大阪大学(阪大)と東北大学の両者は3月11日、がん細胞だけに結合して正常細胞には反応しない抗体の取得に成功し、さらにその細胞選択性の理由を結晶構造解析などにより明らかにしたことを共同で発表した。

同成果は、阪大 蛋白質研究所の有森貴夫准教授、東北大大学院 医学系研究科の加藤幸成教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、構造生物学とその関連分野に関する全般を扱う学術誌「Structure」に掲載された。

  • 乳がん細胞と正常な乳房上皮細胞に対するH2Mab-214の結合性の評価

    乳がん細胞と正常な乳房上皮細胞に対するH2Mab-214の結合性の評価(フローサイトメトリー)(出所:阪大Webサイト)

抗体医薬は、標的分子に対して高い特異性で結合する抗体の特性を利用したもの。がん治療においては、がん細胞において異常に生産され、正常細胞と比べてがん細胞の表面に圧倒的に多く存在しているタンパク質が標的として利用される。乳がん治療の場合は約20%において、タンパク質「HER2」(ヒト上皮細胞増殖因子受容体2)が数多く作られており、このようなタイプの乳がんは「HER2陽性乳がん」と呼ばれている(HER2陽性乳がんは増殖が速く、悪性度が高い)。しかし、このHER2は正常細胞上にも存在していることがわかっており、抗体医薬が正常細胞まで攻撃してしまい、副作用を引き起こす危険性があった。

がん細胞にしかない分子を標的とすることができれば、副作用の恐れが無くなる。HER2に結合する抗体については20年以上も前から研究されており、HER2陽性乳がんに関しては、すでに「トラスツズマブ(ハーセプチン)」をはじめとするいくつかの抗体医薬品が実際に臨床応用され、大きく状況が改善したという。しかし、がん細胞上のHER2だけに結合する抗体医薬品はこれまでのところ開発されておらず、依然として正常細胞にも攻撃してしまう危険性が存在していた。

そこで研究チームは今回、数百種にも及ぶHER2に対する抗体を作り出し、抗体ごとの細胞に対するさまざまな反応性を調べ、がん細胞によく結合する一方で、正常細胞にはまったく反応しない抗体を開発することにしたとする。

HER2を標的とする数百種の抗体の中から、がん細胞によく結合し、正常細胞には結合しない「H2Mab-214」が見出された。その解析が行われたところ、H2Mab-214は、HER2分子の内のたった7残基のアミノ酸配列を認識することを特定したという。

次に、その配列を含むペプチドとH2Mab-214の複合体の結晶構造解析が行われた。すると、抗体に結合したペプチドの形が、既報のHER2の立体構造中に見られる対応する領域の形とはまったく異なっていることが判明。既報の構造では、この領域は比較的安定な構造である「βシート」を形成していることから、H2Mab-214はこの構造が壊れないとHER2に結合できないことが示唆された。そこで、正常細胞上のHER2の立体構造を人工的に破壊してみたところ、H2Mab-214が結合できるようになることが確認されたとする。

  • 正常細胞上とがん細胞上のHER2の立体構造の違いを見分けるがん特異的抗体H2Mab-214

    正常細胞上とがん細胞上のHER2の立体構造の違いを見分けるがん特異的抗体H2Mab-214(出所:阪大Webサイト)

以上のことから、がん細胞ではHER2の立体構造の一部が正しく折りたたまれておらず、H2Mab-214はそこを認識するため、がん細胞のみに特異的に結合できることが解明された。さらに、マウスを用いた実験では、このH2Mab-214が高い抗腫瘍活性を持つことも示されたという。

近年のがん治療においては、抗体をそのままの形で利用するだけでなく、抗体に抗がん剤を付加させた「抗体薬物複合体」や、抗体の一部分を組み込んだ特殊なタンパク質を免疫細胞(T細胞)上に作らせてがん細胞を攻撃する「CAR-T細胞療法」など、抗体を利用して抗がん剤や免疫細胞をがん細胞に向かわせる治療法の開発が盛んに行われている。このような殺細胞能力の高い治療法においては、抗体のがん細胞選択性が益々重要になるとする。

通常、膜タンパク質は正しく折りたたまれたものだけが細胞表面に現れるよう、細胞内の品質管理機構によって制御されている。しかし、がん細胞においては品質管理機構に異常が生じることが知られており、さまざまな分子が構造の乱れを持ったまま細胞表面に現れている可能性があるという。そのような「立体構造の乱れ」に着目することで、新たながん特異的抗体の開発が可能になることが期待されるとしている。