【倉本 聰:富良野風話】最後の旦那

昔、テレビコマーシャルの輝いていた時代があった。

【倉本 聰:富良野風話】光害

 猿がウォークマンをうっとりきいている作品。高見山が軽快にタップを踏んで踊るもの。今のように、阿呆なお笑いタレントが只媚びて馬鹿な道化を演じるのではなく、コマーシャルが一つの文化として成立していた。殊にサントリーのコマーシャルには中でも秀抜な、垢ぬけたユーモアと格調の高さがあった。

 これは、当時のサントリーの経営者・佐治敬三氏の、しっかりした文化への態度・姿勢があったからだと思うが、こういう経営者の優れたセンスが、どんどん消えて行きつつあることが淋しい。

 当時、佐治氏は社内に優れたクリエーター、開高健、山口瞳、柳原良平といった逸材を抱え、「やってみなはれ!」という自由な発想で宣伝という、それまで人があまり注目しなかった分野に新風を吹きこんだという経緯があったのだろうと思うが、当時ヨーロッパで言われ始めていた一つの定義。「真の文明国家とは、経済、環境、文化という三つの柱が鼎となって、バランスよく国を支えている姿」というものをいち早く受信されていたことに、その根源があったように思う。

 僕も一時期、佐治さんとはお付き合いさせていただいたことがあるが、とにかく氏の明るく豪放な性格、そして、文化に対する並々ならぬ関心と傾倒には、いつも脱帽させられたものだ。

 日本の文化は、「旦那」という名の、外国でいうならパトロンに相当する金持ちによって支えられてきた、と僕はかねがね思っている。旦那と職人、旦那と芸人、人間的にはダメでいいから、お前の専門の芸だけを磨け。

 昔、京都の花街の古い女将に言われたことがある。

 お金のある方は今でもおいやす。せやけど芸の判るお人が消えてしまいました。只お金持ち。そういう人は旦那とは言えまへん。佐治さんは最後の旦那どしたなぁ。

 サントリーホールがオープンしたとき、そのオープニングセレモニーに招かれた。

 整装の客で満員の会場に、オーケストラのメンバーが舞台に現れ、しんと静まった場内の一角から燕尾服姿の佐治さんが現れ、長い中通路を無言で歩くとパイプオルガンの前まで行って立つ。

 静まりかえった場内を背に、佐治さんが直立し、パイプオルガンの一つの鍵盤を押した。するとその音に合わせ、オーケストラが一斉に調音を始めた。

 佐治さんは客席にニヤッと笑い、小さく一礼して中廊下を去った。挨拶もスピーチも何もなかった。満場の客席から割れんばかりの笑い声と拍手が起こり、セレモニーは見事に終了してオーケストラの演奏が始まった。

 あんな見事なオープニングセレモニーを、前にも後にも見たことがない。

 何とも粋な演出だった。

 ああいう見事なセレモニーを、いま日本の財界に企画できる人がいるだろうか。