NTTと日本大学(日大)は、通信波長の光に共鳴する電子とギガヘルツ(GHz)超音波のハイブリッド状態を実現したと発表した。これにより、低電圧な超音波励起を用いたコヒーレンスの高い希土類電子の制御が可能になり、今後、省エネ量子光メモリ素子への応用が期待されるという。
NTT物性科学基礎研究所 特別研究員 グループリーダーの岡本創氏は、「原子核の周りを軌道で回る電子に対して、超音波を用いて、電子の状態を高速で変調することで、電子と超音波が混ざったハイブリッド状態が生成される。これにより、電子をコヒーレント操作することができる」とし、「光に量子情報を乗せて転送する際に、一定時間を経過すると量子情報が無くなってしまうため、どこかのタイミングで、別の媒体に量子情報を書き込むといった量子中継技術が必要であった。今回の技術では、電子に書き込む際に超音波を発生させることでハイブリッド状態とし、この間に、光から電子への書き込みが可能になる。超音波を切ると、書き込んだ情報が電子に保持される。読み出すときに超音波を加え、ハイブリッド状態にすることで、光に取り出すことができる。今回用いているのは、希土類電子であり、数ミリ秒という桁違いの長寿命を実現できる」と説明した。
Erで電子と超音波のハイブリッド状態を実現
今回の技術では、希土類元素の1つであるエルビウム(Er)を採用。通信波長の光に共鳴する内殻電子を有しているため、光ネットワークを用いたアクセスが可能であるという。さらに、超音波は低電圧で生成できるため、省エネ化の効果もあるとしている。
もともと外殻電子によって遮蔽された内殻電子は、外界の影響を受けにくいため、Erは高い量子コヒーレンスが得られる元素として知られ、量子光メモリにも利用されている。だが、外殻電子の遮蔽効果は、内殻電子の外部制御を難しくするという負の側面もある。たとえば、電場を用いて、結晶中Erの光共鳴周波数を1GHz変調するには、100V以上の高電圧が必要であり、制御性の低さが課題となっていた。
また、今後、実用化する場合には集積化が必要であり、それに適合した手法として、光制御から、集積化に適した電子制御への展開が望まれていた。
通信波長帯に共鳴する電子とギガヘルツ超音波のハイブリッド状態の実現手法
NTTでは、低電圧で大きな変調が得られる機械振動子を用いた省エネ量子光メモリ素子の実現へ向けた研究を推進。「板ばね」のような構造により機械振動子が共振し、電子の共鳴周波数を1GHz変調するために必要な電圧を約2Vまで削減する技術を2021年に提案していた。だが、機械振動を用いて、光から電子への書き込みを行うには電子と振動のハイブリッド状態を用いる必要があり、ハイブリッド状態を生み出すには、電子の線幅よりも速いスピードで、電子の共鳴周波数を変調しなくてはならず、GHz域の振動を誘起できる構造が求められていた。
NTTと日大が開発した技術では、Erを添加した結晶基板上に超音波の一種である表面弾性波を生成する素子を作製することにより、約2GHzの振動歪みを、結晶表面に集中させ、Erの光共鳴周波数を高速変調することに成功したという。
この変調速度は、励起電子の寿命よりも速く、電子が共鳴線幅を上回る周波数で変調されるため、通信波長帯に共鳴する電子とギガヘルツ超音波のハイブリッド状態が生み出されるという。この状態を用いることにより、コヒーレンスの高いEr励起電子の光応答を、超音波で低電圧に制御することができる。
具体的には、実験に用いた超音波素子の構成は、Er添加結晶の上に、圧電薄膜を成膜して、その上に櫛型電極を配置。櫛型電極に電圧をかけると電極パターンに合わせて圧電薄膜が変形するため、櫛型電極の周期に応じた周波数の超音波を生成することができるという。これにより、結晶表面付近に歪みが誘起され、歪を受けたErの共鳴周波数が超音波の周波数で変調。その結果、光吸収スペクトルには、本来のErの吸収ピークに加えて、等間隔に離れた複数の吸収ピークが現れるという。
「レーザー光を上から照射して観測すると、光吸収スペクトルに等間隔の複数のサイドバンドを確認できる。この間隔が超音波の周波数に合致しており、Erの電子状態と超音波が混ざったハイブリッド状態による吸収を示すことになる。また、この実験結果と超音波の深さ方向の歪強度分布を取り入れた解析により、結晶の最表面付近では、ハイブリッドの程度が十分大きくなり、超音波を用いて励起電子の数や位相を操作できる可能性が示された。今後、光を表面に集めることができればハイブリッド状態を最大限に活用できる」としている。
同位体純化したErで超音波素子を作製
今回の技術には2つのポイントがあるという。
ひとつめは、「同位体純化されたErを添加した超音波素子の作製」である。
電子と超音波のハイブリッド状態を実現するには、Erを添加した結晶の上に、高周波超音波を生成する構造が必要だが、今回の実験で使用したEr添加結晶は圧電特性を持たないため、超音波を電気的に生成するための圧電性薄膜を、結晶表面に堆積する必要がある。
NTTでは、高い圧電特性と周波数特性を併せ持つ、高品質な窒化アルミニウム(AlN)の成膜技術を有しており、この技術を用いて、Er添加結晶上にAlN圧電膜を形成した高周波超音波素子の作製に成功したという。この素子により、結晶表面付近のEr光共鳴周波数を1GHz 変調するために必要な電圧を、0.3Vに抑えることができ、低電圧で大きな変調が得られる。
今回作製した超音波素子には、同位体純化されたErが使用されており、電子と超音波のハイブリッド状態を実現するために、Erの共鳴線幅を上回る周波数でEr電子準位を高速変調する必要があり、なるべく細い線幅を与えるErを用いる必要があるという。Erには、共鳴周波数がわずかに異なる複数の同位体が存在するため、一般的に得られる共鳴線幅は数GHz程度の広がりを見せるが、同位体純化したErを利用することによって、共鳴線幅を500MHzにまで狭線化できるという。これに2GHzの超音波を作用させることにより、電子と超音波のハイブリッド状態を実現している。
「従来の機械振動子よりも、3桁も周波数が高い2GHzの超音波を利用可能になる。また、170Erのみを添加したYSO結晶を利用することで、同位体純化により吸収線が狭線化でき、共鳴線幅は500MHzにできる」とした。
従来比で3桁ほど周波数精度が高い実験が可能に
2つめのポイントは、「レーザー光の周波数を高精度に安定化」させたことである。
狭い共鳴線幅の光吸収を評価するためには、実験に使用するレーザー光の周波数を高精度に安定化する必要があるが、NTTと日大は、光周波数コムを利用したレーザー光の周波数安定化機構を共同開発することにより、従来に比べて3桁ほど周波数精度が高い実験を可能にしたという。
「室温の変化などによりレーザー周波数は1kHzほど揺らぐことになる。周波数精度が極めて高い光周波数コムレーザーに測定用レーザーを同期させることで、1Hzにゆらぎを低減している。Erの光学特性を高精度に測定可能になる」としている。
今後、NTTと日本大学では、最表面のみにErを添加した材料の利用や、最表面のErだけを選択的に光アクセスできるような構造を導入することによって、ハイブリッド状態の均一性向上に取り組むという。
「今回の実験では振動歪が結晶表面付近に集中する表面弾性波を用いているが、歪みの大きさが表面からの深さ位置に依存するため、ハイブリッドの程度が位置によって異なる。この課題を解決することを目指す」としている。
最終目標は量子メモリとしての活用
今回の実験では、古典光を用いており、光子の数は1億個になるが、今後は、量子メモリとして書き込むためは、量子光源による単一光子にする必要があり、その領域に向けた研究も進める。
NTTでは、今後1~2年で、結晶表面への光アクセスにより、ハイブリッド状態の均一性を高め、3~5年後には光読み出し制御にも取り組み、超音波を用いて電子から光への変換を制御。5~7年後を目標に、量子光源による単一光子の利用を目指し、量子光源と光子検出器の導入を図る。また、7~10年後には量子メモリとしての保持時間などの動作実証を行い、1ミリ秒程度の長い保持時間を達成することを目指す。
「ハイブリッド状態の均一性と制御性を高めることにより、通信波長帯で動作する省エネ量子光メモリ素子の実現と長距離量子通信への応用を進める」としている。
なお、同成果の詳細は1月18日(米国時間)付で、米国科学誌「Physical Review Letters」にオンライン掲載された。