東北大学は9月30日、110年前の1913年(大正2年)に女子学生3人が日本で初めて大学に入学したことを記念した「女子大生誕生110周年」記念式典を仙台市青葉区川内キャンンパス内の川内萩ホールなどで開催した。この式典は東北大の「東北大学116周年ホームカミングデー」の一環として開催されたもの。
1913年8月21日、当時の東北帝国大学は、丹下ウメ、牧田らく、黒田チカの3人の女性に入学を許可した(当時の官報で公表)結果、日本で初めての女子大学生が誕生した。
その一人である黒田チカ(図1)は佐賀師範学校女子部を卒業した後に東京高等師範学校の助教授を務めるなどの経歴の経緯から、東京高等師範学校の当時の中川謙二郎校長が、当時の東北帝国大学の澤柳政太郞総長に「入学に関する件」という文書を送って女子学生への入学試験の実施を求めた。この結果、5月に東北帝国大学は入学試験を実施するなどの内容の返事を送り返し、その後に女子学生への入学試験を実施した(実際には、当時の文部省に事前に女子学生への入学試験の実施について問い合せている)。
東京高等師範学校の中川校長は、当時の高等師範学校での女性教員の育成を目指して、大学での高度な教育を願ったと推定されている。
この入学試験では、丹下ウメと黒田チカの2人は化学科を、牧田らくは数学科を受験した。
東北帝国大学は同年8月13日に、理科大学学長(現在の理学部長に相当)と総長が牧田らく、黒田チカ、丹下ウメの3人の合格判定との決済を下し。翌日14日に官報掲載での公表が許可された。この官報掲載を決めたことから(官報掲載の原稿を作成したことから)、東北帝国大学理科大学(図2)での女子学生3人の誕生のニュースは、当時の東京朝日新聞、読売新聞、東京日日新聞に記事として掲載された(実際には結果として、官報掲載より新聞記事掲載の方が早くなった)。
実は、この1913年に3人の女子学生が東北帝国大学理科大学に入学したものの、それ以降は女子学生の入学が一時途絶えた。しかし、1923年以降は女子学生がコンスタントに入学するようになった。その契機は、東北帝国大学に法文学部が設けられ、同学部に女子学生がコンスタントに入学することになったからと推測されている(これ以前の東北帝国大学は、理学部、医学部、工学部の理系が主流だった)。