東北大学は、「プロトン(陽子=水素イオン)付加p-アミノ安息香酸」(H2NC6H4COOH・H+、PABA・H+)分子とアンモニア(NH3)の1分子同士を真空中で衝突反応させ、生成物を独自開発した「イオンモビリティー質量分析装置」で観測した実験結果と、分子の運動シミュレーションの「ab initio分子動力学計算」の結果から、「アンモニウムイオン」(NH4+)がプロトンの運び役となるビークル機構によって、プロトンが0.6nmの距離をほぼ100%の効率で移動することを発見したと発表した。

同成果は、東北大大学院 理学研究科の大下慶次郎助教、同・美齊津文典教授らの研究チームによるもの。詳細は、米国化学会が刊行する物理化学に関する全般を扱う学術誌「The Journal of Physical Chemistry Letters」に掲載された。

電解質中での長距離プロトン移動には、「グロータス機構」と「ビークル機構」という2つの形式が提唱されている。前者は200年以上前に提唱され、水素結合した複数の水分子がプロトンをリレーして輸送するというものだ。後者は40年ほど前に提唱され、「ヒドロニウムイオン」(H3O+)のようなプロトン化した単一分子の移動によってプロトンが輸送されるというものである。

  • 長距離プロトン移動反応の2種類の機構

    長距離プロトン移動反応の2種類の機構(Angew. Chem. Int. Ed. Engl.,21, 208 (1982).の図を参考にして作成された図)(出所:東北大プレスリリースPDF)

これまで、長距離プロトン移動反応を分子レベルで研究するために、真空中に生成された数個の水分子と1個の有機分子からなる分子集合体(分子クラスタ)の分光学的研究が行われてきた。その結果、水素結合で結ばれた数個の水分子が関与する「プロトンリレー」、つまりグロータス機構が報告済みだ。しかし、真空中でのビークル機構による分子内プロトン移動についてはまったく報告例が無く、研究が進んでいなかったという。

そこで研究チームは今回、PABA・H+とアンモニア1分子を真空中で2体衝突反応させ、低温イオンモビリティー質量分析装置を用いて生成物の観測を行うことにしたとする。なお低温イオンモビリティー質量分析装置は、真空中でのイオンとヘリウムガスとの衝突を利用してイオンの構造を決定する分析手法である。

その結果、反応前はアミノ基にプロトンが付加したPABA・H+のみが観測されたが、反応後はカルボニル基にプロトンが付加したPABA・H+が反応生成物として観測されたという。

この実験と反応経路探索計算から、アンモニアがアミノ基に付加していたプロトンを引き抜いてアンモニウムイオンとなり、このイオンがカルボニル基まで移動してプロトンを渡す反応が起きたと解釈された。つまり、アンモニウムイオンがプロトンの運び屋となり、ビークル機構による分子内プロトン移動反応が起きたと結論付けられたのである。

  • PABA・H+の分子内プロトン移動反応。1分子のNH3がH+を運ぶビークル機構でプロトン移動反応が進む

    PABA・H+の分子内プロトン移動反応。1分子のNH3がH+を運ぶビークル機構でプロトン移動反応が進む(出所:東北大プレスリリースPDF)

さらにab initio分子動力学計算により、プロトンが引き抜かれることで生成されたアンモニウムイオンのほぼすべてが、カルボニル基まで移動してプロトンを渡すことを発見したという。つまり、アンモニアによりアミノ基から引き抜かれたプロトンのほぼすべてが、カルボニル基まで移動することが明らかになったとした。

今回の研究成果は、電解質中でしか確認されていなかったビークル機構によるプロトン移動が、真空中の1個の分子内で起きることが示された初の成果となる。プロトン移動反応における分子間相互作用を探究する基礎科学的な興味にとどまらず、燃料電池で使われるプロトン交換膜のプロトン伝導効率の向上にもつながることが期待できるとした。