早稲田大学(早大)は11月30日、磁性体中に発現するトポロジカル磁気渦の集合体「スキルミオン結晶」を伝わる磁気モーメントの波(スピン波)を新しい情報処理技術である「リザバーコンピューティング」に活用することで、磁性体を材料とするリザバーでも人が手で書いた文字を高い精度で認識できることを、数値シミュレーションにより実証したことを発表した。
同成果は、早大 理工学術院のリー・ムークン講師、同・望月維人教授の研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。
ヒト(生物)の脳機能を模倣した脳型コンピューティングの一種で最も成果が出ているリザバーコンピューティングのうち、根幹要素であるリザバーとして磁性体の利用が注目されている。磁性体は、外界からのノイズ・擾乱に対する安定性と、小さな外場で駆動・制御できる省エネ性、外場に対する応答の高速性の観点から、ほかの材料に比べて大きな優位性を持つことが理由だ。さらに、放射線やX線の被ばく耐性、高温や低温への耐性、繰り返し通電しても性能が劣化しないといったメリットもあり、放射線が飛び交う宇宙空間や原子炉周辺をはじめとする過酷な環境でも使用できるとして期待されている。
近年、磁性体のリザバーとして注目されているのが、ナノサイズの磁気渦である「スキルミオン」だ。スキルミオンは、キラル磁性体に磁場を印加するだけで自己組織化により無数に生成され、周期的に配列して結晶化することが知られている(スキルミオン結晶)。同結晶を構成する1つ1つのスキルミオンは、マイクロ波に対してスピントルク発振素子と同様の応答や振る舞いをすることが明らかにされている。また位相幾何学的な特徴を持つため、熱揺らぎなどの外部擾乱に対して堅牢であるという性質や、通常の磁気構造よりも小さな電磁場に対して鋭敏で巨大な応答を示すという性質がある。
スキルミオン結晶は、リザバーの性能を決定づける「入力信号の特徴を反映した出力を返す性質(汎化性)」、「入力信号を非線形に変換して出力する性質(非線形変換性)」、「短期の履歴情報を記憶し、長期の履歴情報を忘却していく性質(短期記憶性)」という3つの機能を高レベルで備えていることが、ムークン講師らの数値シミュレーションにより実証されている。しかしその研究では、より実用的かつ実際的な情報処理タスクにおいて、どの程度の性能を発揮できるかは未知数のままだったという。
もしスキルミオン結晶中を伝播する磁気モーメントの波を活用するリザバー(スキルミオンスピン波リザバー)の実用的・実際的な情報処理タスクにおける性能を評価・実証できれば、安定かつ省電力で、応答が高速であるというスキルミオンの特性を活かした、安価で高性能なリザバーコンピューティング素子の実現に道が拓けるとする。そこで研究チームは今回、0から9までの10種類の数字の手書き文字画像の「MNISTデータベース」を使って、スキルミオン結晶中のスピン波が持つ手書き文字認識機能の性能評価を、数値シミュレーションを用いて行ったという。
そして性能評価の結果、磁性体を材料とするリザバーとしては、スキルミオンスピン波リザバーが最高レベルの正確さで手書き数字を正しく認識でき、その正答率(88.2%)は最も有名な動的リザバーモデルの1つである「エコーステイトネットワークモデル」の正答率(79.3%)を凌駕することが実証された。ただし既存技術には99%超に至るものもあり、認識精度の点でそれらには及ばないが、既存の半導体素子の利用が実質的に不可能な過酷な環境下でも使用できる磁性体リザバー素子の可能性を切り拓くことができたとする。加えて、スキルミオンスピン波リザバーは高度な微細加工や複雑な製造プロセスを必要としないため、低コストで製造できることも大きな魅力としている。
今回の研究により、スキルミオン結晶中を伝播するスピン波を活用するリザバーが、手書き文字認識という実用的な情報処理タスクにおいて、高いレベルの性能を発揮することが実証された。今後はさらに、音声認識や会話認識、時系列データ予測などのより高度で複雑な情報処理タスクにおいて、スキルミオンリザバーの実用性を検証していく必要があるという。またリザバー部分だけでなく、入力部や読み出し部も含めたシステム全体として、コンピューティングデバイスの理論設計を行うことや、最適なデバイス構造や入力信号パラメータ、磁性体材料の探索も重要な課題になるとしている。