまでに、あるローブは別のローブに遷移し、カオス的な動力学により変形を受けて複雑に変形していく。ただし、ローブに囲まれている軌道はローブの外に出ることはない。
このようなローブの系列は、出発地点の地球周回軌道と目的地点の月周回軌道の間にあるカオスの海に無数に存在する。そこで、いくつかのローブ系列を選んで、あるローブが大幅に変形する前に次のローブへとジャンプさせていく制御を考える。つまり、地球周回軌道から出発した探査機は、選ばれたローブ系列を順に渡り歩くことによって、月周回軌道に到達できることになる。このジャンプで生じる誤差もカオスで増幅されるが、それがローブ内に収まっていれば、次のジャンプの制御に支障を来すことはないという。つまり不安定なのに、頑健な軌道なのである。
そして可能なローブ系列の組み合わせを最適化した結果、ヒル方程式系において、既知の旅程よりも少ない燃料で、しかもより短時間で月に到達できる軌道を設計できたという。ローブの動力学を使って、カオス軌道を宇宙機の軌道設計に役立たせることに成功した形だ。
今回の研究で提案された解析法と制御法は、さまざまな力学系における高効率な軌道設計に対する一般的かつ有力な方法であり、特に、月周回有人拠点への貨物輸送や、惑星探査機の軌道設計などへの応用が期待できるとしている。