NTTは4月19日、目先のことを過大評価してしまう人間の長期的な目標達成行動を分析し、さらにそのような人間の目標達成のための最適な介入を求めることができる数理モデルを開発したことを発表した。
これに際し同社は、オンラインで記者説明会を開催。開発を主導したNTT 人間情報研究所 共生知能研究プロジェクトの赤木康紀研究主任らが、開発した数理モデルやその活用の展望について説明した。
なお今回の成果は、2024年2月20日から27日までカナダ・バンクーバーで開催されたAI分野の国際会議「The 38th AAAI Conference on Artificial Intelligence(AAAI 2024)」において発表された。
長期的な目標達成の成功率を左右する「現在バイアス」とは?
夏休みの宿題やダイエットなど、長期的な目標達成に向けて意気込んだ経験が誰しもあるだろう。そしてその中には、努力の途中で目先の小さな誘惑に気を取られ、“まあいいか”と休憩を挟んだままゴールにたどり着かなかった経験を持つ人も、少なくないのではないだろうか。
このように目前に現れた事象の損得を課題に評価してしまう傾向は、行動経済学などの分野では「現在バイアス」と呼ばれ、多くの研究の対象となっているという。この傾向は、先述した例のように長期的な目標の達成を阻害しうるため、現在バイアスが人間の行動に及ぼす影響をモデリングし、さらに目標達成に向けた行動変容を促す最適な介入方法を探ることが求められている。
現在バイアスのモデリングについてはこれまでにも研究されてきたものの、特定の状況やドメインに依存した汎用性の低いモデルや、汎用性は高いもののモデルの解析や最適な介入策の導出が難しいモデルなどがほとんどだったとのこと。そこでNTTでは、現在バイアスを受けた人のための新たな数理モデルの開発に着手し、「進捗積み上げ型タスク」に着目することでそのモデリングを進めたとする。
進捗積み上げ型タスクとは、制限時間の間に進捗を積み上げることで目標の達成を目指し、成功すると報酬が得られるもの。日常生活においては、「健康維持のために1週間で10時間運動する」などのタスクがこれにあたる。同タスクに取り組む際、現在バイアスの影響を受けた人間は、目標達成までの進捗経過として想定される複数のルートの中から、最も“コスト”の小さい系列に沿って進捗を積むことになる。このコストは負担や大変さを指しており、言い換えれば「一番楽な経路」を選ぶとも表現できる。
進捗積み上げタスクにおいて、現在バイアスが弱ければ目先のコストに与える影響は小さく、コツコツと進捗を積み重ねられるのに対し、現在バイアスが強い場合には、直近でかかるコストが大きく感じられるため、先延ばしにしやすくなる。こうした傾向について研究チームは、βを「現在バイアスの強さを表すパラメータ」として以下の数理モデルを提案している。
そして併せて、このモデルを用いることで、進捗積み上げタスクにおける現在バイアスの強さに応じた挙動の変化を、閉形式(対象の挙動を有限個のよく知られた関数を用いて表すこと)で記述。これにより、現在バイアス下における人間の行動分析や介入効果の可視化が、直接計算により可能になるとした。
現在バイアスに応じた最適な介入を検討
また研究チームは、目標達成に最適な介入についても数理モデルを用いて検討。数理最適化技術を駆使し、最適な報酬のスケジューリングを現実的な計算時間で求めることができるアルゴリズムを構築したとする。
それにより、現在バイアスの強さに応じて最適な報酬スケジュールが変化することも数学的に証明され、現在バイアスが弱い人には報酬をまとめて一度に設定する方法が効果的であるのに対し、現在バイアスが強い人には、報酬を分割して高頻度に設定することが最適であることを示したとする。
さらに研究チームによると、現在バイアスが強い人の場合、介入の方法によっては報酬総量が少ない場合の方が目標達成に大きく貢献する場合もあるとのこと。例えば4週間かけて大きな進捗を達成する場合、最終的な成功に対して5000円の報酬を用意した場合には途中で断念し目標が達成できない一方で、1週間ごとに1000円の報酬を与える(総額4000円)方法では、より大きな進捗を達成する可能性すら考えられるとしている。
健康管理や学習・金融分野での活用に期待
なおNTTの赤木氏によると、今回発表された成果は未だ理論的なものであり、今後は被験者実験などを通じ、現実の目標達成タスクにおけるデータを用いてモデルの有効性を検証していくとのこと。さらに人間は現在バイアス以外にもさまざまな認知バイアスを持っていることから、社会科学や心理学、行動経済学などの人間行動に関する科学的知見を組み込んだうえで、より人間らしい振る舞いを模倣する数理モデルにしていくことを目指すとする。
また将来的には、効果的な介入により健康行動を促進させるヘルスケア分野に加え、学習支援や貯蓄行動の支援など、社会の本質的な価値に関わる意思決定を支援するシステムに技術を組み込んでいくことを目指すとしている。