京都大学(京大)は1月9日、マレーシアにおいて長年にわたって蓄積してきた野生テングザルの行動・生態データ、および採取した糞の遺伝子解析から、個体間の社会関係や血縁度などを検討した結果、テングザルが霊長類では珍しく“父系的”な基盤を有する重層社会を形成している可能性が示唆されたと発表した。
同成果は、京大 野生動物研究センターの松田一希教授らの研究グループによるもの。詳細は、ドイツの国際学術誌「Behavioral Ecology and Sociobiology」にオンライン掲載された。
霊長類の重層社会は、安定した核となる複数の社会単位(家族や群れ)が一緒に採食・休息・移動を繰り返す高次な集団であり、それぞれの群れが縄張りを持たず、移動範囲を重複させ、近接した際にも際立った敵対交渉が無いことを特徴とする。言わずもがなヒトも重層社会を形成しており、その社会構造自体を明確に認知しながら世代間で継承し、複雑な社会文明を形成してきたといえる。
一方で、ヒトに近縁な種である多くの多くの霊長類種は単層の社会を形成しており、ヒトに最も近縁である大型類人猿でさえも、重層的な思考は困難だと考えられている。しかしながら、ヒト系統から離れたオナガザル科系統の数種においてのみ重層的な社会形成が知られており、系統的な類縁性では説明のつかないヒト社会の萌芽が見られるという。そのため、系統的に遠縁でありながらも重層社会を形成する霊長類の社会構造を解明することは、ヒト社会が重層化していく道筋を解明する上で重要な意味を持つ。
そこで研究チームは、ボルネオ島の固有種であり重層的で大きな社会集団を形成するテングザルについて、その社会を長期的に観察することで、社会構造の解明に挑んだという。
今回の研究にあたり、研究チームは1999年より、マレーシア・サバ州のキナバタンガン下流域で野生テングザルの調査を開始。同種の夕方になると必ず川沿いの木々で寝泊まりする習性を利用し、複数の識別した群れが止まる木々の距離を直接観察により記録した。また同時に、調査地に生息するテングザル約200個体の糞便を採取し、それらから抽出したDNAを基にして血縁度推定などを実施したとする。
そして詳細な調査の結果、テングザルは、オス1頭と、複数頭のメスやその子どもからなる単雄複雌型(ハーレム型)の群れを形成し、その群れが集まって行動を共にすることでさらに高次の社会コミュニティ(バンド)を形成していることを解明。調査を行った支流の河口から上流域6kmにかけて、2つのコミュニティを確認したとしている。
また遺伝解析の結果から、メスは近い距離と遠い距離をランダムに分散する傾向化があるのに対し、オスは比較的狭い範囲にとどまる傾向が見られたとのこと。加えて、集団内のオス間の血縁度がメス間の血縁度に比べて高い傾向が見られたことから、研究チームは、テングザルが霊長類では珍しく、オスを基盤とした父系的な重層社会を形成している可能性が示唆されたと結論付けている。
ヒト社会の進化史において重要な父系性と重層性が、なぜヒトとは遠縁のテングザルで出現したのかを理解することは、ヒトの社会進化について貴重な手掛かりになり得る。ヒト社会重層化の大きな謎の1つに、複数の男性と女性からなる複雄複雌型の社会を形成してた初期人類が、父系的基盤を有しつつ集団間のつながりを維持したまま小集団に分裂するという、動物社会で一般的とはいえない変化を遂げた点がある。研究チームは今後、テングザルの社会機構を詳しく検討していくことで、父系的コミュニティの前駆的構造の進化が明らかとなる可能性があり、人類学への大きな貢献になることが望まれるとしている。