宇宙飛行士の若田光一さん(60)が3月末で宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職したのに先立ち同29日、東京都内で会見した。日本人の飛行最多5回、通算最長504日の記録を持ち、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)船長を務めるなどエース級の活躍をしてきた若田さん。「(飛行士に選ばれてから)32年があっという間に過ぎた。各国の皆さんと力を合わせ努力できた」と振り返った。今後は経験を生かし民間部門で、地球に近い低軌道の宇宙開発を推進するという。
背広姿で登壇した若田さんは冒頭で「1992年の飛行士としての初会見が、本当に昨日のことのようだ。皆様に多大な支援を頂いたことに感謝したい」とした。
今後の自身の活動について「月、火星を含む有人宇宙活動の持続的発展のためには、民間主導の低軌道の活動が鍵になる。経験を生かし、民間による活動を盛り上げ、ポストISSの活動推進に尽力したい。先駆者の1人として仕事をしたい」と説明した。所属組織などの具体的な内容は、今月にも公表されるという。
米国は2020年代に国際協力で月上空の基地を建設しつつ、アポロ計画以来の有人月面着陸を26年9月にも実現させる「アルテミス計画」を進めている。日本人も月面に降り立つ期待が高い。一方、地球の高度400キロを周回するISSは、30年までの運用に各国が合意済みで、設計上の寿命もこの頃であるとされてきた。ポストISSの低軌道の宇宙開発について、若田さんは「ISSが永遠にあるわけでないが、人類が月や火星へと向かうには、ISSの後も低軌道の拠点が不可欠。その重心は政府でなく、民間に移っていく。私も新しい分野として挑戦したい」とした。
低軌道の宇宙開発で民間主導を実現するのは「一朝一夕には難しい」。そこで「政府による(産業育成のため、製品やサービスを一定に調達する契約である)アンカーテナンシ―などの支援を通じ、民間主導の割合、事業性が高まっていく。その先に民間が独立できるよう、ノウハウや努力が必要だ。JAXAも支援している。参入してこなかった異分野企業の技術が合わさり、ブレークスルーが生まれれば日本の強みになる」と強調した。
一方、6回目の飛行の意思を問われると「可能性は分からないが、意欲はある。有人飛行の現場で生涯現役という目標にブレはない」と言い切った。「今ISSにいる(ロシアの)コノネンコさんは(滞在中に)1000日を超えるし、世界には7回とかの方もいる。当然、6回でも7回でも8回でも9回でも10回でも目標はある。私や日本が未経験のことに、常に挑戦していきたい」と強調した。
これからの飛行士に求められる技量を問われると「ISSではあまり研究されてこなかったが、月面探査で重要になるのはおそらく地質学。そういった、基礎的な知識としてマスターしなければならない分野がある。月面着陸に必要な特殊技術もある」との見方を示した。AI(人工知能)の進展にも触れ「私が飛行士になった時のような、手動の技術でやっていく時代ではなくなりつつある。そういった中で必要なのは、やはりチームスキル。限られた人数、またストレスが高い環境でチームの成果を最大限に引き出す能力が、今後も重要だ」と持論を語った。
話は1996年の初飛行の思い出にも及んだ。当時は「宇宙に恐怖はないか」とよく聞かれたが、打ち上げや帰還への恐怖はなかったという。しかし宇宙に行って初めての夜、人工衛星をつかむロボットアームに、必要なピンが付いてないという夢を見た。「これでは回収できない。どうしよう。若田頑張れと言われて来たのに…」という内容で、「自分の失敗に対する恐怖が一番大きく、それが表れたのだろう」と振り返った。
若田さんと同様に、新たな挑戦をする人に向け「人生の大きな転換で、希望と不安がいっぱい。だが(皆さんも)新しいことに挑戦する気持ちを常に持って、仕事に取り組んでいってほしい。(同世代の)還暦頃の皆さんは経験やネットワークを生かし、チームを作れるようにして頂きたい」とエールを送った。
「宇宙の最大の魅力は」の問いには「みんなのもので、みんなに限りない夢、希望を与えてくれる空間であること。分からないことを既知のものにしていく喜びがある。新しい環境を使っていろいろな取り組みをすることで、新しい知見や技術、チームワークにつながる」と笑顔で語った。
若田さんは1963年、埼玉県生まれ。九州大学大学院工学研究科修士課程修了。日本航空で整備や機体構造技術に携わった後、1992年、宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)の飛行士候補に選出された。2004年、九州大学大学院工学府博士課程修了。過去5回の飛行では(1)1996年、米スペースシャトルに日本人初の搭乗運用技術者として搭乗、(2)2000年、日本人として初めてISS建設に参加、(3)09年、日本人初のISS長期滞在を実施、(4)13~14年の長期滞在の後半約2カ月間、日本人初のISS船長に就任--し、数々の「日本人初」を成し遂げてきた。
また、直近の(5)22年10月~昨年3月の長期滞在では、自身初の船外活動をこなした。滞在中はISSに係留していた宇宙船の冷却剤漏出など、多数のトラブルが生じたが、他の飛行士や地上の管制員と連携し、的確に対処した。科学技術振興機構(JST)のニュースサイト「サイエンスポータル」にISSからメッセージを寄稿し、ISSや日本実験棟「きぼう」の印象、思いをつづった。
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