国民に耳に痛いことが言えなくなっている─。2024年度予算案は異例の展開で土曜日の2日に衆院を通過し、3月中の成立が確定した。日経平均株価は史上最高値を記録し、一時4万円を突破。春闘も大幅な賃上げの方向で、世の中が好転しつつあるようにみえる。しかし、政界はいまだに自民党の裏金問題が尾を引き、首相の岸田文雄の政権運営を直撃。裏金問題発覚後、初の国政選挙となる4月の3つの衆院補欠選挙は岸田政権の今後を決める試金石となるが、果たして国民はどう判断を下すか。
【政界】国民の信頼回復に向けて岸田首相は行動できるか? 「全容解明」の先に待つ改革への覚悟と課題
またサプライズ
岸田は2月29日、衆院政治倫理審査会に臨んだ。現職首相の出席は初めてで、突然の発表だった。
政倫審の開催の有無は、2024年度予算案の3月中成立を確実にしたい政府の意向を受けた与党と野党の駆け引き材料となった。憲法の規定では、予算案を3月2日までに衆院を通過させ、参院に送付すれば、参院が議決しなくても3月中に成立する。
裏を返すと、衆院通過が3日以降にずれ込めば、参院の審議次第で成立が年度をまたぐ可能性があり、24年度の暫定予算を組まなければならない事態も想定された。
元日に発生した能登半島地震への対応を含む予算案の成立を、例年よりも遅らせる選択肢は岸田の中になかった。岸田はもともと経済再生を確実にするための起爆剤として24年度予算案を考えていた。2日は土曜日だったが、平日のように午前中から予算委員会を開き、夕方に本会議で可決した。
それにしても「突発性決断症候群」とも称される岸田のサプライズは最近、特に目立つ。
安倍派などの自民党派閥の政治資金パーティー不記載への批判が高まった昨年12月7日、岸田は自らが会長を務める岸田派からの離脱を突然表明した。首相就任後も派閥会長であり続けた例は過去にほとんどない。先例にこだわらず、派閥会長の座にあり続けた岸田だけに、驚きを持って受け止められた。
今年1月18日には、その岸田派を解散する意向を発表した。後見人の党副総裁・麻生太郎(麻生派会長)や、幹事長の茂木敏充(茂木派会長)にも事前に知らせていなかった。
そして2月28日、岸田は政倫審に出席すると表明した。これを予想できた永田町関係者は皆無だろう。麻生、茂木や、政倫審を含めて国会全般の運営を担う自民党国対委員長の浜田靖一も「聞いてねえ」と漏らした。
岸田の表明直前、与野党の交渉は、塩谷立、西村康稔、松野博一、高木毅ら安倍派事務総長経験者が出席するか否か、出席する場合は公開か非公開かを巡り膠着状態に陥っていた。岸田の出席は野党すら求めておらず、立憲民主党国対委員長の安住淳は「驚いた。なんか嫌疑あるんですか?って感じで」と告白したほどだ。
反転攻勢ならず
国会運営上は、岸田の政倫審出席は狙い通りの結果をもたらした。出席や公開を渋っていた塩谷らが岸田に追随したからだ。
2月29日と3月1日に行われた政倫審は、現職首相の出席が初めてならば、特定の事案で複数人(今回は計6人)が出席したのも初めてだった。しかし、新しい内容は乏しかった。
それはそうだろう。出席した安倍派の4人はすでに検察の任意の聴取を受けていて、政治資金規正法に違反するような証拠がなかったからこそ立件されなかった。自民党幹部は「政倫審を開催したこと自体に意味があった」とうそぶく。
ただ、政府・自民党が難局を乗り切ったわけでもない。むしろ安倍派幹部間の矛盾が露呈したからだ。安倍派会長だった安倍晋三は22年4月、安倍派のパーティー収入を所属議員に現金で還元することをやめることを幹部に提案し、決定した。
しかし、安倍死去後の同年8月に幹部が集まった会合について、塩谷が政倫審で「仕方なく継続となった」と述べたのに対し、西村は「結論は出なかった」と証言。モヤモヤ感が残った。
政倫審開催に至る自民党の右往左往ぶりもマイナスの印象を与えた。安倍派議員の中には「派閥事務局の不記載指示」に基づいて政治資金規正法に反する形で裏金をつくっていた議員が多数いた。にもかかわらず、幹部は誰も立件されず、閣僚や党幹部の職を辞任したとはいえ、道義的な責任を明確に果たしたわけでもない。政倫審への出席や公開を渋る幹部の姿に「情けなく、みっともない」(安倍派中堅)との不満が渦巻く。
茂木をはじめとする自民党幹部も、安倍派幹部に政倫審出席を促した形跡はない。このままでは予算案審議が停滞し、3月までの成立が危ういと感じた岸田が自ら打ち出した打開策が自身の政倫審出席だった。
岸田が2月28日に記者団に政倫審出席を表明した際の言葉は、従来とは少し異なっていた。岸田は「政治の信頼回復に向けて、ぜひ志のある議員に政倫審をはじめ、あらゆる場で説明責任を果たしてもらうことを期待している」と述べた。
岸田が「志」という感情に訴えるような言葉を使うことは珍しい。岸田の国会答弁は官僚的、悪く言えば無味乾燥であり、街頭演説なども含め情熱的なスピーチと縁遠い。
岸田は政倫審冒頭の弁明で「後来の種子いまだ絶えず」という幕末の志士・吉田松陰の言葉を引用し、「今の政治を未来の政治に自信を持って引き継いでいくことができるか」と訴えた。松陰の言葉は「志を受け継いでくれる者がいれば、まいた種が絶えることなく実りを迎えていく」との意味だ。安倍が生前、「先生」と慕っていた松陰の言葉であり、安倍の家族葬で妻の昭恵も触れていた。
安倍の遺志を継承しているとは思えない安倍派幹部への当てつけにも聞こえたが、いずれにせよ、めったに使わない言葉を使ったところに岸田の不退転の決意が垣間見えた。
自民党幹部に相談しなかった政倫審出席は、言ってみれば世論を気にした決断だったともいえる。3月中の予算成立を確実にしたことは、政権運営上では大きな効果があったに違いない。しかし、世論調査の結果は惨憺たる状況だ。
TBS系のJNNが政倫審後の3月2、3両日に実施した世論調査によると、内閣支持率は岸田内閣として過去最低の22.9%、不支持率は過去最高の74.4%だった。
共同通信の世論調査(9、10両日)でも内閣支持率は20.1%となり、前月比で4.4ポイント下がって岸田内閣として過去最低を更新した。政倫審に出席した安倍派幹部らについて「説明責任を果たしていない」との回答は91.4%に上り、自民党の政党支持率24.5%は12年12月の政権復帰以降、最低となった。昨年11月に裏金問題が表面化したときよりも悪化していることになる。
4月補選はいばらの道
政倫審が好感を持って受け入れられなかったことで、自民党にとっては4月28日投開票の日程で行われる東京15区、島根1区、長崎3区の3つの衆院補欠選挙に暗雲が漂う。
岸田は予算案の衆院通過の直前、周辺に「まずは予算を確実に成立させる」と語った。一時は自民党内にも「予算成立を花道に退陣だろう」(閣僚経験者)という声があったが、岸田には、まったくその気がない。
自民党の不祥事が完全に解決していない中での4月解散説もあるにはある。補選前に衆院が解散されれば、補選は回避され、総選挙で自民党が勝利すれば政権を安泰させることができるという見方だが、今となっては、さすがに現実的ではないだろう。
岸田は、ひとまず4月補選で勝負するしかないことになりそうだが、裏金問題で自民党に所属していた谷川弥一が議員辞職したことに伴う長崎3区は不戦敗の様相だ。前議長の細田博之の死去に伴う島根1区も厳しい戦いを強いられている。
島根は自民党有数の金城湯池である。小選挙区制となった1996年以降の選挙はすべて細田が当選し、中選挙区制だった島根全県区時代も自民党系候補が常にトップ当選だった。
自民党は今回、財務官僚だった新人の錦織功政が立候補するが、細田の世界平和統一過程連合(旧統一教会)との関係やセクハラ問題に加え、細田が細田派として会長を務めていた安倍派の裏金問題も直撃し、「〝細田ショック〟で地元が一致結束できていない」(自民党島根県連幹部)という。立憲民主党が擁立する亀井亜紀子は元職で、同党が総力戦で臨む構えだ。
注目される小池の動向
そんな中で唯一、脈がありそうなのが東京15区だ。自民党に所属していた元法務副大臣の柿沢未途が江東区長選を巡る公職選挙法違反(買収など)で逮捕、起訴となり、辞職したことで行われる。
一連の事件による江東区長の辞職に伴い昨年12月に行われた区長選では、東京都知事の小池百合子(都民ファースト特別顧問)が主導した元都部長の女性候補を、都民ファのほか、自民党や公明党が推薦。立憲民主党などが推した候補らを破り当選した。
今年1月の東京・八王子市長選でも、自民、公明が推薦した元都局長の男性が当選した。都民ファは推薦こそしなかったが、小池自身が応援に入り、裏金問題の逆風をはねのけた。
自民党都連には「もう小池さんに足を向けて寝られない」との声が広がっている。「江東区長選方式」ともいえる手法を、選挙区域が全く同じ4月の東京15区補選で適用できれば、自民党の「勝利」に位置付けられるという目算だ。
永田町では、低迷する岸田を脅かす有力な後継候補が不在の中、小池が自ら東京15区補選に出馬して勝利し、国政復帰した上で9月の総裁選を勝ち抜き、首相を狙っているのではないか、との臆測も広がる。
とはいえ、小池も今年7月で72歳。そもそも2016年の都知事選で自民党と敵対して出馬し、17年の衆院選では希望の党を立ち上げて対立した経緯がある。自民党に戻ったところで、派閥が事実上解消された党内で小池を本気で支えるような勢力も支持基盤も見当たらない。健康不安説が定期的に浮上しては沈む小池が7月の都知事選の立候補さえ見送るのではないかともささやかれる。
いずれにせよ、今の自民党が窮地であることに変わりはない。岸田は3月8日で首相在職887日となり、今太閤ともてはやされた田中角栄を抜いて戦後の首相の通算在職で歴代9位となった。まがりなりにも安定してきた政権が続くのか、それとも首相交代につながって再び政界が混迷するのか。
4月の補選は、単なる一部地域の補選ではなく、日本の今後を左右することにもなる。
(敬称略)