イノベーションの塊・糸川英夫に学ぶ
2024年1月20日午前零時20分、月面着陸実証機「SLIM」が月面への着陸に成功したと宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表した。史上最小100メートル級の位置誤差の「ピンポイント着陸」も達成したとの続報に、日本中が沸き立った。
その宇宙開発のルーツをたどれば、糸川英夫氏に行き着く。1912年生まれで戦争中は中島飛行機で戦闘機の設計に没頭していた糸川は、東大第二工学部教授、生産技術研究所などを経て、戦後は全長23センチのペンシルロケットに取り組む。死後25年が経ち、今や、糸川英夫のことなど、誰も知らない時代となった。本書は異端とイノベーションの塊として86年間を生ききった糸川英夫の評伝である。
本書には随所に糸川とイーロン・マスクの発想の近似性が述べられる。2017年にマスクが公表した「国際都市を30分で移動できる旅客ロケット便」(BFR構想)は糸川が1953年に発表した「太平洋を20分で横断するAVSA構想」と酷似していると著者は言う。
世界各国の観測ロケットは誘導制御が容易で軍事目的に転用しやすい液体燃料であったにもかかわらず、糸川は軍事目的と距離を置き、外国の後は追わないと固形燃料にこだわる反逆精神に満ちていた。ヴァイオリンを弾き、バレエを踊る糸川は平和主義者だったのかもしれない。戦争中の記録を日経の「私の履歴書」からも抹殺したというのなら本物だろう。未来小説として紹介されている2冊も読んでみたくなった。
本書にはこんな一節がある。「糸川さんは、数学の時間を半分にしても、科学を作り上げてきた人の伝記や評伝を教えるべきだという考えを持っていた」と。
筆者はこの発想を「物語共有の法則」としてイノベーションの第三法則と位置づけるが、大切なのは知識ではなく先人イノベーターの思想や哲学を我が物とすることだろう。糸川英夫という稀代のイノベーターの生き方から現代人が学ぶものは少なくない。
【著者に聞く】『ChatGPTの全貌 何がすごくて、何が危険なのか?』中央大学国際情報学部教授、政策文化総合研究所所長・岡嶋裕史