広島大学は1月5日、中性子や光子などの量子的粒子とそれらの属性であるスピンや偏光などが分離して、それぞれが異なる経路を独立に移動した結果が観測されるという「量子チェシャ猫逆説」が、あたかも実際の物理的状況であるとの誤解を与えかねない状況にあったが、見過ごされていたその「文脈依存性」に着目し、その実証に必要な実験的条件を調べた結果、量子チェシャ猫が文脈依存によって成立する逆説であることを理論的に示し、さらに実証に必要な実験方法も示したことを発表した。
同成果は、広島大大学院 先進理工系科学研究科 量子物質科学プログラムのハンス・ジョンティ研究員、同 ホフマン・ホルガ教授らの研究チームによるもの。詳細は、英物理学会と独物理学会が共同で刊行するオープンアクセスジャーナル「New Journal of Physics」に掲載された。
素粒子のようなミクロの世界の現象は、量子力学を用いた計算で確率を予言することが可能だ。しかし量子力学は、ヒトの存在するマクロの世界の感覚にはそぐわない一面が多々あり、多くのヒトにとって物理的な理解が容易ではない。
2022年のノーベル物理学賞の受賞対象となった「ベルの不等式の破れ」は、局所性(ここでは、離れた2つの物理系が相互作用をしない限り、一方の測定が他方の測定に影響しない性質のことをいう)成立の下での物理的実在の否定を実験的に示したもの。このことは、ヒトによる観測の結果は測定に依存しており、観測していない時の物理的実体そのものではないことを意味しているとする。この性質が測定の文脈依存性であり、ほかの物理系でも実験的に確認されているのだが、古典物理学の成功や実体験から、文脈依存性に疑問を投げかける研究者も多く、実際に観測された結果を文脈依存性から調べる研究はほとんど行われていないのが現状だ。
その一方で、ミクロの世界の物理的理解を進めるために、古典的現象との大きな矛盾に着目した「量子逆説」(正しそうな仮定と妥当な推論から導かれる結論とは異なる奇妙な結論を与える量子的性質のこと)が多く提案されてきた。その中でも量子チェシャ猫逆説は、量子的粒子とその属性であるスピンや偏光などが分離してそれぞれ移動した結果が実際に観測されるという大変奇妙な逆説で、最初に2014年に中性子で、その後に光子を使った実験でも観測された。この逆説の起こる確率については、量子力学を用いて理論的に計算することはできるものの、物理的な原因を調べる研究はあまり進展していないという。そのため、観測した結果が実際の物理的状況であるとの誤解を与えかねない状況にあった。
光子の場合、物理的な自由度は光干渉計の光路と偏光の2種類で、光子の初期状態を光路と偏光の量子もつれ状態にする。この状態に対して、干渉計の一方の出力の測定と直線偏光の測定を上手に組み合わせた測定を行うと、量子チェシャ猫逆説が成立する状況になるという。
光路と偏光の場合、文脈依存性の実証のために必要な条件は3つあるとのこと。ベルの不等式と同様に、古典的な実在論(ここでは測定と関係なく測定対象物の物理的な状況が定まっていることを指す)が成立していれば、それらが起こる確率の和が量子チェシャ猫の起こる確率よりも大きい、という不等式の関係が成り立つ。3条件のうちの1つは光路2の確率、もう1つは干渉計出力の偏光の確率だが、問題はもう1つの条件が不明な点だったとする。さらにこれらを実験で検証する場合、測定が量子系を変えてしまう可能性があるため、それぞれの確率を量子チェシャ猫の成立の下で測定する方法も問題だったという。
しかし研究チームは今回、3つ目の条件が光路と偏光の相関の確率であることを発見。さらに、偏光光学素子を上手く使えば、これらの確率を実際に測定できることも確認した。3つの確率は理論的にはすべてゼロになる一方、量子チェシャ猫の起こる確率は明らかにゼロではないので、不等式は破れるという。したがって、量子チェシャ猫は文脈依存で成立する逆説であることが明らかにされたのである。
この結果は、対象物が仮に測定方法に依存しない物理的実体と考えると、異なる測定を組み合わせた観測結果を説明できないことを意味するといい、量子チェシャ猫の観測結果が、実際の物理的実体を示すとは限らないことになるとする。
今回の成果から、観測された現象であっても、文脈依存性によって実際の物理的状況とは異なる場合がありうることが判明した。研究チームは今後、同様の量子逆説を文脈依存性から統一的に調べることによって、現代の計算機を凌駕する量子計算のような古典的現象を超越する量子技術の可能性を最大限に引き出すための知見が得られることが期待できるとしている。