斉藤恭彦・信越化学工業社長「塩ビ、半導体関連に加えて、次世代ディスプレイなど新領域を開拓」

「目の前のことに集中して取り組む。その積み重ねが大切です」─。斉藤氏はこう話す。化学業界にあって、高い利益、時価総額を実現している信越化学工業。塩ビ、半導体ウエハーなど強みを持つ事業への積極的な投資で成長を続けてきた。加えて半導体の分野に向けたさらなる開発、ディスプレイにまで新たな事業領域を広げようとしている。斉藤氏が進める経営の形とは─。

住宅、半導体市場の行方は?

 ─ ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルとパレスチナの紛争と地政学リスクのある中ですが、今後の世界経済への影響をどう見ていますか。

 斉藤 世界の政治や地政学については、それを専門にされている方が大勢おられます。私たち一企業としては、やるべきことは決まっていますので、それにしっかりと取り組むことに尽きると思います。

 ─ 業績を見ると前期に経常利益で1兆円超という高収益でしたね。今期は減益見通しとはいえ高水準の利益が続きます。

 斉藤 前期に記録した1兆円超の経常利益は過去最高の業績でした。この期は全ての事業が好調に推移し、中でも塩ビが業績の伸長に大きく貢献しました。

 この数年を振り返ると、着実に増益基調を続けてきました。今期についても、前期と比較すれば減益ですが、前々期と比較すると増益の見通しです。

 ─ 産業界全般でコロナ禍という厳しい環境下でしたが、その中でも増益基調だったと。

 斉藤 はい。まさに22年と23年の2期はコロナ禍にあり、世の中が経験したことのない事態に混乱を極めた時期でしたが、私たちの事業には想像以上に追い風が吹いたということです。

 まず塩ビ関連は、20年に入った頃が、米国で「ミレニアルズ」と呼ばれる、ベビーブーマー世代の子どもが成長し住宅の取得に意欲的となった時期にあたり、住宅需要が高まりました。その手応えを感じていたところにパンデミックが到来して、経済活動は一旦休止し、大きく落ち込みました。ところが、政府がロックダウン(都市封鎖)などの対策を解除した途端に住宅向けの塩ビの需要はV字回復しました。

 ─ 要因は何でしたか。

 斉藤 外出などの行動が制限される中、「仕方がないから家周りのことをやろう」と考える人が増え、家を修繕する動きが出て、塩ビも含めた建築材料が文字通り飛ぶように売れました。

 感染症が拡大する中でリモートワークが取り入れられ、米国では「郊外に大きな家を持ちたい」と希望する人が増え、需要が出てきました。人口動態的な需要増に加えて、新しい働き方に合わせた住宅需要が重なった形です。

 もう1つ、リモートワークで必要なPCなどの電子機器需要も出てきました。しかし、いま振り返ると需要を先取りした面が強く、その後の調整期間が長くなったわけですが、当時は追い風でした。

 ─ 今後の米国の住宅需要をどう見ていますか。

 斉藤 これまでインフレ抑制のために米国FRBは金利を上げてきたわけですが、それによって住宅価格もローン金利も上昇し、住宅が購入しづらくなりました。さらに、ローン金利が低い時期に住宅を購入した人達が、買い替えのための金利が上がったことで住宅を売れなくなってしまいました。中古が8割を占める米国の住宅市場が〝凍結〟されたわけです。

 それがここに来て、24年には金利が下がる可能性が出てきていますから、住宅需要がようやく復活すると見られています。

 住宅だけでなく、AI(人工知能)関連の投資もデータセンターを中心に増えてくることが予想されていますし、それらの投資に伴い半導体も復調することが予測されています。

同業他社との比較を発信

 ─ 財務状態が非常に健全であるだけでなく、ROE(株主資本利益率)も高いですね。

 斉藤 はい。しかし財務が健全であることの裏返しで、現金を多く保有していると指摘されることが多いのも事実です。

 現金が多いということはROE(Return On Equity)のEの部分が大きいわけですから、一般的にはROEは上がりにくいと言われますが、お陰様で、前期で19.7%と比較的高い水準となっています。

 当社は東京証券取引所が選定する「JPXプライム150指数」の構成銘柄になっています。その150社は、PBR(株価純資産倍率)や、ROEから株主資本コストを差し引いたエクイティスプレッドが高い企業が選ばれています。PBRやエクイティスプレッドといった株主の視点が含まれた指数の構成銘柄の1社であることは、かなり強く意識をしています。

 ─ 市場との対話も含め、意識をしていると。

 斉藤 当社は化学業界に属していますが、当社と同じ事業構成の会社はありません。しかし、市場は化学業界に属する会社を当社と同じ分野で事業を行っていると見ています。

 そこで海外を含む化学業界で当社の競合ないし当社に近いとされる14社と比較してみることにしました。14社の営業利益を合算し、その値が11年を起点に当社との比較でどう推移しているかを見てみたのです。

 そうすると15年以降、当社の利益の伸びが、14社の利益の合計の伸びを大きく上回っているという結果がわかりました。この比較は最近、投資家の方々にお示ししています。

 ─ 自社の成長性を示す意味があるわけですね。

 斉藤 その通りです。やはり同業とされる企業との比較は重要だと考えました。ただ、単一の企業との比較では事業が重なっているところもありますが、全く違うところもありますから14社の合計と比較しました。

 当社は化学業界に分類されているわけですが、業界としてひとまとめで見た時には市場から「業績が伸びていない」、「成長していない」と見られることがあります。そのような見方には疑問を感じます。業界で一括りすることに意味があるのだろうかというのが正直な思いです。

 これらのことを株主の方々に向けて発信しています。同時に、個人株主の方々に当社に興味を持っていただこうと、株式分割も実施しました。当社の株式を保有していただく機関投資家、個人株主の層を広げていく必要があると考えています。

新素材の開発も

 ─ 事業面での今後の展開について聞かせて下さい。

 斉藤 塩ビでは、現在米国のシンテック社の工場の増強を進めており、24年半ばに完成する予定です。増強、新設のたびに最新鋭の技術を導入していますから、生産性も上がります。米国ルイジアナ州にあるシンテックのプラケマイン工場には第3工場まであり、次の新・増強については現在検討中です。

 半導体関連については、市場が拡大していくいくことは疑う余地はないと見ています。スマートフォンを始めとするインターフェースの進化はまだまだ続くでしょうし、データセンターを中心にしたAI関連の投資も続きます。また、PCにAIの機能が搭載されてくると買い換え需要も出てきます。

 さらに、自動車は当社にとって極めて重要な市場です。EV(電気自動車)は「走るスマートフォン」と言われているように、搭載される半導体の数はPCを遥かに上回ってきています。EVはパワー半導体の塊になります。

 ─ 顧客の事業の進化に合わせて、必要なものをつくっていくということですね。

 斉藤 その通りです。お客様が必要とするものをつくっていきますし、新しい材料も開発していきます。半導体についてはウエハーだけでなく、製造工程で使われるフォトレジストやEUVマスクブランクス、パッケージングの材料など、お客様の期待に応えていかなければならないことが目白押しです。

 マスクブランクスについて言えば、最先端の半導体の製造になくてはならない露光基板です。先行している他社に追いつくべく、お客様から強い要請を受けて開発を進めています。  さらにシリコーンは、23年までに合計1800億円の投資を行いました。さらに23年に発表した1000億円の投資は脱炭素に向けて、お客様の省エネルギーに役立つような製品づくりと、当社の製造の際の温室効果ガスの排出を大きく減らすという両輪でグリーン化を目指すものです。

 希土類磁石についても、EV化で使用量が増えています。そこには経済安全保障などの政策、サプライチェーンの課題なども関係してきます。欧米は磁石産業は強くありませんから、そこに当社がどう関与していくかという観点でビジネス機会があります。

 ─ 自動車のEV化など、産業構造の変化に合わせて、新たな事業機会を探っていくと。

 斉藤 はい。次世代のパワー半導体の開発も進めていますが、当社はGaN(窒化ガリウム)基板にも注力しています。現在、EVではSiC(炭化ケイ素)基板が多く使われていますが、実はGaNは耐圧やエネルギー効率などの特性でSiCよりも優れています。しかし、従来の製造方法では、大口径が実現できず、お客様に使っていただける価格の水準では作ることができません。

 これらの課題を解決すべく、当社はQSTⓇ基板(米Qromis社により開発されたGaN成長専用の複合材料基板で、19年に信越化学がライセンス取得)を活用して、大口径化とコスト競争力の向上を進めています。

 現在、GaNパワーデバイスは横型が主流ですが、当社の方法を使うことでコスト競争力を持ち、大電流制御が可能になる縦型デバイスを実現することができます。開発には沖電気工業さんと共同で取り組んでいます。

 更に、マイクロLEDディスプレイ向けの材料や装置の開発も進めています。マイクロLEDディスプレイは究極のフラットパネルディスプレイの技術と言われています。それだけにディスプレイのメーカーにとって製造するのが難しいものでもあります。マイクロLEDチップを並べてパネルにしていく工程は技術的にハードルが高く、材料開発だけしていたのでは市場が広がりません。

 そこで素材メーカーの当社としては新しい試みですが、自らマイクロLEDチップを並べるための装置まで開発して、装置と素材を組み合わせてお客様に提供していこうとしています。

 ─ 新しい領域での挑戦になると。その意味で経営者としてやりがいがありますね。

 斉藤 幸い、いま手掛けている既存の事業が伸びていますし、新規事業もありますから、やりがいがあります。

目の前のことを一生懸命に

 ─ 社長に就任されてから7年が経ちましたね。手応えはいかがですか。

 斉藤 パンデミックが起きた時にはどうなることかと思いましたが、事業の上では逆に追い風になるなど、巡り合わせが良かったと受け止めています。これまで取り組んできた下地、基礎がしっかりしていたということが大きいと思います。

 これは金川(千尋・前会長)の経営、リスク管理が会社の背骨になり、血肉となっていることの証左です。金川は先見性を備えた経営者でした。幸運にも、その金川の下で様々な仕事をさせてもらいました。その中で得た経験と考え方を経営する上での基本とし、取り組んでいます。

 ─ 基本を徹底してきたということですね。

 斉藤 その通りです。金川は「戦略」という言葉を好まず、一切使ったことがありませんでした。目の前のこと、今日のことを一生懸命やる。良い製品、お客様に求められる製品をつくり、適正な価格で買っていただき、つくった製品を全量販売する。これら基本の取り組みを徹底してきました。それによって今年は去年を上回り、来年は今年を上回るという実績を積み重ねてきたのです。

 ─ 海外での売上高が約8割を占める中で日本に本社を置くことの意味をどう考えますか。

 斉藤 当社の本社機能は極めて小さく、どこかに移すことに意味はありません。しかし、多くの企業が研究機能を海外にも設けるなどしており、当社も「機能の多国籍化」は進めていこうと考えています。

 ─ 現在、景気は悪化していますが、中国市場とはどう向き合っていきますか。

 斉藤 金川の時代から、中国は重要な市場であり、注意深く状況を見ながら設備投資も行ってきました。大市場であることは間違いありませんが、現在はおっしゃったようにかなり様相が変わってきています。

 当社は素材メーカーですから、取引の相手が禁輸措置の取られている国の企業でなく、公正な取引をしてくれる企業であれば良いという考え方です。

 一方、コスト競争だけでは事業は成り立ちません。中国のお客様の求めに応じて、そのご要望に合った製品を開発し、販売していくというやり方を取っていかなければならないと考えています。