高エネルギー加速器研究機構(KEK)、東北大学、茨城大学、J-PARCセンターの4者は3月5日、荷電レプトン(軽粒子)の第2世代の「ミューオン」が電子を捕獲して水素原子のように振る舞う「擬水素(ミュオジェン)」を用いることで、次世代の抵抗変化型メモリ(ReRAM)用材料として期待される「二酸化バナジウム」(VO2)内で不純物である水素が2種類の拡散経路を持つこと、そのうちの1つは半導体素子に適した高い拡散係数を示すことを発見したと共同で発表した。

  • 正の電荷を持つミューオンは、物質中の電子を捕獲して水素原子とよく似た擬水素(ミュオジェン)を作る

    正の電荷を持つミューオンは、物質中の電子を捕獲して水素原子(左)とよく似た擬水素(ミュオジェン)を作る(右)(出所:J-PARCセンターWebサイト)

同成果は、東北大 金属材料研究所 量子ビーム金属物理学研究部門の岡部博孝特任助教、茨城大大学院 理工学研究科(理学野)の平石雅俊研究員、KEK 物質構造科学研究所 ミューオン科学研究系の幸田章宏教授、同・門野良典特別教授、物質・材料研究機構(NIMS) 技術開発・共用部門の松下能孝ユニットリーダー、NIMS 電子・光機能材料研究センターの大澤健男主幹研究員、同・大橋直樹センター長らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する材料科学とその関連分野全般を扱う学術誌「Physical Review Materials」に掲載された。

VO2は室温近くで電気抵抗が大きく変化するという性質がある。近年ではその抵抗変化にについて、デバイス中に含まれる水素が深く関与していることが発見された。しかし、水素がVO2内でどう動き、どういった影響を与えているのかは依然として不明のままだ。

半導体デバイスを構成する薄膜内に存在する微量の水素の性質を調べるのは、水素が最小の元素であるということもあって極めて困難だという。そうした中で研究チームは今回、擬水素を外部から測定対象に入射させた上でデバイスを組んで電圧を印加し、実際に水素を注入することなく、直接ナノスケール領域の水素のダイナミクスを調べられる可能性を考察したとする。

今回の研究では、「ミューオンスピン回転/緩和/共鳴」(μSR)が用いられた。正の電荷を持つミューオンは約2.2マイクロ秒で崩壊し、同素粒子の持つスピン(自転)の方向に多くの陽電子を放出する。そのため、方向による陽電子数の違い(非対称度)を測定することでスピンの運動がわかり、物質内部の局所的な磁場構造を調べることが可能だ。ただし、1回の測定で数百万~数千万個のミューオンからの信号によって構成された時間スペクトルの中から、物質中の水素に関わる情報だけを抽出する必要があり、物理的に矛盾のない解釈にたどり着くには多大な労力を要するという。

  • VO2のμSR時間スペクトルと結晶構造(高温相)

    VO2のμSR時間スペクトル(範囲-265~110℃で測定)と結晶構造(高温相)(出所:J-PARCセンターWebサイト)

またμSRは、原子レベルの超高感度測定法のため、結晶構造の乱れや微量な磁性不純物の影響も容易に検出する可能性がある。それを防ぐには、測定用試料の素性を明確にしておく必要があり、今回はNIMSが所有する最先端の分析装置を用いて、試料の結晶構造や状態、微量元素(特に水素量)が確認された。

そして研究チームによると、μSRの実験データ解析から、ミューオンについて、どの程度の頻度で結晶内部の安定位置間を飛び回っているかの指標である「ホッピング率(ν)」と、VO2の構成元素(主にバナジウム)の核磁気モーメントが結晶内部に生じさせる微小な磁場分布の大きさである「核磁気分布幅(Δ)」の温度依存性が得られたとのこと。そして理論計算から、VO2は約67℃で結晶構造相転移を起こしてΔの分布が多少変化するが、内部磁場の大きさ自体はあまり変化しないことがわかった。

  • μSR実験より得られた擬水素のホッピング率νと核磁気分布幅Δの温度依存性

    μSR実験より得られた擬水素(Mu)のホッピング率ν(赤三角)と核磁気分布幅Δ(青丸)の温度依存性。青い点線は67℃で、VO2が結晶構造相転移を起こす温度(出所:J-PARCセンターWebサイト)

また、実験から得られたΔの値と、第一原理計算から得られたポテンシャルエネルギーの比較から、ミューオンは酸素に取り囲まれたトンネル状の空洞(酸素チャンネル)に存在していることが判明。しかし、この描像は室温よりもずっと低温領域のみで有効なことがわかり、そこでVO2中にさまざまな大きさの格子欠陥を導入したシミュレーションと実験結果の比較により、低温から高温までの水素のダイナミクスを説明することに成功したとする。

  • VO2中の内部磁場分布

    VO2中の内部磁場分布。Vがバナジウム、Oが酸素。画像中の数字は磁場の大きさ(単位はガウス)(出所:J-PARCセンターWebサイト)

水素は低温だと、酸素チャンネル内壁の酸素と結合しほとんど動けないが、温度の上昇で水素は隣の酸素へと飛び移れる(格子間拡散)ようになり、酸素チャンネル沿いに拡散するようになる。ただし水素は格子欠陥に遭遇すると、捕まって動けなくなるという。さらに高温になると、捕まっていた水素は格子欠陥から脱出(空孔媒介拡散)し、再び酸素チャンネル沿いに拡散するようになる。これは、まるで格子欠陥から格子欠陥へと飛び移っているような状態だという。

このようにVO2中の水素は、2種類の拡散経路を持ち、温度によってその割合が変化していくことがわかった。また、格子間拡散だけに限れば、室温付近で10-10cm2/sもの高い水素の拡散係数を示す可能性があることも判明。この事実について研究チームは、格子欠陥の少ない良質なVO2薄膜であれば、ReRAMだけでなく、従来とは異なる制御方式である水素駆動型の高速応答可能な電子デバイスが実現できる可能性が示唆されるとしている。

  • 各温度領域におけるVO2中の水素拡散のイメージ

    各温度領域におけるVO2中の水素拡散のイメージ。温度の上昇につれて低温(上段)で酸素に結合していた水素(水色の丸)は、格子間拡散(中段)や空孔媒介拡散(下段)を示す(出所:J-PARCセンターWebサイト)