岡本信明・横浜美術大学長  「キラリと光る大学運営を。芸術関連の大学であるからこそできる人づくりです」

「今後も定員数を拡大することはない」─。美術学部美術・デザイン学科のみの単科大学でありながら、商業デザインを含む様々な領域で広く活躍する人材を輩出している横浜美術大学長の岡本信明氏はこう語る。学生数が1学年200人、総数でも800人規模であるが、むしろそのことを逆手に取って独自のカリキュラムを組んでいる。岡本氏は「大規模な美術系の大学では決してできない」と強調する。小規模大学であるからこそ、キラリと光る大学運営を岡本氏に直撃した。

丸山恵一郎・東京音楽大学理事長「音楽を通じて社会に貢献する人材を育てる。それが本学の役割」

創立者が掲げた3つの教育の柱

 ─ 「トキワ松学園女子短期大学」として開学し、2010年から4年制大学として「横浜美術大学」が開学しましたね。

 岡本 創立者である三角錫子先生は鎮魂歌『七里ヶ浜の哀歌』(真白き富士の根)の作詞家として有名ですが、その三角先生が1916年に東京・渋谷の地に女子音楽園の一部を借りて「常磐松女学校」を創設したのがルーツになります。男性優位の時代に経済的困窮と戦いながらも、多くの女性に少しでも学ぶ機会を作りたいという強い思いがあったのです。

 その後、三角先生のこの「探究女子」を育てる3つの教育を基軸とする運営法人・トキワ松学園が「世界を視野に未来の社会を創造する〝探究女子〟を育てる」という教育目標を掲げ、「思考力教育・国際力教育・美の教育」の3つを教育の柱としました。この中の「美の教育」を具体化したものがトキワ松学園女子短期大学だったのです。

 ─ 女性活躍の走りですね。

 岡本 ええ。美術を専門とする短大として出発しました。先にも述べましたが、1学年が200人弱で合計800人ほどの規模です。全国的に見ても決して学生の多い大学とは言えません。

 他の美術系大学は学生数も2000~5000人規模で、規模の効果もあり、建物も設備も充実しています。通常であれば、そういった規模の効果を加味した経営を選択することも多いと思うのですが、本学は短大から4年生大学に移行するときに、それとは一線を画す形の小規模大学による人材育成を選択しました。それが結果として今につながっています。

 ─ どのような独自戦略を描いてきたのですか。

 岡本 そもそも美術系大学の学生には「美術でお金儲けをするものではない」という価値観が昔から脈々と流れているのです。お金をもらうことに対して罪悪感があるのです。もちろん、現実にはお金をもらえれば誰もが嬉しく思うのは事実です。

 一般的には、芸術における自己実現とは自己の内面に向いてのもので、自分自身が自分に納得することがレベルの高い作品を生み出すことになるといえます。

カリキュラムが人をつくる!

 ─ 創造とは自分のものだという芸術の気質と呼べるようなものがありますからね。

 岡本 ええ。しかし、それだけでは食べていけません。そこで私が強調しているのは、クライアントから「このようにやりたい」と依頼されたときには、自分が学んできた美術に関する知識や技術などを総動員して、クライアントが望んでいるもの以上のものを生み出していこうと。

 クライアントが100を望んでいたら120のものをお返しする。クライアントからの喜びの声をもらうことで自らの自己実現につなげていく。そして、その対価としてお金をもらう。そのような自己実現が芸術の場にあっても良いのではないかと。本学はそういった道を目指していくと宣言しているのです。ですから、カリキュラムもそういった内容に沿ったものになっています。

 ─ カリキュラムが肝になってくるということだと。

 岡本 はい。カリキュラムが人をつくるのです。しかし、一般にはこの本質をしっかり理解している教員は少ない。自らの講義のことしか考えないケースが多いからです。ですから、教員も卒業生は社会で働き、社会に貢献するという視点も加えてのカリキュラムをつくらねばなりません。

 どのようにして学生を納得させ満足させて、大学が描いている卒業生像をつくっていくのか。そのためには、どのような内容の講義をどのような順番で進めていくか。その全体が分かってから、自分の講義に臨んでいかなければならないのです。

 ─ カリキュラムの精神もクライアントが望む以上のものをつくるためですね。

 岡本 その通りです。企業も含めた社会一般のクライアントが何を求めているのかということに対して、自分が培ってきた美術の知識や技術、センスなどを提供し、期待されている以上の成果をクライアントに返していくことが大切です。そうすれば、どんな無理難題が来ても怖くはありませんからね。

 ─ では、社会に美術でどう貢献しようと考えますか。

 岡本 美術で貢献するという意味は、クライアントが美術系の企業だけという意味ではありません。もちろん、美術系の企業が中心になりますが、美術系以外の企業でも通用します。なぜなら、美術大学で美術に関する知識と技能、そしてセンスをどのように自分のために、あるいは他人のために使うかを学び、それが卒業までに組み立てられていくからです。

 例えば本学では、先ほど申し上げたように教員もカリキュラムの重要性をしっかり理解していますので、教員は学生が広い領域の美術的素養が得られるように社会からの目でカリキュラムを補強・補修しています。最初から専門を追求した結果が社会では往々にして通じないことが多いからです。

 他の美術系大学では、例えば絵画の学生であれば、そのカリキュラムは最初から絵画に向けたものです。しかし、本学はこれだけ時代が変化する中で、果たして絵画だけを勉強していても良いのだろうかという発想なのです。デジタルはどうするのか、デザインはどうするのか、彫刻はどうするのかと。そこで本学は1年時に8クラスに分けて、全ての学生がそれら全てを学んでいます。

 ─ 専門に限らず、美術を一通り学ぶわけですね。

 岡本 はい。しかし一通りと言っても小手先の技術を学ぶという意味ではありません。卒業までに美術・デザインのどの分野を深めるにせよ、その土台となる広い分野の基礎実技教育が必要です。あって悪くないはずです。

 そのために本学は、1年次前期に全員共通の基礎実技教育「絵画」「彫刻」「デザイン」「造形」を行い、後期には、「平面」「立体」「視覚デザイン」「映像」からメインとサブを選択することによって、横断的に実技を学びつつ、各自の適性を見極めていくことができるようにカリキュラムを準備しています。

 このプロセスを経ることによって造形力・観察力・発想力も養われてきます。これは他の美術系大学ではできません。学生の数が多すぎるからです。

信金のコンテストで3賞を独占

 ─ 小さいが故にできる。

 岡本 そうです。本学はそこをウリにしています。なぜ先人がわざと小さい大学という選択肢をとったのか。おそらく様々な理由で大きな大学にできなかったという背景もあったと思うのですが、いま考えてみると、実は先人はこのことを分かっていて、あえて小さな大学であることを選び、横浜美術大学の教育をやりたかったのかもしれません。

 ─ 吉田松陰の松下村塾もそうですよね。

 岡本 おっしゃる通りです。専門性ばかりを追求することは、ある意味では大学の手抜きとも言えてしまうのではないでしょうか。真に人を育てるということとは違うわけですからね。専門的な領域だけでなく、社会一般を幅広く見て、全体感を持った行動ができなければなりません。本学ではそれを部活などで補うのではなく、カリキュラムに落とし込んでいるのです。

 その点、本学は人の役に立っていく人材を養成しています。特に美術系大学の学生は忍耐力が抜群にあります。美術とは延々と続ける作業であるからです。絵画にしても延々と自分との対話を続けて描き続けるわけですからね。それは本学に限らず、美術系大学の特色であり、大きな財産だと思いますね。

 ─ 社会に役立っている事例も出てきているのですか。

 岡本 はい。例えば、東京オリンピックの開催が決まったとき、内閣官房東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部が文化芸術部門のプログラム「beyond2020」の認証ロゴマークを公募しました。内閣官房は全国の芸術系56大学から公募したのですが、その中で本学の学生が最優秀賞を受賞し、文化庁の後援事業などに使われています。

 受賞した学生は受賞できた理由に「大学のカリキュラムが良かった。いろいろなことをやってきているので、普段なら勉強することのないニッチな部分の知識も埋めることができた」と言ってくれました。専門の勉強を続ければ、その分野でどんどん尖っていくのでしょうが、それ以外の領域の隙間は埋まりません。今はそういった隙間を埋める学生が必要なのでしょう。

 ─ 産業界でも〝つなぐ〟という発想が求められていますが、社会全体がそうですね。

 岡本 そうですね。美大に進学してくる学生ですから、芸術家になりたい学生が多いのは事実です。しかし、芸術家になれる学生は多くはありません。ただ、芸術家になれなくても東京五輪の事例のように、才能を開花させることはできます。

 昨年11月に東京ビッグサイトで開催された信用金庫主催のイベント「よい仕事おこしフェア」のPRポスター デザインコンテストにおいても、本学の学生はグランプリと準グランプリ、特別賞の3賞を独占受賞しました。本学の学生による商業面での活躍は、本学が目指している領域でもあります。

規模は大きくしない!

 ─ 商業面で強さを発揮できる脱専門性の領域ということですね。

 岡本 商業デザインですね。この領域では、自分ではなくてクライアントが何を欲しているかを汲み取る必要があります。クライアントが言葉にしているものを絵で表現したりするわけです。信金のコンテストでも募集要項に書かれたクライアントが求めている内容を汲み取って、それをポスターとして表現することができたのです。

 ─ 全学生のうち男女の比率はどれくらいですか。

 岡本 女性が6~7割を占めていますが、男性を何としても増やすということはしません。無理はしないことが大事です。もともと女子大から出発しているわけですからね。

 ─ 少人数教育というのが1つのポリシーですか。

 岡本 ええ。決して大学を大きくすることはありません。もちろん、経営の面で見れば学生数が多いわけではないので、非常に苦しいことは事実です。今後は少子高齢化でもっと苦しくなるでしょう。

 だからこそ、少人数をキープしつつ、お預かりしたすべての学生に小さな成功体験(満足感)を経験させてあげられる教育力をベースにして横浜美術大学のカリキュラムを回していきたいと思います。本学は量から質の転換を徹底していきます。

 私は、あらゆることを量から質に転換することが少子化の中で大学が生き残ることにつながると思っています。そうすれば、教員にも時間がでますし、学生と接する時間も長くなりますからね。学生と向き合うことを真面目にやっている大学は生き残れるはずです。本学はそういった手本を示したいと思っています。