「平時から危機時の在り方を議論し、方向性を示しておかなければならない」─。政府・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長として専門家の視点で提言を続けてきた尾身茂氏はこう強調。危機時における政府と専門家の役割分担はどうあるべきか。メディアの国民に対する発信の在り方とは未知のウイルスとどう対峙していくべきか。それは今後の危機管理の在り方を考えることにもつながる。
亀田総合病院理事長・亀田隆明「重症患者を受けいれる最後の砦の機能を果たし、軽症・中等症患者は他の病院へと、手分けしました」
コロナ分科会の1100日
─ 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長を務めた約1100日の総括とは。
尾身 評価は単純ではありません。そもそも我々の役割は感染者をゼロにするというよりは死亡者をとにかく減らすことが最終目標でした。死亡者を減らせば医療逼迫を防ぐことができたかもしれませんが、感染をゼロにすることはできません。
ある程度を抑えて死亡者数を他のOECD(経済協力開発機構)諸国よりも少なくすると。同時に、経済や社会のネガティブなインパクトもできるだけ最小化にしたい。これを我々は当初から言っていました。
実際、日本の死亡者は欧米先進諸国と比べたらかなり低く抑えられたことは1つのファクトです。そしてもう1つのファクトは経済や社会の影響がどうだったか。経済学者の世界的なコンセンサスでは、日本のGDP(国内総生産)の落ち込みは3年間の平均で欧米先進諸国並みでした。ですから、全体としては欧米諸国よりは、うまくいったと言えるかもしれません。
─ それはファクトでの比較をしたときの評価ですね。
尾身 ええ。しかし、だからといって課題がなかったかといえばそうではありません。死亡者を減らすということで、多くの市民や事業者がかなり苦労したと思います。その意味では、もう少しデジタル環境などが整備されていたら市民生活への負担は少なくて済んだかもしれません。そういう意味での課題は間違いなくあったと思います。
─ その中で医療人に対する誹謗中傷もあったと聞いています。どう励ましましたか。
尾身 当初は医療関係者への感謝と称賛はありました。医療関係者も3年間、基本的には生活者と同じようなストレス下で、同じように院内感染を防ぎながら人々の命を救っていました。ところが、途中から世間の評価が変わってきました。医療逼迫が起こるのは医療関係者が頑張っていないからだという論調が出てきてしまったのです。
医療逼迫が起きたのには理由があります。特に制度的な面が大きい。そもそも日本はパンデミックという急性期の患者が激増すること想定した医療態勢ではなかったということです。世界でも最も高齢化が進んだ社会に対応するために、急性期の医療から徐々に高齢者の医療、リハビリや介護に重点を置いた医療態勢をとっていました。
ですから、いつ来るか分からないパンデミックに備えてベッドを空けておくことなど日本の医療ではできなかったわけです。現実として、それでは医療経営は成り立ちません。ベッドを埋めておかないと、診療報酬がしっかり上がらないシステムになっていたわけです。
「分断」を避けるための「決断」
─ 人手不足が問題です。
尾身 人口当たりの看護師や医師の数については、日本が欧米に比べて少ないことは事実です。ただ、医療逼迫が続き、思ったように治療や診察が受けられなくなると不満が蓄積し、そのはけ口が医療関係者に向かってしまった。そういった動きが一部であったと思います。
もちろん、医療界が100%完璧だったかというと、そうではないと。医師の中にも自分が感染するのは怖いという理由で患者を診なかったという動きもあったと聞いています。ただ、その一部を切り取って医療関係者全体を評価することには違和感があります。多くの医療関係者は頑張ったのです。世の中から少し単純化した世評や世論が出てきたのは少し残念でした。
─ そこは情報を伝えるメディアや受け取り側の国民の問題になってきますね。一方で、「密閉」「密集」「密接」の三密を回避することを分科会は提言しましたが、国民の理解は割と進んでいたように思いますが。
尾身 今回の未知なる感染症に対する対応策について、専門家が前面に出ざるを得なかったのは間違いありません。政府もそれを期待したと思います。ただ、改善の余地は残りました。
三密回避は人々の生活への介入です。しかし我々の仕事は感染リスクを低くするためには、どんな行動がふさわしいのかを政府や市民に提言することでした。ところが徐々に「介入はけしからん」という声も出てきました。そこで我々も後半の社会経済を元に戻す時期になると「国が市民に選ばせるようにしてください」と内容を変えました。しかし、あまりそれが共有されていませんでした。
─ 危機は起き得ます。危機感の共有が求められますね。
尾身 そうですね。日本のような自由社会では、いろいろな人が自由に発言し、自由に行動できます、それを皆が享受しています。しかし危機時においては、できるだけ早く乗り越えたいと皆が思うはずです。では、ウイルスというしたたかな相手と、どう対峙していくか。
そのためには、どのように対処するべきかといった大まかな一定の方向性を決めておく必要があります。皆がバラバラの方向を向いたら決してうまくいきません。個人の自由は尊重すべきだけれども、ある程度、やるべき対策や感染リスクを少なくする行動を共通の理解として認識しておく必要があります。
─ 平時から国民の共有論議として持っていくべきです。
尾身 はい。パンデミックの時期が長期化すると、分断がどうしても起こりやすいというのは歴史が証明しています。最初は同じ方向性を向いているのですが、不自由な生活を長く強いられると不満が蓄積します。
そうすると人間は誰でも不満を何とか解消しようとする。結局は同じ価値観や立場の人と情報交換する傾向が強くなっていくのです。そうすると、ちょっとした差がどんどん強化され、分断が起きてしまう。分断が起きると批判が始まるのです。
こういったことを防ぐためにはどうすべきか。一般市民を含めてこの機会にもう一度考え直すことが必要です。今のうちにしっかり検証することが大事になってくると思います。
政府と専門家との関係
─ パンデミックが起きたときの政府と専門家の関係はどうあるべきですか。
尾身 難しいですね。ただ、未知の病気と直面したときに政府と専門家の関係が非常に重要になってくることは間違いありません。感染当初、政府が記者会見をすることはほとんどありませんでした。ウイルスに対する質問には専門家が答えるしかなかったからです。しかし、国民に対する政策の最終決定は誰が決めているのかという疑問が出てくるわけです。そこは我々ではなく政府の役割です。
専門家には当然、感染症の情報は他の人よりも多く集まります。当然です。しかし、政府はもっと大きなことを考えています。感染だけではなく、外交や財政などです。ですから、新しい病気が蔓延したときには、こういう関係が必ず必要になってきます。総理大臣は政治の専門家であって感染症の専門家ではありませんからね。政府と専門家の関係を普段から合理的に決めておかないといけません。
─ 厳しい精神状況の中、医療関係者を支えたものとは。
尾身 私はよく野球の選手を例に出します。野球の選手はプロ野球であろうと高校野球であろうと、球が来たら打つ。それが仕事です。飛んできた球を評論するだけの選手はいません。それと同じことです。こういった経験をした者だからこそ、どうしたら少しでもいい対応ができるかについて提言することが自分の役割だと思っています。
─ その立場から経済人に対しては何を望みますか。
尾身 経済界の多くの人たちは、なぜ東京オリンピックの無観客を提言したのか、違和感を覚えた人もいたと思います。それは当然です。オリンピックを開催した方が世界へのメッセージにもなり、経済的な側面から言えばメリットは大きいと。
ただこれは正確ではありません。私はこう言いました。100年に1度のパンデミックが既に起きている。その中でオリンピックを開催するのはあり得ない。それでも開催するのであれば、関係者はしっかりと感染対策を強化してくださいと。つまり、何かオリンピック反対ではなかったということです。
加えて、開催するのであれば感染リスクを下げる意味でも無観客が望ましいと提言しました。オリンピックをやろうがやるまいが、夏休みが控えていました。しかも新たにデルタ株が出てきている。オリンピックを開催しなくても開催予定日前後には間違いなく緊急事態宣言を出すほどの医療逼迫状況になると我々は判断していました。実際にそうなりましたね。
─ 緊張感がありました。
尾身 ええ。つまり、オリンピックを開催してスタジアム等に人が集まる一方で、緊急事態宣言で国や自治体が外出を控えるように頼むような状況が生まれかねなかったのです。そんな矛盾が起きれば国民はこのリーダーは何を言っているのかと思うことは目に見えていました。
ですから我々は一番リスクの低い無観客を提言したのです。しかし、無観客にするかどうかを決めるのは国です。我々はオプションを提示したに過ぎません。国を分断するような状況になりかねない中で、何も言わないようでは専門家としての責任放棄です。そこは理解していただきたいところですね。
複雑性に耐えられるように
─ 専門家と国、政府の関係はどうあるべきかを考えさせられる一件でした。他国と比べると、日本は死亡者を抑えられました。どう捉えますか。
尾身 国民も含めて日本の社会が頑張った結果だと思います。死亡者が減らせたのには3つの理由があったと思います。
1つ目は国民の健康意識の高さ。今でもマスクをしている人がいるほどですからね。2つ目は医療関係者や保健所の頑張りです。3つ目は「ハンマー&ダンス」ができたことです。
日本は死亡者が増えたから緊急事態宣言を出したわけではありません。医療の逼迫が起きそうになったから出したのです。医療の逼迫が起きれば社会が混乱するからです。ですから、医療の逼迫が軽減すれば、緊急事態宣言を解除してきた。ハンマーで打ち、終わるとダンスをする。これを繰り返したのです。
こういった取り組みが合格点かどうかは分かりません。ただ、欧米諸国と比べたら、死亡者が少なかったというファクトはあります。これをどう判断するか。そして、次にどう生かしていくかです。日本はもう少し成熟することが必要です。
今回のパンデミックで、どうしても日本人や日本社会は物事を単純化してしまうことが時々みられました。私たちはもっと成熟し、複雑性に耐えられることを学ぶ必要があるかもしれません。あまりに単純化したいという誘惑に駆られ過ぎているように思います。
しかも今はSNSが普及し、ややもすれば分断はすぐに起こり得る。単純化の誘惑に駆られる可能性が高くなります。だからこそ、人間の知恵が大事です。