宇宙航空研究開発機構(JAXA)は4月12日、国際宇宙ステーション(ISS)で1584日間(およそ4年3か月)という長期冷凍保管したES細胞(胚性幹細胞)を、地上回収後に解凍・培養し、遺伝子発現を網羅的に解析した結果、同細胞はDNA2本鎖切断の修復のための細胞周期停止に関与する遺伝子やアポトーシスを制御する遺伝子が地上対照群に比べて活性化されており、宇宙放射線によって損傷したゲノムを持つ細胞の増殖や腫瘍形成を防ぐことが示唆されたことを発表した。
同成果は、大阪公立大学大学院 医学研究科 基礎医科学専攻の吉田佳世准教授、大阪市立大学(現・大阪公立大学)の森田隆名誉教授、JAXAの共同研究チームによるもの。詳細は、「International Journal of Molecular Sciences」に掲載された。
宇宙放射線には、さまざまなエネルギーを持つ陽子や重粒子などの粒子線が含まれており、そのすべてを地上で再現することは困難であるが、人類が今後、長期的な有人宇宙探査や宇宙旅行を実現するためには、宇宙放射線により生物(ヒト)が遺伝子レベルでどのような影響を受けるのかを正確に把握することは非常に重要だとする。そこで研究チームは今回、宇宙実験で宇宙放射線の生物学的影響を直接分析し、人体への影響を評価することにしたという。
ISSの冷凍庫の中では、宇宙放射線は地上のおよそ100倍になるが、吸収線量は1584日間でも約0.56Gyと低線量、低線量率であり、直接生物や細胞への影響を知るためには長期間の被ばくが必要だったとする。さらに、遺伝子の「ヒストンH2AX」を欠損させ、野生型の細胞よりも放射線の感受性を高めた細胞を用いることも必要だったという。なお、陽子線照射などの標準を設定すれば、高感度の細胞や個体を用いる方法は、顕微鏡で細菌を観察するように、低線量の宇宙放射線の生物学的影響を定量するのに非常に有効となるとした。
また今回の実験では、以下の主に3つの結果が得られたとした。
宇宙で保存されたES細胞は受精卵にマイクロインジェクションすることにより、地上保存細胞と同じぐらいの割合でキメラマウスを作製でき、そのキメラマウスはさらにES細胞由来の子孫を作ることから、発生に対する影響は少ないことが明らかになった。つまり、DNAの損傷を直接修復する遺伝子などを含めて、多くの遺伝子について宇宙サンプルと地上サンプルとの差は認められなかったという。
1584日間保存した細胞の解析から宇宙放射線による染色体異常の影響が陽子線の約1.54倍であることが明らかにされた。物理学的測定とICRP60(国際放射線防護委員会勧告)により計算されたISSの冷凍庫内の宇宙放射線の線質係数が1.48とほぼ等しいことから、これまでの宇宙放射線の評価がほぼ正しいことが明らかにされた。
1548日間保存された大半の細胞の遺伝子発現が、RNA量により網羅的に解析された。その結果、ゲノムの守護神と呼ばれるがん抑制タンパク「p53」により遺伝子発現が促進される「Trp53inp1」、「Cdkn1a(p21)」、「Mdm2」など、DNA修復のための細胞周期停止やアポトーシスを制御する遺伝子の発現が宇宙放射線により増加することが確認された。ただし、宇宙放射線だけに特徴的な細胞応答がある可能性は低いことがわかったという。
今回の研究で示されたように、これまでの宇宙放射線の評価がほぼ正しいとすると、火星有人探査においては、地球~火星間の往復(片道約半年の計算)だけで約1.84mSv/dayX180daysX2(往復)=0.66Sv、また月面では恒久的な有人活動拠点が建設される予定だが、1年間に0.42Svの放射線の影響を受けることになる。一度に被ばくした場合の宇宙放射線によるがん死亡率の増加は、それぞれ6.6%、4.2%となり、適切な防御なしでは宇宙での長期滞在は安全とはいえないとした。
しかし、宇宙放射線のように低線量率で少しずつ受ける場合、生物にはDNA損傷を修復する機能があるため、一度に被ばくするより影響が少なく(低線量率効果)、約1/2から1/4に減少する可能性もあるとしている。なお現時点では、宇宙放射線による同効果を確かめるための宇宙実験は行われていないという。同効果は、動物が常にDNA損傷の修復能力を発揮することで得られるものであるため、生きた動物、できれば放射線に感受性の高いマウスなどを宇宙で飼育し、その細胞の染色体異常などを測定することで求める必要があるとした。
今後、月や火星など、より強い宇宙放射線の影響が予想される深宇宙空間において、低線量率効果も含めた正しい評価により、安全な長期宇宙滞在のために必要で適切な対策を講じることが期待されるとしている。