春日秀之・hide kasuga 1896社長 の 「人生の転機」【パリでの著名人たちとの出会い】

これまでわたしは毎日が転機のような人生を送っています。

 大学院卒業後、大手素材メーカーに就職してサラリーマン10年、4代続く重厚長大の家業の経営を6年経験し、現在の環境調和型素材・ライフスタイル最終製品を扱うブランドメーカーとしてhide kasuga 1896を起業して現在13年目に突入しました。

 最初は自動車の部品メーカーのエンジニアとして勤め、2000年に、南仏に1年半社費留学として派遣されました。わたしが留学したエクスアンプロヴァンスという都市は、南仏を代表する美しい学術都市です。そのあとはパリの研究所に勤めながらフォルクスワーゲングループのポルシェ担当として、ドイツにも行き仕事をしていました。

 もともと美的なものやライフスタイルに興味があったわたしは、パリで著名な方々との出会いがありました。

 世界的な日本人ファッションデザイナーのKENZOさん、東京にもレストランを開いたフレンチシェフのドミニク・ブシェ氏たちとお会いすることができ、いわゆるパリで既に成功している大御所の人たちを目の当たりにして大変な刺激を受けたのです。そこで、ヨーロッパの知的階層が日本の習慣、風俗含めた全体に造詣深いことに改めて驚きました。

 この時、ヨーロッパの車やファッションのブランドはどのブランドも目でみて美しく瞬間的に人の心を掴むのをみて、さらに哲学、精神性が宿っていて、価格がとても高くても人々に欲しがられ愛される。これは日本にはない価値観だと感じました。

 そのような文化の中にいる海外の人は日本に対してとてもリスペクトがある、ということは日本にもそうなれる可能性はあると思ったのです。

 かつて世界でトップを制していた日本企業がこれまで蓄え磨いてきた技術と日本の文化を掛け合わせれば、日本がもっと明るくなるだろう。自分がその分野のマーケットづくりをできれば、日本のものづくり企業がさらに元気になり、国としても再興できるのでは考えました。

 そして2012年家業からスピンアウトし自分でやっていく決意をしました。家業は弟が継承しましたが家業からの資本関係をもたずに独立しました。特に社歴がない企業の辛さですが、資金集めに銀行との融資交渉と、開発しながら販売し現金化することに明け暮れる毎日でした。しかし今振り返ると、自分には合っていた道でした。自分は後継者より創業者として、イノベーターになりたかったのです。

 素材と美的感性を掛け合わせた日本製品を増やし、世界でまた日本企業がトップに並ぶことを夢見て奮闘の日々を送っています。