岡山大学は3月12日、メチル水銀に曝露されたマウスにおいて、嗅覚に関与する脳領域や神経細胞が傷害されていることを突き止めたと発表した。

同成果は、岡山大 学術研究院医歯薬学域(薬)の上原孝教授、同・大学大学院 医歯薬学総合研究科の飯島悠太大学院生、国立水俣病総合研究センター 基礎研究部の藤村成剛部長らの共同研究チームによるもの。詳細は、ヒトなどのほ乳類に対する化学物質の毒性に関する全般を扱う学術誌「Archives of Toxicology」に掲載された。

  • マウス嗅覚系に対するメチル水銀曝露の影響

    マウス嗅覚系に対するメチル水銀曝露の影響(出所:岡山大Webサイト)

水俣病は、重度のメチル水銀中毒によって発症する神経疾患であり、知覚鈍麻、運動失調、視野狭窄、聴力障害などの症状が出現する。これらはメチル水銀が、小脳や大脳皮質(体性感覚野、運動野、視覚野、聴覚野)といった神経系の特定部位を強く傷害することに起因することがわかっている。

水俣病の発生から60年以上が経過し、その間さまざまなことがわかってきたが、現代の技術や知識を持ってしても、医学的に未解明な問題点も残されているという。その1つに、水俣病患者がしばしば嗅覚障害を呈することが知られていたが、揮発性や大気への拡散性に乏しいメチル水銀が、嗅覚系にどのように影響を及ぼすのかが不明だったとする(水俣病は、主にメチル水銀に汚染された海産物を摂取することで生じる)。

嗅覚は、鼻腔の奥に存在する「嗅細胞」がさまざまな化学物質を捉えて電気信号に変換し、それが脳に伝達される仕組みで、においがわからなくなる嗅覚障害の多くは、風邪やアレルギー性鼻炎など、鼻腔に何らかの異常が生じることに起因する。それに対し、メチル水銀は脳に強い傷害を与えてしまうことから、水俣病における嗅覚障害は脳の異常に起因するのではないかと考察したという。そこで研究チームは今回、メチル水銀の毒性研究で汎用されてきた実験用マウスを用いて、メチル水銀曝露群とコントロール群を設定し、嗅覚に関与する脳領域の組織形態を詳細に比較することにしたとする。

比較実験の結果、においを感じ取る重要な部位の、脳の嗅覚一次中枢である「嗅球」において、においコントラストの調節に関与する「顆粒細胞」が、メチル水銀の曝露に脆弱(ぜいじゃく)であることが明らかとなり、大脳皮質のいわゆる嗅覚野に相当する領域においても顕著な神経細胞死が生じていることが観察されたという。

神経細胞死が見られた領域では、本来、神経細胞の維持や機能発現を助ける働きがある「グリア細胞」が異様に活性化されていたとする。グリア細胞の活性化は、アルツハイマー病などの神経変性疾患に共通して神経細胞死に関わるという考え方が広がっており、水俣病においても脳の傷害を表す重要な指標になることが考えられるとした。

また、鼻の粘膜にも嗅球や大脳皮質と同程度の水銀が蓄積しており、嗅細胞が部分的に脱落していることも見出されたとする。このように、メチル水銀が嗅覚に関与する神経系を広く傷害することが、今回の研究により初めて実証された。

メチル水銀の他にも、嗅覚への悪影響が指摘されている化学物質は多く存在している。特に、化学産業の労働環境や鉱物の採掘現場では、粘膜に対する刺激性や神経毒性を有する化学物質が豊富に存在しているという。土壌や大気、粉塵に含まれるこうした化学物質は吸気によって容易に体内に侵入し、そのために吸気の通り道である鼻の粘膜が傷害され、嗅覚障害に至るとされている。

なお、今回の研究により水俣病の全容解明に向けてさらに一歩前進すると共に、環境化学物質の健康リスク評価の在り方についても議論を深める一助となることが期待されるとしている。