共生、共栄を原点に……
『子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有(あ)り遠方より来(きた)る、また楽しからずや……』
『論語』の一節。師(先生)の教えてくれたことを学ぶ。また同じ志を持つ友が遠方からやって来て、一緒に学ぶのは何と楽しいことだろう。
謙虚に学ぶことの楽しさ、大事さを説いた孔子のこの言葉は、時代を超えて、多くの人に受け入れられてきた。
学ぶことと、友を持つことの大事さである。人は1人では生きていけない。友や兄弟姉妹、夫婦といった人と人の集まりの中で社会が生まれ、国、そして世界が生まれる。
自分の命を永らえようと、自らの命を守る本能から人は出発する。ただ、そのレベルにとどまっていては、却って種の保存・維持は難しくなる。種と種の葛藤、人と人の対立・衝突などを体験して、人は人から学び、共生・共存の道をたぐり寄せてきた。
他の存在を意識してこそ、初めて社会が成り立ち、国も形成される。
共存・共生はそうした人の営みから形成されてきた考え方。共に生き、共存することの大事さを今一度学び、考え直したいものだ。
厳しい現実を踏まえて
人の世から、いさかいや争い事は無くならないのか? 人々は問題解決のために、法律や社会的規範をつくり、社会や国を運営し、国と国の交流を続けてきた。
個人間の相克、組織と組織の利害対立、そして国と国の対立を調整しようと、国際法がつくられ、国際機関も設立されてきた。
人類は、そうした歴史的体験を通して、大切なことを学んできたはずで、先人の無念や悔悟、反省を踏まえ、同じ過ちを繰り返さないようにと、人々は努めてきたはずである。
近代に入り、世界は2度の世界大戦を経験。国際連盟、国際連合という国際的組織をつくり、歴史を繰り返さないようにしてきた。しかし、第2次世界大戦終了(1945)から77年が経ったところで、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。殺戮は今も続く。
現実の世の中は厳しい。なかなか望み通りにコトは運ばない。いろいろな思惑や利害が複雑に絡み合い、錯綜する。しかし、人間には、課題解決を図る能力がある。共生の実現へ努力し続けていきたいものだ。
キッコーマンの米国進出に
課題解決は対話から─。グローバルに経営を展開し、進出した国や地域と共存・共栄している企業は強い。キッコーマンは国内のしょう油最大手であると同時に、事業を世界で展開するグローバル企業でもある。
キッコーマンが米国中西部のウィスコンシン州でしょう油生産を始めたのは、1973年(昭和48年)のこと。第1次石油ショックが起きた波乱の年でもある。
米国での生産・販売を始めてから昨年で50周年を迎えた。〝Soy sauce〟はすっかり米国民の食生活に溶け込み、生活に欠かせないものになった。
しょう油の海外生産は米国に始まり、今では欧州・ロッテルダム(オランダ)でも行われ、同社の海外売上高は全体の7割を占め、利益では8割を占めるほどにグローバル化が進む。
キッコーマンの海外進出は、現地の人たちとの対話から始まった。ウィスコンシンは米国有数の農業州で、小麦や大豆の生産地として知られる。その小麦や大豆を原料に、しょう油生産をしようということでキッコーマンの米国生産計画はスタートした。
この計画の実行に当たったのが、現名誉会長の茂木友三郎さん(1935年=昭和10年生まれ)。当時、37、38歳と若いながらも工場建設を任された茂木さんだったが、当初、地域住民からの「工場建設反対」運動に直面した。
地域住民との対話から
なぜ、ウィスコンシンへの進出だったのか?
「ひとつは、同地が米国の真ん中に位置し、商品を運ぶのに便利だということ。それから(原料の)大豆と小麦入手に便利だと。そして、大きな要因のひとつに、労働力の質がいいということ。地域の人たちは非常に真面目ですから」
茂木さんはウィスコンシンの人たちの特性をこう挙げる。
しかし、地域住民は当初、キッコーマンの進出に反対する。戦後26、27年経った頃のことである。
「これはエライ事だと思いましたね。ただ、はじめ反対されたのは、別に日本の企業だから反対されたわけではなくて、その理由というのは農地に工場ができることがけしからんということでした」
純朴な気質の同州の住民は、工場進出による農業圧迫と自然破壊を恐れていた。
では、どうやって住民たちを説得したのか?
「ですから、われわれの仕事というのは農産業、アグリビジネスなんだと。つまり大豆、小麦を使うので、地域の農家と共存・共栄ができるんですと。わたしどもがよければ、農家の皆さんもよくなる関係ですということを丁寧に訴え続けました」
説明集会を3ヵ月ほど開催するうちに、地域住民の間にも理解しようとする気持ちが芽生え、最終的に全体の了解をもらえることができたという。
何事も対話が大事。最初は、相手のことが分からず、疑念を抱きがちだが、誠心誠意を尽くして接しているうちに、相手の理解も進む。
そして、お互いに共存・共栄について話し合いができるようになれば、共創へと話が進んでいく。
グローバルに生きることの原点は、対話の中で真摯に向き合うことにある。キッコーマンの米国生産50年余の歴史から学ぶ点である。
共創・ニッポンへ
人の世に、〝競争〟の要素は不可欠だが、いたずらに競り合い、相手を蹴落とすのではなく、共に次元を高めていく〝共創〟という要素も盛り込みたいもの。
古来、この〝共創〟という概念は日本のコミュニティ醸成の過程からつくられたものではないだろうか。
対立、戦闘、侵略と何かと相手を攻略する話ばかりが際立つ昨今、日本の立ち位置をどこに求めるか─。
経済の領域でも、日本はその真価と存在意義を問われている。
1990年代初めのバブル経済崩壊以降、日本経済は30年余も低迷し、GDP(国内総生産)も世界2位から3位に、そして今般、ドイツにも抜かれ、4位の座に転落。
1人当たりのGDPランキングでも、世界37位(IMFランキングによると、2024年のそれは3万4555ドル)で、韓国(36位、3万4653ドル)に抜かれ、台湾(38位、3万4046ドル)に肉迫されている。
人口減、少子化・高齢化が進む日本。今こそ、人が活き活きと暮らす国づくりに向け、思案、実行する時である。