【政界】補選回避の4月解散説も浮上 経済再生や外交政策で覚悟が問われる岸田首相

元日の能登半島地震、2日の羽田空港での航空機衝突・炎上と2024年は波乱の幕開けとなった。政界でも自民党派閥のパーティー券を巡る裏金事件が暗い影を落とす中、大きな焦点は9月に自民党総裁の任期が満了する首相・岸田文雄が衆院解散・総選挙に踏み切るかどうかだ。岸田派の解散を率先して表明し、安倍派と二階派が追随する流れを作った岸田は苦境に立てば立つほど意気軒高だという。完全なデフレ脱却にも自信を深めているとされるが、果たして国民の期待に応える1年となり得るのか。

【政界】政治不信に直面する自民党 改革断行への〝覚悟〟が求められる岸田首相

攻めるための派閥解散

 岸田が今年で創設67年、池田勇人が創設した自民党最古の派閥・宏池会(岸田派)の解散を決断したのは18日だった。当日の朝刊で朝日新聞がパーティー収支不記載事件で同派の元会計責任者の立件方針を報じると、官邸に密かに派閥幹部を次々と呼び、岸田派解散の意向を伝えた。

 安倍派などの立件が不可避の情勢となってから内心では自民党の派閥を解散すべきだと考えていた岸田だったが、岸田派を巡る朝日記事が背中を押した。ことあるごとに相談してきた副総裁の麻生太郎にも、相談どころか事前通告さえしなかった岸田は周囲に「後ろ向きではなく、攻めるための解散だ」と息巻く。

 岸田の独断専行に麻生が激怒したとの報道もあったが、2人は麻生の誘いで21日夜に2時間にわたり会食。岸田は謝罪し、今後も連携していくことを確認して「和解」したという。

 今回の電撃的な派閥解散劇は、岸田が2021年の総裁選出馬にあたり、当時幹事長だった二階俊博を外すため、幹事長の任期を新たに設ける方針を掲げた「二階斬り」を上回るインパクトを党に与えた。

 最大派閥の安倍派も解散を決定し、二階率いる二階派も解散を決めた。ほとぼりがさめれば、いずれ再結集するともみられているが、いずれにせよ自民党にとっては一大事である。そして岸田の思惑は一定程度の効果があったようだ。裏金事件の影響で内閣支持率は激減してもおかしくなかったが、おおむね横ばいか、むしろ上昇に転じているのだ。

 朝日新聞が20、21両日に実施した世論調査は、内閣支持率23%、不支持率66%で、いずれも前月と同じだった。読売新聞(19~21日調査)は支持率こそ前月比1ポイント減の24%だったが、不支持率は2ポイント減の61%だった。産経新聞とFNN(20、21両日)では内閣支持率が5.1ポイント増の27.6%、不支持率が5.5ポイント減の66.4%だった。

 年明けの能登半島地震への対応で政府は大きなミスといえるような失態がなかったこともあるが、3派閥の解散が好意的に受け止められた可能性がある。

 自民党の支持率も、朝日では前月から1ポイント増え、24%となった。読売は25%で3ポイント減ったが、産経・FNNは27.1%で、0.2ポイントの減少にとどまっている。

 岸田の派閥解散宣言前に行われた1月中旬の共同通信の世論調査でも内閣支持率は前月比5.0ポイント増えて27.3%、NHKは3ポイント増の26%だった。内閣不支持率は共同が7.9ポイント減の57.5%、NHKが2ポイント減の56%で、底を打つ傾向が出始めていた。岸田は、まさにピンチをチャンスに転じつつある。

竹下的カレンダーの示唆

 世論を味方につけようとする岸田の心境に影響を与えそうな興味深い資料がある。

 永田町や霞が関で定期的に出回る「竹下的カレンダー」というものだ。竹下登元首相が存命の時、作成を指示したとされるもので、「竹下的」として引き継がれている。国会日程や法案審議の見通し、政治家の誕生日や没日などが記載され、何かと重宝する関係者は多い。

 最新版には、辰年は衆院選が行われることが多く、西暦の末尾が「4」の年は、首相が交代することが多いというデータが記載されていた。つまり辰年である今年は衆院選が行われ、首相が交代する可能性が高いことを示唆している。

 直近の辰年だった2012年は衆院選を経て野田佳彦から安倍晋三へ、その前の2000年は小渕恵三から森喜朗に交代した直後に衆院選があった。1976年は任期満了に伴う衆院選の結果、三木武夫から福田赳夫に交代。52年も衆院選があり、なかったのは88年と64年。6回中4回、衆院選が行われた。

 他の干支の場合を調べたところ、戦後、最も衆院選が行われた干支は辰年、羊年、酉年の4回だった。

 首相交代が多かった干支は子年の6回で、次いで多いのが辰年と戌年の4回。ただ、辰年は今年を除き戦後6回、戌年は7回だったので、辰年に首相が交代する確率は高いと言える。

 同じ年に衆院選と首相交代があった干支をみると、辰年が子年と並び3回で最多だ。辰年は2000年、12年と2回連続で衆院選と首相交代があった。

 西暦の末尾の数字別に首相交代が多かった年を調べると、最多は「0」と「6」の5回で、「1」「4」「7」「8」の4回が続く。

 末尾が「4」の年は、1945年以降では唯一、6回(今年を除く)で、ほかはすべて7回であることを踏まえると、やはり「4」の年に首相が交代する確率は比較的高い。

完全なデフレ脱却に自信

 肝心の岸田はどのような展望を描くのか。今年衆院選が行われるタイミングは3つある。

 1つは4月だ。前衆院議長の細田博之の死去に伴う島根1区の補欠選挙は4月28日投開票が確定的だが、補選は増える可能性がある。裏金事件で3月15日までに選挙区選出の議員が辞職すれば4月補選になるためだ。大きく負け越せば、「岸田では選挙に勝てない」との岸田降ろしが吹き荒れる可能性が高い。

 前首相の菅義偉が2021年に退陣したきっかけも、4月の3つの補欠選挙などで1つも勝てず、側近の小此木八郎が閣僚を辞して臨んだ8月の横浜市長選に敗れたことだった。「菅では選挙に勝てない」との空気が自民党に広がり、菅は9月の総裁選出馬断念に追い込まれた。

 ただ、今春以降は岸田にとって好材料がそろう時期でもある。岸田は1月5日、経済三団体共催の新年会で「所得と成長の好循環が本格的に動く新しい経済ステージに向けて、物価上昇を上回る所得増を実現しなければならない」と完全なデフレ脱却への決意を示した。

 順調ならば24年度予算は3月中に成立し、1人あたり4万円の定額減税の関連法も成立して6月実施が確定する。3月中旬には、岸田が「23年を上回る賃上げの実現」を経済界に求めた春闘の大手集中回答日だ。経団連の集計で31年ぶりの高い水準率となった昨年の3.99%を上回る賃上げは現実味がある。

 4月には国賓としての訪米も調整されている。実現すれば9年ぶりだ。国際情勢が混迷する中、外交や安全保障の安定度をアピールする機会となり得る。

 さらに日銀の金融緩和政策の出口についても早期に結論が出る可能性がある。異次元の金融緩和策の柱として16年1月から続いてきたマイナス金利を解除することで、完全なデフレ脱却を目指す、と見る向きは多い。株価は年初から大幅に上昇し、経済活性化を後押ししつつある。

 永田町の一部では、24年度予算成立と共に岸田退陣という花道論もささやかれる。しかし岸田本人にその気が一切ない。

 能登半島地震発生の前、岸田は周囲に「24年は完全なデフレ脱却に向けた条件が出そろう」と語り、国民の感情が前向きになるという手応えを感じていた。

 花道論どころか、補選が劣勢になると見極めた瞬間、補選を回避して衆院解散・総選挙を断行するとのシナリオもあり得る。立憲民主党は相変わらず支持が広がらず、日本維新の会も全国的な浸透は図れていない。

 裏金事件の影響は深刻で、12年初当選の衆院4期以下の議員には初めての逆風下の選挙となる。相当数が落選する可能性はあるが、290余りの議席を持つ自民、公明両党が過半数(233)を割ることはないと判断すれば、岸田が解散を断行する可能性は大いにある。

 次は通常国会が閉会する6月下旬から9月の自民党総裁選の前までの間だ。このころの岸田はますます苦しくなっているに違いない。補選で惨敗すれば「岸田では選挙に勝てない」との空気が蔓延するだろう。

 総裁選前に解散して勝利し、総裁選無投票再選を目指す、というのが岸田の理想だったかもしれないが、実はこれを実践した総裁は1人もいない。

 無投票で再選した自民党総裁は過去7人いるが、総裁選直後に前任者の残り任期が満了し、総裁選を行わなかったケースが多い。およそ2年以上首相を務めた上で、総裁選で無投票再選したのは1984年の中曽根康弘、97年の橋本龍太郎、2015年の安倍の3例あったが、いずれも衆院選とは無縁だった。

 3つ目は総裁選後だ。岸田が再選していれば可能だろうが、そもそも再選のハードルが高い。

 総裁選には、岸田が出馬した場合でも石破茂や高市早苗らの立候補が想定される。岸田の後継が誰であっても、就任直後に解散・総選挙を決断することは容易ではない。岸田が首相就任直後に臨んだ21年の衆院選は、議員の任期満了日を超えて行われた戦後初の事態で、解散の是非を判断する余地はなかった。09年の麻生太郎、20年の菅は首相就任直後の解散を狙ったが、決断には至らなかった。

 年内解散がない場合はどうか。25年は10月に衆院議員の任期が満了するので確実に衆院選が行われる。ただ、7月には参院選がある。衆参ダブル選は1986年以来ない。衆参ともに敗北するリスクもある選択をできるかどうか。ダブル選以外に同一年に衆院選と参院選を別々に行った例は83年が最後だ。1年に2回も国政選挙を行うことは国民の理解が得にくいだろう。

国際的にも不安定化

 もっとも、こうした政局に没頭するほど日本を取り巻く国際環境は容易ではない。1月13日に行われた台湾総統選は与党・民進党の頼清徳が当選し、今後「台湾独立」色を強める可能性がある。5月の総統就任に向け中国が軍事的圧力を強めることも予想され、台湾情勢が不安定化することもあり得る。

 今後も3月にロシア大統領選、4月には大統領の尹錫悦の支持率が低迷する韓国で総選挙、春にインド総選挙と日本周辺の各国で選挙がめじろ押しだ。何よりも11月の米大統領選は世界的な影響が大きい。バイデンが再選してもトランプが返り咲きを果たしたとしても、米国の不安定化は必至だ。この状況で日本も政治が不安定化すれば、中国やロシア、北朝鮮などの強権国家を利することになる。

 世界的な「選挙イヤー」にあたり、岸田は「これからの10年を決める1年になるかもしれない」と語る。その岸田自身が首相続投に向けもくろみ通りに進めるかどうか。経済再生や安全保障など課題が山積する中で岸田の〝覚悟〟が問われる局面だ。(敬称略)