食べすぎや飲み過ぎといった食生活の乱れは生活習慣病のもとであるとされているが、特に注目したいのが塩分の過剰摂取。現代人の多くが気づかぬうちに塩分を過剰に摂取しすぎている傾向があり世界保健機関(WHO)も問題視している。そうした塩分過多の問題に取り組むべくキリンは「エレキソルト」という減塩食品の塩味をおよそ1.5倍に増強させるデバイスを開発。2023年には共同開発を行った明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の宮下芳明教授が「イグ・ノーベル賞(栄養学)」を受賞したことでも話題になった。
このエレキソルトはどのようにして開発され、どのような仕組みで塩味の増強効果を実現しているのか、また今後どのように展開させていきたいか、開発者の1人であるキリンホールディングス
ヘルスサイエンス事業本部 新規事業グループ 主務の佐藤愛氏に話を聞いた。
日本の減塩問題の実態とエレキソルトの開発のきっかけ
WHOでは1日当たりの塩分摂取量として5g未満を推奨しているのに対し、日本人は平均で約10.1gと塩分の取りすぎが問題となっている。近年では減塩を気にした食事を行う人も多くなりつつあるが、キリンが首都圏在住の人を対象に実施したアンケートでは、塩分を控えた食事(減塩食)を行っている/行う意思のある人の内、約63%が減塩食に課題を感じていたという結果が出ており、特に減塩食の「味の薄さ」に対してマイナス的な感情を抱いている人は多いという。
もともとキリンビール横浜工場内のR&D本部にて大学病院の医師らと共に、食に関する新しい素材の研究開発を行っていたという佐藤氏。そこで、病院の医師たちから「食事療法をなかなか続けてもらうことができない」との話を聞き、患者からも「味に満足できず続けにくい」との言葉をもらったことがエレキソルト開発のきっかけだったとする。
現代では多くの減塩食品が販売されラインナップがそろいつつあるが、なぜ食品素材ではなく食器に目をつけたのかというと「食事の根本から劇的に変えるため」だったとのこと。
またなぜ電流を活用する方法を採用したのかについては、さまざまな手法を探索する中で、宮下教授の電気味覚の研究と出会ったためだという。もともと電気味覚は、アルミホイルをなめると不思議な味がするように身近な現象として200年以上前から知られており、電気味覚計で味覚障害の有無を測定するなど医療応用もされ、ここ2~30年では大学を中心に電気味覚を食体験で活用する研究が進んでいるとのこと。
開発していく中で佐藤氏自身も、実際に3か月にわたって1日の塩分摂取量を6g未満に抑えて生活したとのことで、そうした生活を続けるうちに物足りなさを感じると共に約5kg痩せてしまうという結果になったとする。塩味がなくなることで食の喜びもなくなることを痛感、こうした体験で得た感覚をエレキソルトの開発にも取り入れていったとした。
塩味を増強するエレキソルトの仕組み
エレキソルトのデバイスは、微弱な電流で食品中のナトリウムイオンの動きをコントロールして塩味を増強する方法を採用している。実際にはエレキソルトのデバイス(食器)の底面にある電極から、食器→食品(スープなど)→舌→腕→電極という1つの回路を作ることで、食品を介して電流が流れることで、ナトリウムイオンの動きをコントロールしていく。
機器本体にはコンピュータが埋め込まれており、流す電流の流し方を工夫することで塩味の強度を制御することを可能としている。エレキソルトでは薄味の食事の味わいを増強するような電流の波形が開発され、コンピュータ制御によって回路形成時にはその波形が生成されていくという。現在、その効果としては塩味だけでなく、旨味や酸味も増強できることが確認されているとしている。
人間は食べ物を口に入れた時、味を構成する味物質が舌を中心に存在している味細胞に触れることで味として知覚する。塩味の場合は、もととなるナトリウムイオンが電気的な性質をもっており、微弱な電気を流してナトリウムイオンが舌側に押し寄せるように動かしてやることで、塩味だけを増強させることができる。
ここで注意したいのは、電流が1周する回路ができないと回路が作られず電流は流れないため、口元から食器を離すと効果が終了する点。継続的に塩味を増強させるには、食器を口元に触れさせておく必要がある。
不思議な感覚、エレキソルトを体験してみた
エレキソルトデバイスは現在、スプーンタイプもしくはお椀タイプが開発されており、その使い方としてはスプーンの柄の部分、またはお椀の側面にあるスイッチの電源を入れ、自分好みの味の強度(4段階)を選択。スプーンの柄/お椀の底部を手で持ち、口に触れることで電流の回路が形成され、味覚を強く感じることができるが、0.5~1.0秒かけて電流が流れるため、スプーン/お椀をしばらく口につけて味わっていく必要がある。
今回はお湯を推奨量よりも多く入れて薄味にしたお味噌汁を用意してもらい、実際にスプーン型のエレキソルトで体験してみた。始めは強度を3にして挑戦。すると、舌が少しピリっとする感覚があったが、そのままで飲むよりも味が濃く感じる不思議な体験を味わえた。この電流の感じ方は個人差があり、濃い味に慣れてしまっている人だと3~4でも電流を感じにくいことがあるというが、平均は1~2で味が増す感覚を体験することができるという。
筆者は強度2でも塩味が増強された感覚があり、そこまでピリっとした感覚もなく自然にお味噌汁を飲むことができた。口からエレキソルトを離すと効果はなくなるが、少しの間は塩味の余韻のようなものがあるため、口から離した途端に味が薄くなるという感覚はないように感じた。
このエレキソルトは、電極部分を切り離すことが可能となっているため通常の食器と同じように洗うことができる。また、電源を切り忘れても5分で自動的にオフになる機能があるため安心して使用できるとのこと。
キリンが目指す食の豊かさとエレキソルトの未来
現在スプーン型のエレキソルトの国内販売を目標に商品化が進められており、まずは高品質の製品を量産できる技術を確立させることが急務だとしている。
現在は口に触れていることで回路が形成されるため、口から離すと効果が継続されないが、今後はコンピュータ部分の小型化を行いことで、口から離しても効果が持続する新たな形を開発したり、歯に組み込むといった人間の人体内で回路を形成できる技術開発などが進めば、特に固形物などの噛む必要のある食材に対する味わいの幅が広がるかもしれないと佐藤氏は語る。
また、他の大学では甘みや炭酸感などの電流波形を研究しているところもあるとし、今後さまざまな波形を生み出すのも面白いだろうとエレキソルトの将来像を語っていた。
健康課題の解決に取り組んでいるキリンならではの「おいしいをあきらめない」精神の追求はまだまだ終わらないだろう。