「お客様に好かれなければ、いつでも会社はつぶれる」─。
100円ショップ(『ダイソー』)という業態を開拓した大創産業創業者の矢野博丈さんが亡くなった。享年80。
1943年(昭和18年)生まれ。若い時に転職9回を経験し、どん底も体験。そこから這い上がっての100円ショップ開拓という人生。
医者の多い家系だったが、妻の実家のハマチ養殖業を引き継ぐも失敗。夜逃げ同様に郷里・広島県を離れ、妻と長男の3人で上京。本のセールスなどで、苦労を重ねた。
その頃のことを「運も能力もないわたしの人生は悩んで、苦しんでの連続でした」と述懐。
その矢野さんが転職9回の末、1972年に移動販売業の矢野商店(後の大創産業)を創業。現在、国内外に5千数百の店舗をもつ『ダイソー』チェーンを展開するほどに成功。
成功の要因は何だと考えるか? という質問に、「わたしは運もなく、能力もなかった。とにかく目の前のことだけに集中し、食べるために必死で生きてきたことが良かったのかもしれません」と本誌の取材に答えていた。
「経営に答えは無いし、人間は所詮先を見る目なんて無いと思うんです」という人生観、人間観。だから、「とにかく必死で今を頑張るしか無かったんです」という生き方。
20世紀は人口が増加し、社会的にフォローの風が吹く成長時代。しかし、21世紀に入ると、少子高齢化で人口減少の時代になった。
そういう環境変化の中で「とにかく必死で今を頑張るしかない」と矢野さんは語り、「最終的には会社がつぶれるまで、自分たちの戦略が良かったか、悪かったのかが分からないのが事実だと思います」という人生哲学。
自分たちを磨く以外に方法は無いという人生観を生き抜いた人であった。
合掌