観世流能楽師の家に生まれて起業家の道を選んだ分林保弘氏。今や事業承継、起業家育成で実績を挙げ、日本M&Aセンターを創業。その分林が5人の若き起業家と対談して資金調達、テクノロジーの開発など起業時の苦労や体験をふまえ、今後の事業構想がテーマになった。5人は「営業は科学」「量が質を生む」といった言葉をキーワードに論を展開していった。
日本M&AセンターHD名誉会長 分林 保弘
イーストベンチャーズ共同経営者 金子 剛士
Cloudbase代表取締役 岩佐 晃也
バベル社長 杉山 大幹
Firework日本支社マネージャー 瀧澤 優作
Stack社長 福田 涼介
勉強熱心な若手起業家とともに
─ 今日は日本M&Aセンターホールディングス名誉会長・分林保弘さんが期待されている若手起業家の今ということで話をお願いします。
金子 わたしは分林さんの著書『日本M&Aセンター創業者 分林保弘の「仕組み経営」で勝つ!』という本を数年前に読みまして、感銘を受け、われわれの出資先や関係会社の経営者、またはその社員の方など、いろいろな方にお薦めしてきました。
われわれの出資先を中心に30社の若い起業家が集いまして、皆さんこの本を読まれた上で直接分林さんの口から経営理念、経営哲学をお聞きできるという機会をいただきました。
本にも記載されていた日本M&Aセンターの特徴で9カ月決算という点がありますが、その講演以降にそれを実際に取り入れ、経営戦略そのもの自体を変えている会社が出てきています。
それから日本M&Aセンターさんというのは、すごく従業員の家族の方を大事にする文化カルチャーがあります。
今まで当然経営者たちは従業員のことを考えていると思いますが、従業員の家族のことまで考えたことはなかったという経営者が、今実際に従業員の家族の誕生日にお花を贈ったり、インセンティブ設計の一環として家族も対象にした旅行をプレゼントしたり、家族が会社に対して認知を上げてもらって、より応援してもらう趣旨で、そういうことを考え出している起業家も実際に現れまして、会社のトランスフォームを目の当たりにしています。
分林 金子さんがすごいと思うのはまずわたしの本を5回読んでいるという点です。それからベンチャーキャピタルで今まで800社に20代、30代の若い経営者を中心に年100社出資されていて、この方々に私の本をプレゼントするのに、あるいは薦めるのに、自分が帯封を書いて推薦文を書きたいということをわざわざ言ってこられて。帯封まで作る人はなかなかいないので熱意がすごいなと本当に感激しました。
実は当社でもまだこの本をバイブルにしています。毎年100人から200人の社員が入社してきますから、その本を読んだ感想を書いて出席することを条件にした入社後の会があります。約1時間ほどわたしが経営哲学的な話をして、残り1時間は本の内容を含めた質疑応答をします。
─ 分林さんは会社をつくられて30年余、中小企業が後継者不足で困っているのを救おうという社会的使命感からスタートされましたが、M&Aを通じて中小企業の成長、あるいは新興企業の育成を図ってくる中で今若い起業家と接していてどんなことを思いますか。
分林 若い起業家たちは増えているし非常に勉強熱心で頑張っています。わたしはというと、もともと家が観世流能楽師で親父の背中を見ていて、本当によく仕事をしているなというのがまず第1にあったんです。その中で、自分はサラリーマンにはなりたくないというのがまず前提条件にありました。なぜなら自分で思ったことは自分で実行し、成果も自分に跳ね返ってくるということは自営業でしかあり得ないわけですから。
アメリカ留学中に30州ほど能の紹介公演に回り、日本に帰ってきてから外資系企業に入ろうと思ってオリベッティに営業職で入社しました。仕事に目覚めたのは2年目頃にすごく素晴らしい上司に恵まれてからです。非常に頭の回転が速く実行力もあり、人望が厚かった上司でした。それから若い営業社員に同行も全部してくれるというかたちで、非常に心酔しました。
それから仕事がすごく面白くなって、18時に早い晩ご飯を食べて、それから24時まで仕事する生活をしていました。結婚もしているわけでもなかったのでとにかく若いうちは仕事をしようと思い、のめり込んでいましたね。
そうしたら非常に自信がついて、結果が出れば外資系ですからインセンティブも出るし、トップになれば海外旅行に3週間くらい連れて行ってくれるんですよね。年収も大体基本給の倍くらいインセンティブがつくという習慣があったので。
30代半ばくらいで、たまたま不動産が好きだったので、三軒の家を土地を取得した時に、半分これを店にしようかなと思って、今で言うカフェを始めました。それが面白い程に儲かったんです。
いろいろな喫茶店を見に行き、マーケティング的に価格をどうするかなどの研究もたくさんしました。
その起業時にトータル5千万円のうち最後の500万円の融資が取れなかったんです。だから兄貴の信用で田舎の信用金庫から貸してもらったんですけど、
その店の近くに銀行の新しい支店ができたんです。
そうしたらうちのお店がものすごく流行っている姿を見て、支店長が今度は逆に日参して、私どもに借金を移してくださいと言ってきたんです。その時に、銀行というのは儲かった利益のあるところに金を貸す、お金のないところには金を貸さない。これがものすごく印象に残っていたので、日本M&Aセンターをつくった時には銀行は信用しないということで、資本金で2期目から配当を始めたんです。
1期目は半年間赤字でしたが、2期目から8千万円、その次1億円黒字で、2期目から大体1人50万から100万円集めることができたのです。
税理士の方から北海道M&Aセンターから沖縄M&Aセンターまで情報産業で6人くらいの会社でしたが、6人では情報が全然集まらない。そこで北海道M&Aセンターから青森M&Aセンターまで一緒にやりましょうと声をかけたら、50社が集まり100万円ずつ持ち合いをするというかたちを取ろうと。
もう一つは、私はすぐ組織をつくるのが好きなので、日本事業承継コンサルタント協会という協会をつくった塩崎潤さんと、事業承継の相続対策の勉強会をしましょうと、コンピューターでそれを計算するシステムをつくって販売していました。その販売していた先に全部会員になっていただいたんです。
税理士さん550人が全国から集まって、毎月東京と大阪で勉強会を始めたんですね。
─ 資本金1億5千万円はスムーズに集まったんですね。
分林 はい。やはりM&Aは情報ですので6人の社員で集める情報は高が知れていますが、200の会計事務所が集まると大きな会計事務所が多かったですから、最低100件のクライアントを持っているんです。オリックスさんとか安田火災さんなど大手企業も株主に入っているという信用力もありました。
つくった半年後に日経新聞に、『あなたの会社の後継社をお探しします』と東京・大阪でセミナー告知をしたら、月曜から金曜まで400件電話がかかってきたんです。一件平均で6千万円もらっていたので、半年後以降は8千万円、1億円というような感じで経常利益を上げていきました。
上場は全然考えていなかったのですが、経営計画の指導を受けて4年後に上場しようという計画を立てたら、経常利益が1億円の会社が1年後に2億円を超えた、2年目に4億円を超え、3年後に7億5千万円になって、あっという間にもうマザーズに上場してその1年2カ月後に1部に昇格していいですよという感じでトントン拍子でいって、そうすると信用力が集まってまた需要が増える。いい資本がいくらでも入ってくるという感じで、本当に上場してよかったなと思いましたね。
─ 分林さんの場合、中小企業という中堅の企業に絞ったのがよかったということですか。
分林 もちろんです。その当時は、M&Aをやっている会社は大企業しかなかったんですよね。だから営業所のお客さんの中小企業には一切やらないということで、全く全然かち合わなかったのです。
だからその後も野村証券さんや大和証券さんや三菱UFJ銀行さんとも提携し、今この提携部隊だけで100社以上います。完全にすみ分けはできています。
それと、印象的だったことでわたしは最初TKCの営業もさせていただいていたのですが、当時創業者の飯塚毅先生がすごい方でした。飯塚さんは英語だけでなくドイツ語、さらにドイツの司法まで勉強されている方で、この時の講演を聞いて一番残っている言葉は「自利とは利他をいう」です。このことを何回も言われるんです。
自分が利益を得たければ、まず相手に対して利益をもたらせ、その結果、それが自分に利益が跳ね返ってくると。これは京セラ会長の稲盛和夫さんも利他の精神という言葉を使っていますよね。それから営業の感覚が変わりまして、お客さんに利益を与えるいい商品を提供すれば必ず売れると。
─ それと本で語られているのは、能の心で「離見の見」というか、相手が自分をどう見ているかということを言っていますね。自利利他とも重なってくるんですね。
分林 はい。『世界の哲学家10人』という本があるのですが、その中に世阿弥が入っていて、世阿弥の言葉は100種類くらいの言葉が残っています。その中でもわたしが好きな言葉が「離見の見」という言葉で、要するに世阿弥が自分が舞台で演じた時に、こうしたらお客さんから見たらいいだろうと。よく映るだろうというだけではなく、お客さんから見た自分はどうなっているかということを意識してくださいということを言うんです。逆の言葉を我見と言いますが、「離見の見」は我から離れて見るということがポイントです。
若者の起業が増えてきた日本
─ 金子さんは分林さんの本を5回も読んで、この本の一番感じたところはどこですか。
金子 やはりわれわれベンチャーキャピタルの業態で活動していますので、具体的な経営に生きるアドバイスが付加価値として企業に刺さっているというのがあります。なので、投資先の方とミーティングをする際も、この本に書いてあるような内容などを結構引用させていいただいて、お伝えしているところは多いです。今、投資先は800社います。われわれは創業直後つくったばかりの会社に投資するというようなコンセプトのベンチャーキャピタルです。
多くの場合、4割くらい学生で起業される方にも出資をしていまして、岩佐さんと杉山さんは学生起業です。近年、学生が就職を経ることなく起業するというケースが増えてきています。ようやく日本も中国、アメリカと同じような若い人たちが大手企業に行くよりも起業した方が未来があるよねというような、希望ある国になりつつあるんじゃないかなという感じが、最近すごくしています。二人が創業した当時はあまり起業する人もいなかった時代、はしりの二人だと思います。
─ いまは起業する若い人が増えていますね。岩佐さんは何年生まれですか。
岩佐 96年生まれで27歳です。起業したのは22歳です。
─ 就職することよりも、なぜ起業を選んだのですか。
岩佐 わたしは10歳くらいからプログラミングみたいなことをしていたタイプで、ものづくりがすごく好きだったんです。
でも大学生くらいになるとほとんどのものが海外のサービスに置き換わっていて、ずっと右肩下がりの日本という感覚がわたしの中ですごくあったんですね。野球で言うと、もう10対0、20対0で負けていて、ホームランを打ってもあまり変わらないというような、ある種絶望的な状況があった。
そんな中で、偉大なサービスというのをつくりたいなという漠然とした思いだけがあって、金子さんに出会うことができて、明日から東京に来るなら1千万円出資するよと。学生にとってその金額はもう宝くじが当たったくらいの運と大金です(笑)。
─ チャンスを掴んだわけですね。杉山さんは、金子さんの投資先でもあるんですか。
杉山 はい。大学生の時に、イーストベンチャーズでも働かせていただいた経験がありまして、金子さんとはその時から先輩でお付き合いさせていただいています。メルカリの子会社で新規事業のプロダクトマネジャーを務めて、その後起業しています。
まだメルカリとかBASEが従業員数10名くらいのタイミングで、シェアオフィスの一室に入っているという状態から5年、10年で本当に世の中が大きく変わって急成長していくスタートアップを目の当たりにすることができたというのが、一番大きい経験だったと思っています。自分もそういった挑戦ができたらいいなというところから23歳で起業しています。
金子 われわれは自分たちのオフィスの近くにインキュベーションスペースを用意して、そこに投資先の方々に入居していただいていたんです。BASEはECサイトを簡単に作れるサービスで上場した会社ですけども、BASEやメルカリがもう一気に急成長していったのを間近で見ていただいたなと。
─ 今やっているバベルでの仕事は、仕事の生産性を向上させるサービスを提供していますね。手応えはどうですか。
杉山 手応えはあります。まさに分林さんの本の中や講演でもあった「営業は科学」というところと、「量が質を生む」ということを自分の事業の中で実感しています。
営業の方はお客さんと話したりとか、それこそいい商品を使ってもらうために伝えるのが仕事です。でも実は間接業務や内勤業務をやっている時間の方が長いんです。
つまり社内向けに共有ミーティングをしていたりとか、議事録書くのに2時間かかったりとか、資料や日報を作っていたり、社内の管理事務作業に一日8割の時間を使っているんです。そういうところをなるべくクラウドの力で圧縮して、お客さん対応にかける時間を1分1秒でも増やしていこうという、それがまず一つ。
これまでは、杉山が今月いくら売上でしたとか、契約率何%でしたと結果は分かる。だけど、営業の過程は誰も分からなかったのです。なので、そこの営業の過程データというのも全部自動取得することができるようにして、分析して、作業プロセスを科学できるようにしていくというようなツールです。
営業をこういったデータで分析すると、お客さんと話している時間が長い方が結果的に良い営業ということがわかります。
海外IT市場で戦う若手起業家
─ 瀧澤さんは分林さんとは親戚関係で、分林さんは大叔父にあたりますね。
瀧澤 はい。わたし自身は大学の3年のときに、アメリカのシリコンバレーに渡り1年留学中に、今の会社の創業のタイミングで仕事をさせてもらって、その会社が何とか、350人ぐらいの会社になりまして、直近はソフトバンクのビジョンファンドから出資いただいくまでになりました。
─ 具体的な事業はどういったものですか。
瀧澤 われわれの会社は、ライブコマースというサービスを提供していまして、いわゆるオンライン上で、ウェブサイト上でブランドさん、メーカーさんが直接生配信で商品を売れるそういった指定ソフトウエアを提供しています。
ライブコマースは中国で今流行っていますが、中国以外ではあまり流行っていません。直近、コロナでお店にお客さんが行けなかったときでも、モノは買いたいというニーズがあります。
でも、店舗に行けないのでどの商品がいいかわからないとか、この商品が何十万円するかもわからない。
そういったときに、オンライン上でもいわゆる店員さんが生配信でリアルタイムでその商品の良さを教えてくれたり、もしくは見ている人も家にいながら「この商品はどこがいいんですか」などと質問ができます。
それに対していろいろ映像で見せながらものを売れるような仕組みを、ブランドやメーカーさんに提供しています。今、グローバルで1000社導入があります。
─ 福田さんもアパレル関連でしたよね。
福田 はい。1500億円から、2000億円規模のアパレル企業を中心に小売企業向け、そのものを売っている企業向けにソフトウエアを提供しております。
アパレル企業はIT企業と違って、システムを自分たちでつくり続けていましたが、今は自分たちでつくるところからSaaSに変えていこうという流れです。海外にShopify(ショッピファイ)という大手のカートシステムが存在していて、その導入がここ3年、日本で増えています。そのShopifyに対する足りていない機能の提供と、カートシステムを販売しています。
売り方が変わるということは、会社の中のデータの管理方式も変えなければいけないので、小売企業が社内の在庫を効率的に管理するための、オンラインと実店舗両方に対応した基幹システムを提供しています。具体的にはTSIホールディングスなどをはじめ、1500億円程度売上のある企業のシステムを今、置き換えています。
─ 分かりました。みなさんの事業は今不便なことを更なる効率化に向けてのDX化ですね。今後、どういった夢を持って事業をしていきますか。
杉山 自分たちがつくったプロダクトで世の中が変わっていくというのが本当に醍醐味だと思っているので、日本を代表するような大企業の方に広がっていくといいなと思っています。日本はさっき話題に上がったようにGDP成長もしない、人口も減っていくという中で、失われた30年とか暗いニュースが多かったと思うんですが、AIやわれわれみたいに若い起業家の力でプラスの方向に上向くことができれば嬉しいなと。
岩佐 わたしはさっき言った野球で言うと10対0のところを、10対8でホームランで逆転するんじゃないかみたいな、このもしかするとというところまで日本を持っていきたいなと思います。
日本の大企業は高度経済成長期にはぐっと伸びてきたけど、インターネットの時代に置いていかれました。ここで今われわれがいろいろな大企業の実態を見ていると、クラウドやテックを使う上で、多くの制約の中で数年かけてやっとリリースできますとか、セキュリティーチェックで半年かかりますとか、便利なサービスは全部禁止です。世界との勝負ですごくハンディを背負って戦っているのです。
これではなかなかITの世界ではいいサービスは出ません。
ですから一歩大きくジャンプすることは難しいですが、この一歩一歩の積み重ねによって偉大なサービスが生まれてくるのではないかなと。われわれのサービスが普及していけば、企業から偉大なサービスが生まれ、偉大なスタートアップがたくさん生まれることで得た知見、経験、得たお金を持って起業する、エンジェル投資すると。スタートアップエコシステムでスタートする企業も出てくるので創業経営者が増えます。
分林さんのような創業経営者でないとできないことがあるなと思っていて、そういった方が増えると良いなと思っています。