【倉本 聰:富良野風話】台湾と能登

台湾花蓮県の大地震は様々な教訓を僕らにくれた。

【倉本 聰:富良野風話】依存症

 何より感じたのは1月に起こった能登の災害に未だにチンタラ対処しているわが国の政治のお粗末さ。それを何時間かでパッと動き、目に見える形で復興へ動いた台湾行政の見事な采配。この差は一体なんなのだろうと、あれからずっと考えている。

 能登の災害からのこの3カ月。日本の政治の話題といえば、殆どが自民党の裏金問題とその事後処理のドタバタ劇だった。その間、政府の頭の中には、この災害のことがどれほど占められていたのだろうか。己の党の存否のことの方が、いうならば自分の保身のことの方が、ずっと心を占めていたのではないか。それでは政治の中枢とはいえない。そんな政権を僕らは求めない。

 もう一つ心に疑問を持ったのは、大中国のことである。

 台湾は中国の一部であると事あるごとに中国は叫ぶが、だったら中国は今度の災害に対し、どういう対処をしたのだろう。もしかしたら僕らの知らない所で様々な援助をしていたのかもしれないが(多分、したのだろう)、もしこの災害が中国の別の土地で起こったのだとしたら、ここまで見事に事後の処理を鮮やかに行うことができたのか。

 台湾有事というイヤな言葉を思い出すとき、台湾という小さな島国が、今回のこの見事な処理と、大中国に吸収されたときの処理のされ方を、どうしてもどこかで比較したくなる。台湾国民は果たしてどっちを望むのだろうか。

 事故から2日を経たぬうちに、ずらりと避難所に設営されたテント。そのすばやさの背景にはTKB48(Tはトイレ、Kはキッチン、Bはベッド、48は48時間以内に、という時間)という普段からの災害対応の計画が準備されていた、という突発事故への周到な準備。これらが何年か前の災害の経験から編み出されていた行政と民間の連繋によるものだという話を聞くとき、わが国での緊急対応のお粗末さとどうしても比較してしまう。

 阪神淡路大震災、更には東日本大震災、それに付随するあのフクシマの原発事故まで経験したこの日本が、能登という僻地の大災害にその教訓をどれほど生かしたのか。台湾花蓮県の今回の災害に台湾政府と民間が立ち向かった見事な準備と連繋に比するとき、思わず恥ずかしさに顔が赤くなる。ましてや能登災害からのこの何カ月、政府は裏金問題の収拾に夢中になり、マスコミもまたそのことを中心に報道を展開する。その間、地震で家を失い、住む場所をなくして困窮の極にいる被災地の民はどうなっているのか。

 政治家は一体何をやっているのか。

 マスコミはどの問題を第一に考えねばならないのか。そんな事々を考えていると、この国のお粗末さに情けなくなってしまうのである。

 災害の重みを第一に考えよう。花見に興じている時ではないのである。