アサヒグループホールディングス会長・小路明善「 人への投資、そして商品開発投資を」

地政学リスク、異常気象も含め、常に環境が激変する中を生き抜くには、「人への投資とマーケットインの思考に立つ商品開発投資が大事」とアサヒグループホールディングス会長兼CEO・小路明善氏。2016年に社長に就任してからの5年間に約2兆2000億円のM&A(合併・買収)を敢行し、今や海外での売上高が全体の65%、利益面では半分を稼ぐグローバル体制を敷く。このあと、北米市場、新興国市場開拓をどう進めるのか。また肝腎の日本国内の内需をどう掘り起こしていくかという課題。「2024年(令和6年)は歴史的な時代の転換期」と見る小路氏は、「企業はミッション、パーパスが厳しく問われる年」という認識を示す。賃上げ・所得向上ができて、企業収益が増え、それを原資に、人への投資や商品開発投資が高まり、日本経済全体が成長していくという好循環をどう生み出していくか。「大企業と中小地域企業とのパートナーシップ、シェアリング構築も大事」と訴える小路氏だ。

着実な成長軌道に乗せていく年

「2024年は日本経済の歴史的転換点に」─。

 適温経済の流れを定着させ、ややもするとデフレに引き戻されがちな根を完全に断つことができるかどうか。2024年(令和6年)は、その意味で大事な年になる。

 事実、賃上げ・所得向上で個人消費力を上げ、企業も〝金利の付く時代〟を迎えて収益力を高めていかなくてはならない。

 日本を着実に再生軌道に乗せられるかどうか─。〝失われた30年〟とされた日本を、それこそ国、企業、個人の三位一体で着実に成長軌道に乗せられるかどうか。その力が試されるのが2024年だということである。

「ええ、わたしは日本経済の歴史的転換点は2024年に来るのだと思っています。その意味で、経営者、経済人にも覚悟が求められていると」

 アサヒグループホールディングス会長兼取締役会議長の小路明善氏は日本経済にとって、2024年は〝歴史的転換点〟になるという認識を示す。

 日本は〝失われた30年〟と言われた停滞期から脱すべく、脱デフレを合言葉にこの10年余、金融大緩和、財政出動を行い、民間経済の成長につなげようと、官民一体で動いてきた。

 2012年末に発足の安倍晋三・前々内閣の経済政策〝アベノミクス〟もその観点から打たれた。

 2016年には、日本銀行がマイナス金利政策を打ち出し、年2%以上の物価上昇(実質)を実現しようと、金融緩和策を拡大し続けてきた。

 こうした政策が打たれてきた結果、2023年(令和5年)の物価上昇率は3.0%を見込み、24年は2.5%アップの予測。

 コロナ禍4年の間で、エネルギー・食料価格も上昇。こうした原材料コスト上昇を製品価格に転嫁していく動きが起き、世界的にもインフレ基調が続く。

 言ってみれば、コストプッシュ型のインフレであるが、小路氏は2024年を起点に、「ディマンド型インフレ経済へ移行するのでは」という見方を示す。

 アサヒグループホールディングスは近年、経営のグローバル化を進め、欧州や豪州のビール・醸造関連を中心にM&A(合併・買収)を実行。年間売上高約2兆7千億円のうち、65%は海外での売上が占める。

 コロナ禍初年の2020年12月期を除き、それ以降は増収増益の業績をあげてきた背景には、このグローバル化戦略が功を奏したと言っていい。

 そうした経過をたどり、新年は肝腎の日本の内需をどう掘り起こしていくかが重要課題の1つになっているということ。

「需要の創造による市場の拡大、そしてそれに伴って適度なインフレと言うか、適度な価格転嫁を進めて、収益の向上を図る。それで、賃上げなど分配に結び付けていく。単純に成長、分配という図式だけでなく、もう少し細部にわたって成長というものをどう実現していけばいいのか。それはディマンドプル型インフレ成長と一定程度絡んでくる。これは先進国がそうだし、日本銀行も2%成長と言っていますよね」

 2023年までは、原材料コスト上昇を製品価格に反映させたり、物価上昇に対して賃上げを図るという側面が強かった。つまり、コストプッシュ・インフレ経済だ。

 これが、2024年にはディマンドプル型、つまり需要増加が経済全体を引っ張る形になるという小路氏の見方。

「はい、わたしはディマンドプル型インフレ経済と言っているんですけどね」と小路氏は次のように述べる。

「日本は、まだデフレが止まった状態だと。完全脱却はしていない。ということは、どうするかというと、需要を拡大して、その需要拡大に伴って適度な価格転嫁が行われ、企業業績が伸びる。企業業績が伸びた原資で、人への投資や設備投資、そして商品投資など成長投資が行われ、内部留保も生まれます。そうやって市場を拡大していく」

 地政学リスク、異常気象と何かと不確定要因がある中、成長を掴むためにも、成長投資が大事だという小路氏の考えだ。

制約要因の中で成長をどう掴むか

 2024年は、世界全体に〝乱〟の様相だ。米大統領選挙が行われる年であり、ロシアはプーチン大統領が再選を図ろうとしており、中国が関心を寄せる台湾の総統選挙は1月中旬に行われる。

 さらに、インドでは総選挙が行われるなど、地球人口(約80億人)の半数が選挙に関わる年で、不透明感が漂う。

 また、ウクライナ戦争、パレスチナ戦争も続く。世界各地で地域紛争が起こるなど、地政学的リスクも高まる。

 こうした先行き不透明感、制約要因を抱える中で、カジ取りをどう進めていくべきか。

 コロナ禍4年の経過を踏まえて、これからの対応の基本軸を小路氏が語る。

「コロナ禍では国内外含めていわゆる外食事業という産業が非常に苦しい状況に陥った。それに伴って、われわれのビール飲料事業、一部食品事業も大変厳しい環境に置かれたんです。ただ大事なことは、環境がどう変わり、どうあろうとも、常に商品とサービスの付加価値を高めていくことだと。環境とか困難な状況に関係なく、努力投資というものをしていかなければいけないのではないかと思っています」(インタビュー欄参照)。

 付加価値を高めるためにはポイントが2つあると、小路氏が続ける。

「1つは今、政府でも経済界でも声高に叫ばれている人への投資。わたしどもはかなり前から、これをやってきたし、わたし自身も人事経験が長かったものですから、人の成長が企業の成長につながるということを信じております。人の成長なくして、企業の持続的成長はないというのが、わたしの基本的な考え方なんですね」

 1980年代、旧アサヒビール時代に同社は苦境に立たされ、人員削減という苦渋の決断もした。

 小路氏自身、30代の頃、1980年(昭和55年)から約10年間、労働組合専従となり、書記長も経験。会社を去る社員の気持ちを身に染みて分かっており、共感してきた。

 それだけに、2011年持ち株会社制に移行し、アサヒグループホールディングス取締役就任と同時に、子会社のアサヒビール社長に就任した際、小路氏は「社員は会社の命」と宣言した。

「ええ、大層にそういうことを言いまして。人の成長が会社の成長であると。人の成長なくして、会社の成長はなしというふうに思っていたものですから、社員は会社の命でありますということを言ったんです」。

商品開発投資のポイントとは?

 2つ目は、「付加価値を高めるための商品開発投資」である。

 小路氏は、この商品開発投資について、「これは絶対怠ってはいけない」とし、「特にマーケットインの思考での商品開発が大事」と強調する。

 小路氏は2016年春、アサヒグループホールディングス社長に就任。その3年後の19年、経営理念の『アサヒグループフィロソフィー』を大幅に改定。

 自分たちのミッション(使命)、パーパス(存在意義)をさらに明確にしようということでの改定。

「『期待を超えるおいしさ、楽しい生活文化の創造』というパーパスを掲げたんです」

 小路氏は、「期待を超えるというのは、顧客の潜在ニーズを具現化していくこと」と、その具体例として、例えば、アサヒビールのヒット商品『氷点下2度のスーパードライ』を挙げる。

「これは期待を超えるおいしさの1つなんですね。亜熱帯化する日本で、冷涼感のあるビールが飲みたいという潜在ニーズの掘り起こしです」

 氷点下なら凍ってしまうという先入観の解消から始まって、その当時はいなかったユーザーの創出につなげたのである。

 直近で言えば、『生ジョッキ缶』。コロナ禍にあって、真夏でも外でビールがなかなか飲めない時に、「何とか自宅で、外で飲むような生ビールを缶ビールで飲めないか」という発想からスタートした商品開発だ。

「人も汗をかくけれども お金にもかかせなくては」

 小路氏は、ホールディングス(持ち株会社)の社長を2016年春から2021年春までの5年間務めた。

 この5年間に、計2兆2000億円の成長投資を敢行。海外の醸造会社のM&A(合併・買収)も進め、先述のとおり、今や海外部門の売上高は全体の65%、利益の半分をあげるまでに成長させた。

 日本国内はデフレ状況が続いていた時に、グローバル化のための投資を進めた理由とは何か?

「やはり、お金というのは、内部留保で貯めておいても、それは価値を産まないと」

 小路氏は、「お金を企業の成長、社員の成長のために使う。常に投資をしていく」と語り、次のように続ける。

「お金を貯めて静かにしているのではなく、お金に汗をかかせないと。人間も汗をかくけど、金にも汗をかかせなければいけない」(インタビュー欄参照)。

 小路氏は海外投資を進める上での判断基準について、5つを挙げる。まず1つ目は、トップブランドを持つ企業をM&Aの対象にするということ。

 例えば、『ペローニナストロアズーロ』はイタリアンビールのトップブランドで、欧州で人気が高い。中東や豪州でもトップブランドを陣営に引き入れた。

 2つ目が、そうしたトップブランドを高収益につなげている企業であること。3つ目は、醸造の生産性が高いこと。4つ目は、優秀なマネジメントがいる企業。5つ目は、企業風土がアサヒの企業風土に近いことである。

 カルチャー(企業文化)は変えることができるが、「企業風土は、それも染み着いた風土はなかなか変えられない」ということ。

 コロナ禍1年目の2020年12月期に減収減益になったが、それからは23年12月期まで3期連続の増収増益を果たしているのも、5つの判断基準に基づく海外への成長投資が功を奏しているからだ。投資が成長に結び付いているということだ。

グローバル競争を勝ち抜くには

 ちなみに、23年12月期は売上高約2兆6900億円(前期は約2兆5111億円)、営業利益約2345億円(同2170億円)と増収増益の見込み。

 M&Aは同社の利益向上に貢献しているわけだが、小路氏は「買収企業から学ぶことが多い」と語る。

「日本というのは、どうしても同質化、協調性の強い面がある。これはこれでいい面もありますが、これだけ変化する時代、グローバル化する時代にあっては生き残っていけない」

 日本から海外駐在する人材を増やし、逆に海外から日本勤務をする人も増加。この結果、「グローバルにベストプラクティスを共有することができるようになった」と小路氏。

 さらなるグローバル間競争を生き抜くには、何が必要か?

 小路氏はEBITDA(税引き前利益に支払利息、特別損失、及び減価償却費を加算したもの)という数値を使い、「年間4000億円のEBITDAをつくろう」と利益重視経営を語る。

 同社のグローバル化戦略において、メインは欧州とオセアニアで、新興市場の東南アジアなどはこれからという状況。

「問題は、これからエマージングマーケット(新興市場)とか北米をどう攻略していくか」と小路氏も認めている。

 競争激甚の北米や新興市場に浸透していくためにも、収益力向上は必須であり、EBITDA重視の経営にしていく考え。

肝腎の内需をどう掘り起こすか?

 国内市場は人口減、高齢化が進み成熟化する。ゆえにグローバル市場に進出し、成長を追い求めてきたわけだが、ここに来て、日本国内の内需をどう掘り起こしていくかという課題もある。

 GDP(国内総生産)の55%を占める個人消費をどうするかという、日本再生にもつながる課題だ。

 小路氏も経済人として、「いま一度、国全体として内需強化を図っていくことの大事さ」を痛感していると語る。

「日本というのは内需国なんです。(日本経済再生のために)内需を強め、さらには弱くなっている個人消費をどう回復させるかということを、官民一体で考えていかないと、国内経済は先細っていきますね。それに対する危惧が非常にあります」

 2023年は賃上げが産業界の最重要課題の1つとなった。

 賃上げはもちろん大事なことだが、小路氏は「賃上げだけでは駄目で、ソーシャル・ベーシック・サービスとわたしは言っているんですが、所得全体を上げるという概念で臨む政策が必要だと思います」と訴える。

「それから、社会的な公共負担というのがありますね。医療、介護、教育といった領域で、教育費とか医療介護がかかる世代に、国がもう少し肩代わりをしてあげると。バラまき的にやるのではなくて、そういった世代の支出を少しでも抑えてあげると。出ずるを制す、実質賃金をプラスにさせることによって、個人消費も盛り上がります」

 官民一体の、トータルでの政策展開が必要だということ。

経済の好循環を、それにはトータルでの政策展開が

 小路氏は、日本経団連の副会長も務める。経団連の労働法規委員会では、JR東日本会長・冨田哲郎氏、芳井敬一氏(大和ハウス工業社長)と共に委員長も務めている。

 こうした官民一体のトータル政策が必要だというのは、経団連レベルでまとめたものではなく、小路氏個人で考えているものだが、かなり普遍性のある話。

「ええ、われわれだったら、酒類、飲料、食品の国内マーケットをどう付加価値の高い商品によって拡大していくかと。それが消費者である顧客の生活に少しでも潤いをもたらすという形になっていけばありがたいと。モノによる豊かさだけではなくて、物心両面の豊かさを実現していく。取りあえずは、われわれはモノを提供しています。そのモノによってお客様の生活が潤う。それで市場のマイナスが止まり、フラットになり、そして上向いて拡大していけば、国内の設備投資も活発になると。そうすれば雇用もプラスになっていくと。そうした経済の循環を実現していきたいですね」

 内需拡大に伴って、「適度な価格転嫁が行われ、企業業績が伸びる。それが原資となって、人への投資と設備投資、そして商品投資へと発展し、内部留保もできる」という考え方。

 企業の成長投資が新たな需要を呼び起こし、さらに市場を拡大させていくという循環論。先述のディマンドプル型インフレ経済の骨子である。

大企業と中小企業のパートナーシップ構築を

「〝安い日本〟を止める」─。1年前に1ドル・110円台だった為替相場が23年後半には150円前後にまで円安が進んだ。今、140円前後という水準。インバウンド(訪日観光客)の間での日本の印象は、「おいしい」と「安い日本」である。

 円安は、輸出好調などで企業収益にはプラス面もあるが、輸入物価の上昇などによる原材料や食品価格のアップで国民生活を圧迫する要因ともなる。

「そうですね。まず円安状況を止めて、(1ドル)100円から110円位に、適温経済と言いますか、何とか円安を止めなきゃいけないなと。円安を止めて、経済の循環を良くしていく。日本は、ビッグマック指数でいつも下がっているわけですからね。この安い日本をまず喰い止めなければいけない」

 さらに、中長期視点で、人口減、少子化・高齢化問題、そして人手不足問題にどう対応していくかという課題。

「まず人口減、少子化・高齢化というのは与件として捉える。これは当たり前のことですね」と小路氏は断りながら、〝間接人口〟をキーワードに続ける。

「間接人口というのは、例えば、インバウンドで年間3000万人が日本を訪れる。将来は6000万人という数字を経産省がつくっていますが、3000万人で28兆円のGDP創出に貢献すると。そういったインバウンドの人たちをオーバーツーリズムにならない範囲で、観光立国として呼び込んでいく。そうすると経済に貢献してくれるわけです。これが間接人口ですね」

 また、日本への留学生が学業を終えた後、日本で仕事し、場合によっては定住する。

「日本の文化や歴史とか社会情勢がよく分かった人が日本に定住してくれる。こういった人たちも間接人口と呼んでいます」

 移民ではなく、こうした間接人口をいかに増やしていくかも大事と小路氏は訴える。

 そして、AI(人工知能)やロボティクスの活用である。

「もっと言えば、そうした最先端テクノロジーを産業界全体でどうシェアリングしていくかです。中小地域企業というのは、そうした所に投資できないでいます」という問題意識。

「小規模企業の労働分配率はもう85%後半になっています。もうなかなか賃金も払えない。コスト主義で非常に厳しいです。だから、わたしはそうした中小地域企業に大手企業が人を出していくと。例えば、デジタル関係、DX関係の人材をどんどん出していくと、出向でね。そして中小と人材シェアリングをして、AIやロボティクスの導入に関して、人の力でできる部分というのを応援していくと。そういったシェアリングもやっていくべきだと思います」

 近年、大企業と中小企業の『パートナーシップ構築戦略』も進む。人材シェアリング、コストシェアリングを進めていく時という小路氏の一経済人・経営者としての訴えである。

 今ほど、日本の知恵の真価が問われている時はない。